第37話 デートをすると誰かに遭遇するのは何故なのか?

 バスに揺られること30分ほどで目的地であるショッピングモールに到着した。


 栞は宣言通り、ここまで手を離してくれることはなかった。バスを降りる際、運賃を払う時も同じで、前もってお金を準備しておく用意周到ぶりだ。そのために移動中の車内で手を繋いだまま交代で小銭を用意することに。そのくらいの間なら離してもいいと思うのだけど、今日の栞はそれすらもイヤらしい。


 運転手から向けられる生暖かくも微笑ましげな視線をなるべく意識しないように、表面上だけ平静を取り繕いながら降車した。


 栞の方は自分から『離さない』なんて言っておきながら、その視線が気になってしまったのか、恥ずかしそうにしている。


「なんか涼だけずるい……。平気そうな顔しちゃってさー。私ばっかり照れてるみたいじゃん……」


「平気なわけないじゃん。俺だってずっと心臓がうるさいんだから……。というか、それなら手離したらいいのに」


 移動中から今に至るまでずっと、栞は手をがっちりホールドするだけではなく、俺の腕にギュッと抱きつくようにしている。そこまで密着されれば、髪から漂う甘い香りや柔らかい身体の感触をしっかり感じてしまうことになるわけで。俺の心臓はドキドキを通り越してバクバクいっている。


 花火の日や栞を家まで送った時は暗かったおかげで人目は気にならなかったし、ここまで密着されていなかったからまだ耐えられた。


 けど今は、ひとたび油断すれば挙動不審になってしまいかねないほど落ち着かなくて。これを一日続けられたら俺はいったいどうなってしまうのか。帰りのバスに乗る頃にはグッタリしている未来が見える。


 いっそ離してもらえれば、とも思ったのだが。


「それはイーヤ! せっかく堂々と手を繋げる関係になれたんだもん。それとも涼は私と手を繋ぎたくないの?」


 この反応は予想通りではあったけれど。堂々ともなにも、付き合う前から手を繋ぐことはあったわけで。


 心情的には俺も離したくはない。これが人目につかない俺の部屋であったならば栞が満足するまでそうしていたいと思う。別の意味で耐えられなくなりそうな気はするが。


「イヤなわけないけど……。けど、心臓がもつかなって。ほら、ちょっと確かめてみてよ」


「う、うん」


 空いている方の栞の手を取って自分の胸に導こうとしたのだが、あろうことか栞は少し身を屈めて俺の胸に耳を押し当てた。栞と俺は丁度頭一つ分の身長差なので、はたから見れば抱きついているような形になる。手を繋いでるのを見られて恥ずかしがっていたとは思えない大胆な行動に、俺の心拍数は更に跳ね上がった。


「あの、えっと……、栞?」


「わ、本当だ。涼、すっごいドキドキしてる。私でこうなってるんだよね?」


 俺の心臓の音が思っていたよりすごかったのか、顔を上げた栞は目をパチパチと瞬かせ、驚いた顔をしていた。


「そりゃまぁ、それ以外にないけど……」


「へへ、嬉しいなぁ……」


 栞は表情を蕩けさせ、心音を聞くという目的も忘れて、俺の胸に顔を擦り付ける。完全にここが外だということを忘れている気がする。


 そんなことをされれば当然俺も栞につられてしまって、このまま目一杯甘やかしてあげたい衝動が湧いてくる。というかもう、身体が勝手に栞を抱きしめていた。


 なんで栞はこんなに可愛いかな? 


 付き合い出す前も兆候はあったけれど、恋人同士になった途端に急激に甘えん坊が加速した気がする。俺ももちろん大好きな女の子に甘えられて悪い気がするはずもなく、このままずっとこうしていたいとさえ思う。



 けど昼間の、それもショッピングモールの入り口付近という場所でこんなことをしていれば当然目立たないわけがない。そんなことにも気付かないほど二人だけの世界に入り込んでいた。もちろん、俺達を知る人間に見つかるなんて夢にも思っていなかったわけだ。


「あれ? あれって高原じゃね?」


「ん〜? あっ、本当だ!」


 不意にそんな会話が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。一学期、学校でこの二人の声を聞かなかった日はないので、すぐにわかった。


 抱きしめていた栞の身体かビクッと跳ね、硬直するのを感じる。俺もきっと同じ反応をしていたと思う。二人揃って現実に引き戻された。


 俺の胸に顔を埋めている栞はまだ大丈夫そうだけど、どうやら俺が俺だということはしっかり認識されているらしい。


 どうしてこう、俺達が揃って出掛けると誰かに遭遇するのか。神様とか運命なんてものがあるのなら、きっと相当意地が悪いに違いない。


「ね、ねぇ、栞……?」


「う、うん……。えっと……、どうしよ?」


「とりあえず誤魔化してみる……?」


「大丈夫、かな……?」


「わかんないけど……」


 抱き合っている姿を見られただけでも恥ずかしいのに、俺も栞も学校でのイメージは夏休み前のそれのままだ。俺は話しかけられると逃げ出していたし、栞に至ってはクラス全員どころか他人そのものを拒絶するようなことを言ってしまっている。


 ずっと休みで忘れかけていたことが一気に頭を駆け巡る。ここ二週間くらいで、俺達は他人から信じてもらえないくらい変わっているのだ。


 栞とコソコソどう対処するか相談していると、声の主はどんどん近付いてきて。


「よっ、高原。こんなところで会うなんて奇遇だな」


 ついには声をかけられてしまった。


「ヒトチガイではナイデショウか……?」


 相談した通りに誤魔化そうと試みるも、動揺が勝ってカタコトになってしまう。


「いや……、それは無理があるだろ。この距離で見間違わねぇよ? 何ヶ月クラスメイトしてたと思ってんだ」


「うんうん!」


 ですよねー……。


 四月から夏休み前までなので、四ヶ月弱クラスメイトをしていたことになる。いや、今はそんな数字になんの意味もなくて、この状況をどうするかだ。栞も俺の下手すぎる誤魔化しにジトッとした目を向けてくるし。


「涼……。それは無理でしょ……」


 うん、俺もそう思う。


「やっぱり無理かぁ……。ごめん、柊木君、楓さん」


 栞との友達付き合いを経て恋人同士になるまでの期間で鍛えられたおかげか、さすがに以前のように逃げ出したいという気は起きない。聡さんと初対面を果たした時に比べたら、今なんてどうということはない。違う意味で逃げたくはあるけども。


 諦めて、声をかけてきた二人に向き合う。二人ともクラスメイトなのでもちろん名前も知っている。


 一人目は柊木遥ひいらぎはるか

 二人目は楓彩香かえであやか


 入学式の日に変わりたいと思っていた俺の心を吹き飛ばしたのは楓さんだ(2話参照)。あの出来事のおかげか、この二人はクラスの中心的な存在になっている。


 二人ともうちのクラスのトップカーストに位置する陽キャと言える存在なのに、他人を見下したりしないのだから、人間ができているなと俺は思っていた。


 これはおまけの情報だけれど、漏れ聞こえてきていたクラスでの会話から、この二人が恋人同士なのも知っていたりする。


 この二人ならばバレたところで大したことにはならないとは思うけど、色んな事情があって内心穏やかではいられない。


 問題は抱き合ってたのを見られたことと、俺と栞の関係、学校での立ち位置だ。黙ってれば今は栞がであることはわからないかもしれないけれど、学校が始まってしまえばそうも言っていられない。


 その栞は今、俺の後に隠れてしまっているけれど。


「いや、謝られるほどのことでもねぇけどさ。にしても高原、ちょっと見ないうちに雰囲気変わったか?」


「そう、かな……?」


「なんつーか背筋が伸びた気がするな。それにお前がちゃんと話ししてくれるの、これが初めてだろ?」


「そうだね、ごめん。人と話すの苦手だったんだ」


 柊木君はぼっちを拗らせていた俺にも気を遣ってくれて、ちょくちょく声をかけてくれることもあった。そのことごとくを俺がふいにしてしまっていたのだ。今になって思い返せば、とんでもなく失礼なことをしたと申し訳なくなる。


「そんなことだろうとは思ってたけどな」


 俺の心中を知ってか知らずか、柊木君はあまり気にした様子もなくそう言う。


「本当、ごめん」


「いいって、そういうやつもいるしさ。俺も無理に話しかけて悪かったよ。で、今は平気そうなのはその子のおかげってわけか?」


 察しが良くて助かるのやらマズいのやら。


「まぁ、そうなんだけど……」


「高原君の彼女、だよね? 抱き合ってたし」


 関係性についてはもう誤魔化しようがない。バッチリ見られているのだから。


「えっと、それはそうなんだけど……」


 そこまで言うと、栞の手が微かに震えていることに気付いた。


 それだけで俺はなんとなく察してしまった。栞の心がまだ完全には癒えていないんだって。美紀さんとの件にはケリをつけたとはいっても、長い間抱え続けていた恐怖心はそんなに簡単に消えることはないのだろう。俺の前では屈託のない笑顔を見せてくれるようにはなったけれど、他の人に対してはきっとまだ。それに自分が拒絶してしまったという負い目もあるのかもしれない。


「ねぇねぇ、高原君! その子のことも紹介してよ! いっつも一人だった高原君に彼女がいたなんてさ、色々気になるじゃん」


 俺がそれなりに普通に対応してしまったせいか、楓さんは栞のとこを紹介しろと言う。人との隔たりを感じさせないのが彼女のいいところなんだろうけど、少しだけ悩んでしまう。


 俺としては、これはいい機会なんじゃないかと思う。栞がこれから俺以外の人の前でも普通に過ごせるようになるためには。荒療治かもしれないけど、人との関わりが必要だろうから。


 でも、俺だけで決めてしまうわけにもいかない。無理をさせて悪化させてしまうことは絶対に避けたい。俺にとっての第一は栞が笑っていてくれることなんだ。そのためなら、どんなことでもしてみせる。その覚悟は付き合い始めた時に済ませているのだから。


「ごめん、二人とも。少しだけ待っててくれるかな?」


「ん? あぁ、構わないけど」


 栞の手を引いて、二人から少し距離を取ると、栞は申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんね、涼。私が普通の子ならこんな面倒くさいことにならなかったのに……」


「何言ってるの。栞じゃなかったら、そもそも俺は好きになってないよ」


「うぅ……。今そんなこと言うのはずるいよ……」


 栞は辛そうな顔で俯いてしまう。やっぱり俺は栞にこういう顔をしてほしくないらしい。どうにかしてあげたいって思う。


「ねぇ、栞はまだ怖い?」


「うん、そうみたい……。涼がいれば平気だって思ってたんだけど……。それでもまだ……」


「そうだよね、そんな気がしてた。でもさ、俺はチャンスかなって思うんだ」


「チャンスって……?」


 俺の言葉に栞は首を傾げる。


 俺だってずっと逃げてきたとは言っても、このままではよくないと思っていた。社会に出れば否応なしに人との関わりを持たなければならないし、そうなれば苦手だ何だと言ってはいられないはずだ。バイトの経験すらない俺にはまだよくわからない世界ではあるけども。でも、俺は栞と出会って少しだけ変われたから。


 栞だって変われるはずだ。もしダメでも、その時はその時で俺だけはそばにいてあげるつもりだ。


「俺と栞の苦手なものを克服するチャンス、かな? 俺もまだ栞以外の人は少し苦手だし、栞も怖いって気持ち、ずっと抱えてたくないでしょ?」


「うん……。それはそうだけど……」


「だからさ、学校が始まる前にまずはあの二人に打ち明けてみない? このまま新学期を迎えるよりも、事情を知ってる人がいるほうが後々助かると思うんだ」


 できることなら学校でも、一学期みたいに図書室でコソコソするんじゃなくて、堂々と恋人として振舞いたい。


 栞はまだ悩んでいる。しばらく悩んで俺に縋りついた。


「ねぇ、涼……。それでもし、またあの時みたいになったら……。涼は裏切ったりしない? ずっと私の味方でいてくれる?」


「当たり前でしょ。栞、俺は言ったはずだよ? 栞のことが大好きだって。ずっと一緒にいようって」


 朝の意趣返しも込めて、でもこれが俺の本心だ。


「……バカ。でも、ありがと。そうだよね、涼がそばにいてくれるなら……。うん、私、頑張ってみるね」


 ようやく栞は笑ってくれた。どことなく力のない笑みではあるけれど。


 しっかりと手を繋ぎ直して、待たせている二人の元へ。


「お待たせ。えっと……、紹介するよ。俺の彼女の黒羽栞。二人とも、名前は覚えてるよね?」


 俺の言葉に続いて、栞は頭を下げる。


「黒羽です……。えっと、久しぶり、でいいのかな……?」


 栞が頭を上げると、柊木君も楓さんも一瞬キョトンとした顔を浮かべるのだが、それは次第に驚愕へと変わっていく。


「「えぇぇぇ〜〜〜!!! 黒羽さん?!」」


 そして二人の叫びが辺りに響き渡るのだった。

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