第54話 先生の暴走と新たな友達

 ──ゴンッ、ゴンッ!


「いい加減話を聞きなさーい!」


 今日だけでいったい何人の叫び声を聞いただろうか? 今度は先生だった。


 黒板を叩きながら叫んだことで、ようやく皆が先生の存在に気が付いた。


 完全に二人きりの世界へと旅立っていた俺と栞も、そこでようやく現実へと引き戻されることになる。といっても、現状を思い出して固まってしまったので、まだ抱き合っているのはそのままだ。


「あっ、れんれんおっはよー!」


 相変わらず元気に、呑気な声で応えたのは楓さん。


「れんれん言うなっ! ってそんなことより、なんなのこの状況は?!」


「んーとね、簡単に言えば、あそこで抱き合ってる二人のせい?」


 楓さんが俺達に視線を移しながら説明したところで、さすがに俺達も恥ずかしくなってパッと身体を離した。


 恐る恐る顔を上げるとパチリと先生と目が合う。


 なんかものすごくイヤな予感がする。全てが振り出しに戻ったような、また一からここまでやり直しをさせられそうな、そんな予感が。


「……誰?」


 ポツリと先生が零した言葉に俺はずっこけそうになった。


 栞はともかく、俺はわかるだろうに! 他のクラスメイトだって俺のことはちゃんと認識してたぞ?


「高原ですけど、先生それ本気で聞いてます……?」


「いやいや、私の知ってる高原君はそんなに爽やかじゃないし、そんなにはっきり喋らないし、そもそも教室のど真ん中で女の子と抱き合ったりしないし」


 仰る通り過ぎて返す言葉もない。俺自身、自分の変化には驚いているくらいなのだ。栞と抱き合ってたのは成り行きだけども。


「そこは信じてもらうしかないんですけど……」


「まぁ、高原君は置いときましょう。そっちの子、もうそろそろ他のクラスも始まる時間だから、自分の教室に戻りなさい」


 ……。なるほど、担任としては自分のクラスに見知らぬ人間がいたらこういう対応になるのか。でも、実際には今この教室内にはうちのクラスに所属している人しかいない。


「はぁ……」


 栞が小さくため息を漏らした。栞もここまででだいぶお疲れのご様子。


 まだ登校してきて30分くらいしか経っていないけれど、俺も一日授業を受けた後よりずっと疲弊してる気がする。


「あの、先生……。私、黒羽です……」


 この後の反応を想像したのだろう、栞はげんなりした顔で答えた。先生は叫びこそしなかったが、ポカンとした間抜けな顔をした。


「へ? 誰が?」


「私です……」


「黒羽さん……?」


「はい」


「あの黒羽栞さん?」


「そうです……」


「誕生日は?」


「10月27日ですけど……?」


 栞が答えると、先生は名簿を取り出して確認する。


「……あってる。ってことは本物?!」


「最初からそう言ってるんですけど……」


「……?」


 どれだけ疑ってるのか。本人確認のために誕生日まで聞くとは。ただ、そこから先生はフリーズしてしまった。理解の処理が追いついていないのだろうか?


「ねぇ、涼。私、イヤな予感がするんだけど」


「うん、俺もだよ……」


 栞も俺と全く同じことを思っているようだ。俺達はこの後のことを考えて、揃って肩を落とした。



「なーんで黒羽さんと高原君が抱き合ってたわけー?! 私が知らない間に何があったの?! というかなんでこんな面白そうな話、私を除け者にしたのよー! もうっ、誰か呼んでよね!」


 ほら、やっぱりね。


 少ししてフリーズが解けた先生の口からは、およそ教師とは思えない発言が飛び出した。あまり興味本位で生徒のプライベートを荒らさないでほしいと俺は思うのだけど……。


「せんせー。そんなことよりさ、この後って全校集会ですよねー? 他のクラス移動してるけどうちはいいんすかー?」


 助け舟を出してくれたのは遥だ。


 遥の言う通り、廊下に視線を向ければ、他のクラスの人達がゾロゾロと移動しているのが見える。


 登校日である今日の予定は、まず全校集会、その後で課題の提出をして解散となる。


「全校集会なんてどうでも……って、よくはないわね……。あぁもうっ! 気になるけど話は後よ! 全員、体育館へゴー!!」


 こんなだけど、連城先生も悪い人ではないのだ。授業はそれなりにわかりやすいし、生徒にもフランクに接してくれることから人気もあったりして。


 ただ、テンションが割と高いので、俺は少し苦手だったりする。嫌いではないけれど。


 どうやら急場は凌げたみたいだが、頭が痛くなってきた。とにかく今は流れに乗って体育館へ移動することに。


 その途中、栞は女子達に捕まって連れられていってしまった。質問攻めにでもされていそうだけど、楓さんも隣りにいるし、きっと大丈夫だろう。これで少しでも馴染んでくれたらと思う。


 逆に俺の方はこれまでより立場が悪くなっている気がする。栞に言い寄ってたのが本気なのかどうかは知らないけど、嫉妬の視線が痛い。


 俺はそれを避けるように遥と行動を共にすることにした。


「よう、お疲れさん」


「いや、もう帰りたくなってきたよ」


「でも自業自得だろ?」


「そうなんだけどさ」


「時間稼ぎはできたけど、あの様子じゃ先生にも説明しないと帰れそうにないな」


「また初めからと思うと気が重いよ」


「諦めろ。俺は見てるだけだから面白いけどな」


 そう言うと遥はククッと笑った。他人事だと思って……、って実際他人事なんだろうけどさ。


「な、なぁ、高原」


 げっそりしていると、声をかけられた。


 えっと……、誰だったっけ……?


 長い休みがあると、どうしても名前を忘れがちだ。そもそも一学期も栞以外とは交流がなかったのだから記憶もおぼろげで。


「よう、日月かづきじゃん」


 あっ、そうそう、漣日月さざなみかづきだ。


「あぁ、遥、おはよう」


「えっと、漣君、俺に何か?」


 俺がそう応えると、漣君は嫌そうな顔をした。


「漣でいいよ。君付けで呼ばれると背中が痒くなる。俺も高原って呼んでるしさ」


「あ、うん、わかったよ。それで?」


 俺が促すと、漣は少し言いづらそうに口を開いた。


「えっとさ、高原はどうやって黒羽さんと付き合ったんだ?」


「どうって、なんで?」


「なんだよ日月。まだ告ってなかったのか?」


 俺の代わりに応えたのは遥だった。


「うるさいな……。そんなに簡単にできたら苦労しないっての」


「はぁ……。いつまでうじうじやってんだか。涼もこいつになんか言ってやってくれよ」


 遥のおかげでなんとなく話が見えてきた。


「えっと、漣は好きな子がいて、どうやって告白するか悩んでるって、ことでいいのかな?」


 俺がそう尋ねると漣は顔を赤くして頷いた。男のそんな顔を見せられて、どんな反応をしたらいいのか困る。でも漣の顔は真面目だった。


「だってさ、あんなだった高原がこんなふうになってさ、黒羽さんもめっちゃ可愛くなってて、それで二人は付き合ってるんだろ? 話聞けたらなんかためになるかなって」


「うん、まぁ……。でも俺のはそんなに参考にならないかもしれないけど、それでもいい?」


 興味本位で聞いてるんじゃないってことは顔を見ればなんとなくわかった。それなら話をしてしまっても良いだろう。なにより、漣は栞に群がる男共の中にいなかったしね。


「うん、頼むよ」


「じゃあ……。俺は先に栞の方から好きだって言ってくれたんだよ。でもその時は栞が逃げちゃってさ……。でも俺も栞のことが好きだったから、ちゃんと向き合って話をして、好きだって伝えたんだ」


 って話していたらなんか恥ずかしくなってきた。さすがに告白し合った内容までは教えるつもりはないけど。でも漣は真剣に俺の話を聞いてくれて。


「すごいな、高原は。正直、今まで高原のこと暗いやつだってバカにしてたわ。ごめん」


「それは否定できないからいいよ。俺だって自分でそう思ってたくらいだからさ。でも、それを栞が変えてくれたんだ。だからさ、漣も伝えたいことがあったら真っ直ぐ伝えたらいいんじゃないかな? 漣が真剣なら、相手も真剣に応えてくれると思うよ。付き合えるかどうかは別だけど……」


「おー、涼もいいこと言うじゃん。だってよ、日月」


「やっぱすごいな、高原は。初めて話すのに真面目に応えてくれるしさ。俺、頑張ってみるわ」


「いや、なんか偉そうなこと言ってごめん。でも応援はしてる。想いを伝えるって勇気がいるけどさ、俺にもできたから」


「うん、ありがとう。それとさ、高原」


「ん?」


「これからは俺とも仲良くしてくれよ。遥なんかさ、急かすばっかで、ここまでちゃんと話聞いてくれないし」


「え、あぁ、うん。俺で良ければ」


「待て待て、俺だって応援くらいはしてるぞ。焦れったいから急かしてるだけだっての」


 こうして俺にまた一人友達が増えることになった。そこからは漣も交えて世間話なんかをしながら体育館へと向かった。


 話の中で相手を聞いたら教えてくれた。その相手とは橘さんだった。漣と橘さんは遥と楓さんとよく一緒にいて、好きになったらしい。


 同じクラスにいたはずなのに知らないことがたくさんある。それも全部俺が自分の殻に籠もっていたせいだ。こうして話をしてみなければわからないこともあって。


 栞との関係が俺にどんどん変化を与えてくれる。それも全ていい方向ばかりだ。

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