第57話 悪くなかった
俺達のクラスが先生から開放された時、もう他のクラスには残っている人はいなかった。
仕方のないことだと思う。本来であれば昼前には終わるはずだったのに、うちのクラスが終わったのはその予定を大きく過ぎてからだったのだから。
グラウンドからは、すでに部活に励む生徒の声がしている。
それもこれも、先生の暴走により始まった騒動が、ろくでもないと思った俺の予想に反して盛り上がりを見せたせいだ。
「はぁ……。疲れた……」
栞と一緒に電車に乗り込み、座席に腰を落ち着けた途端にどっと疲れが押し寄せてきた。
「本当にねぇ……。まさかあんなことになるとはね」
「全くだよ。皆もノリが良すぎるというかさ」
告白祭の終盤では悪ふざけに走りだして、楓さんまで『しおりん愛してるぜ!』とか言い出す始末。最終的に栞も怒ってしまって、悪ノリで栞に告白していたらしい男子共々、深々と頭を下げる結果となった。
俺もヤキモキしたし、栞も毎回断るのが心苦しかったらしいので反省してほしい。楓さんのは栞にじゃれてるだけみたいだったからいいとして。
あと、俺は栞を絶対に怒らせないようにしようと密かに心に決めた。今のところそんな予定は一切ないけれど、笑顔なのに冷たい声を出す栞に背筋がゾクリとしたのだ。
いつも俺に向けてくれる温かくてホワホワした笑顔とは全く違う。栞の周りの温度が数度下がったような気がした。どちらかといえば可愛い系の栞だけど、美人が怒ると迫力があるというか。こんなこと本人には言えやしないけども。
「でもね、ちょっとだけ楽しかったかも」
栞がほんのりと微笑みを浮べて言う。うん、やっぱりこっちの方が良い。
「そう?」
楽しいよりも恥ずかしいのほうが多かった気がする。
「うん。だってね、今まであんなに大勢で騒いだことなかったから。ずっと学校なんてつまらないと思ってたけど、そうでもないんだなぁって」
「確かに……。そう言われれば俺も……」
悪くはないと思える時間だったのかもしれない。恥ずかしい思いはいっぱいしたけど、それでも。今回の件では、その中心に俺達がいた。クラス中を巻き込んで大騒ぎして、最後には自然に笑っていた。
「あっ! つまんなかったって言ってもね、放課後に涼と図書室にいる間は楽しかったよ? 教室にいる時の話だからね? そこは勘違いしちゃヤダからね?!」
一人で勝手に自分の言葉にアワアワし始めて、必死で取り繕う栞が可愛い。そんなことわざわざ否定しなくてもわかっているのに。教室にいる時と図書室にいた時では表情がまるで違っていたのだから。
その笑顔も、もう見慣れつつある。見慣れたと言っても、見飽きたりはしないけどね。
「知ってるよ」
栞の頭をポンポンと撫でると、「えへへ」とはにかむように笑ってくれる。
それからはお互いに身体を寄り添わせて静かに電車に揺られることになった。ぴったりとくっついてくる栞の体温を感じていると心が安らぐ。初めて一緒に帰った時は肩が触れるだけで緊張してガチガチになっていたというのに。
こうやって色々なことが変わっていき、当たり前になっていく。その変化もそれを受け入れる余裕ができたのも、全部栞が隣にいてくれるからだ。
だから、俺達を取り巻く環境がいくら変わっても栞のことが大好きで、大切にしたいという気持ちだけは変わることはないのだろう。
俺の肩に頬をくっつけて幸せそうにしている栞を見るとそう思うのだった。
電車を降りたら、二人そろって俺の家へと向かう。朝出かける前に、母さんから話があると言われたから。栞は文乃さんへの連絡をすでに済ませてあるらしい。
「あっ」
もうすぐ家が見えてくるというところで栞が急に立ち止まった。栞と手を繋いでいる俺も必然的に止まることになる。
「どうしたの?」
「ねぇ、涼。私達さ、なにか大事なこと忘れてない?」
「大事なことって?」
「ほら、今日提出する分の課題」
「あー……」
それどころじゃなかったとは言え、すっかり忘れていた。鞄に入れて持っていったのに、そのまま持って帰ってきてしまった。これでは今日なんのために学校へ行ったのかわからない。ただ俺達のあれやこれやを暴露しただけだ。
「ねぇ、戻ったほうがいいかな?」
こんな時でも栞は真面目なんだよな。
「もういいんじゃないかな。忘れたの俺達のせいじゃないし」
「でも……」
「今から戻っても遅くなるしさ。それに出してないのクラス全員だし」
「そっか……。そうだよね。うん、気にしないことにする」
この時の俺達には知る由もないことだが、連城先生は各教科の担当教師にこっぴどく叱られたそうな。
「じゃあ早く帰ろ」
俺がそう言うと、栞は嬉しそうに俺の腕に抱きつく。
「甘えさせてくれる約束、忘れてないよね?」
「忘れてないよ。でも今も十分甘えてると思うけどね」
ずっと俺の肩に頬を擦り付けてくるんだから。その姿はなんか猫みたいだ。
「こんなんじゃ全然足りないのっ。今日はいっぱい頑張って疲れたんだもん」
「俺も疲れたんだけど?」
「じゃあ涼も甘えさせてあげる。交代でね」
「そこまでしなくても、俺は栞と二人でいるだけで癒やされるけどね」
ちょっと恥ずかしいことを言ってしまったので、照れ隠しに栞の頭をワシャワシャと撫でる。
「もー! 髪ぐしゃぐしゃになっちゃうよ」
とか言いながらも栞は嬉しそうだ。俺もこれだけのことで疲れが抜けていく気がする。
「涼は欲がないなぁ。何かしてほしいことないの?」
栞は俺が乱した髪を整えながら聞く。
「んー……、じゃあ、朝の続き、かなぁ……」
家が近付いてきて、朝の玄関での出来事を思い出してしまったのだ。母さんに邪魔されたけど、あの時はもっとって思っていたから。
って、続きと言ってしまったけど、その先のことじゃないってわかってるかな……?
下手に勘違いされて嫌われるのだけは御免こうむりたい。
「んふふ〜。じゃあ、後で涼の部屋でいっぱいしようね?」
どこで覚えてきたのか、蠱惑的な笑みを浮かべる栞にドキドキする。
「う、うん……」
「自分から言っておいて照れちゃうなんて、涼ったら可愛いんだから」
あげくの果にはこうやってからかわれる。自分だって最初にキスした日の最後は逃げ帰ったくせに。
「あんまり可愛いって言わないでほしいんだけど……」
「褒めてるんだよ? 格好良いところも可愛いところも私にいっぱい見せてほしいなぁ。涼のなら全部受け止めてあげるからね」
俺に欲がないなんて嘘だ。こうやって栞がなんでもかんでも受け入れてくれるから、どんどん欲が増すばかりで。もっともっと一緒にいたいと思う。もっと触れたいし、声を聞きたい。いつだって視界におさめておきたい。
だから、一緒にいる時間が増えれば増えるほど離れる時はいつも寂しい。栞が帰っていく時はいつも引き止めたくなってしまう。でも、もっと一緒にいたくて、送っていくと言うと『余計名残惜しくなるから』と断られる。栞も同じ気持ちだからこそなんだろうけど。
まぁ、親の世話になってるうちは、しょうがないと割り切るしかないのだ。栞を帰さなかったら聡さんも文乃さんも心配してしまうから。自立するまでの我満だ。そう考えれば、勉強にしても人付き合いにしても、もっと頑張ろうと思える。
そんな事を考えていたんだけど、まさかあんな事になるとは。まったく、母さんも文乃さんも余計なお節介を。
いや、俺達にとってはいいことではあったんだけどさ……。
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