第36話 待ち合わせ
「あっちぃ……」
あまりの暑さにそんな独り言が漏れる。まだ午前中だというのに、容赦なく照りつける太陽は気温をどんどんと上げていく。8月上旬である今日、朝見た天気予報によると最高気温は35℃を超えるらしい。
俺は今、黒羽家の最寄駅で栞を待っているところだ。入り口付近のなるべく日の当たらない場所で、それでいて栞からすぐにわかりそうな場所に陣取っている。もちろん昨日約束したデート待ち合わせのためだ。
今日はここからバスに乗って、この辺りで一番大きなショッピングモールへ向かう予定になっている。電車でも行けるのだが大回りで時間もかかるうえ運賃的にも高くついてしまうので、今回はバスを利用することにした。
母さんに出かける話をしたら『送ってってあげようか?』と言われたけど、今回は俺達の初デートということで遠慮しておいた。いくら現地で別行動をするといっても、行き帰りの道中に親同行というのはよろしくないだろう。栞は母さんとかなり仲良くなっているので気にしないのかもしれないけれど、道中でからかわれるであろう俺が気にするのだ。
服を買うためのお金に関しては、母さんが『涼が服を買いたいなんて言う日が来るとは……!』と驚きながらも、気前よく出してくれた。俺と栞が通う高校はやむにやまれぬ事情がない限りは原則バイト禁止なので、こういう時は親を頼らざるを得ないのが少し申し訳ない。ないものは嘆いても出てこないので、これに関しては自立できてから少しずつ返していければと思う。
母さんに驚かれたのは心外だけど、俺は普段から服装に無頓着なので、これも仕方がないことだと思う。今後は見た目にも気を遣うつもりだけれども、ファッションに関しては不勉強なので、栞の好みに合わせていくことになるのだろう。恋人に合わせて変わっていく自分を想像すると、それはそれで悪くない気がする。
そんなことをボーッと考えながらスマホで時間を確認すると現在9時半。待ち合わせの時間は10時ということになっている。なんでこんなクソ暑いなか、30分も前から待っているかと言うと、早く栞に会いたかったからに他ならない。
愚かなやつだと笑ってくれるがいい。待ち合わせ時間が決まっている以上、早く着いたところで、その時間まで待たなければならないのだから。本来、早く会いたいのなら待ち合わせの時間を早めるべきであって……。まぁその場合、更に30分前から待っている自分の姿が容易に想像できるわけだが。
浮かれてるな、とは自分でも思う。10時だっていつも栞が我が家に来るより格段に早いし、そもそも夏休みの二日目から俺達は毎日会っているというのに。友達になった辺りにはもう好意を自覚していた栞と念願かなって恋人になれたわけだし、そもそも彼女ができるのも初めてなので、そうなってしまうのも仕方がないのだろうけど。
寝る前だって楽しみでなかなか寝付けなくて。朝も支度を終えてしまったら、栞の顔ばかり浮かんできて、落ち着かなくて早々に家を出てきてしまった。
俺……、栞のこと好きすぎないかな?
こんなに早くから待っちゃって……。
重すぎるって引かれたりしないかな……?
栞の前ではなんだかんだ格好をつけたこと言いながら、俺の性格はそう変わっていない。一人になると後ろ向きな考えが浮かんできてしまうのだ。
日陰から太陽を恨みがましく睨みつけながら、栞に会える期待と、引かれるかもという不安をない交ぜにしていた時、クイクイッと服の裾が引っ張られた。
「涼? ねぇ、涼ってば!」
そちらに視線を向けると、栞が少し頬を膨らませて立っていた。
「あ、あれ、栞? いつの間に?」
「もうっ。さっきから呼んでるのに全然気付かないんだもん。暑さでおかしくなっちゃったかと思ったよ」
栞の顔をよくよく見れば、不満三割、心配七割といった表情をしていた。せっかく栞が呼んでくれていたというのに、気付かないほど考え込んでしまっていたらしい。
「ごめん……。考え事してて気付かなかった……」
「私が来たのに気付かないほど何考えてたの?」
「いやー、早く来すぎたなって……」
「そんなに楽しみだったんだ?」
「それもあるけど……、いや、うん。楽しみでさ。そういう栞もだいぶ早いけど?」
もちろん栞との初デートが楽しみなのは確かだ。でも早く出てきてしまった本当の理由はそこではない。ただ、先程不安に思ってしまったのと恥ずかしさで濁してしまった。
それに俺が到着してから、考え事をしていたとはいえ、たぶんまだ10分も経ってないはず。栞にしたってずいぶんと早い到着だ。
「へへ……。涼にね、早く会いたくって。まだいるわけないよねって思ってたんだけど。まさか私より先にいるとはね。やっぱり早く出てきてよかったぁ」
栞はそう言って顔を綻ばせる。俺とは対象的に素直に俺に会いたかったと言ってくれたことが嬉しくて、でも同時に申し訳なくもなる。
「ごめん、栞。やっぱり楽しみだっただけじゃないんだ。俺も、栞に早く会いたくてさ。家でじっとしていられなくて出てきちゃったんだ」
「そうなの?! それならそう言ってくれたら良かったのに」
「そうなんだけど……、毎日会ってるくせにこんなこと言って引かれないかなって思ってさ……」
「むっ、私のことそんな風に思ってたなら心外だなぁ。そんなことで引いたりするわけないでしょ? 私言ったはずだよ? 涼のことが大好きだよって、ずっと一緒にいたいって」
栞は唇を尖らせる。
俺もこれには反省しなければならないと思った。俺が栞に対して不安になるってことは、栞の気持ちをちゃんと信じられていないってことになる、ということに気付いたから。
「そう、だよね。ごめん」
「もういいよ、ちゃんと言ってくれたし。嬉しかったからね。同じように思ってくれてるってこんなに嬉しいんだね?」
にっこりと微笑む栞の笑顔が眩しくて、敵わないなと思った。
「うん。俺も嬉しいよ」
「えへへ。あっ、バス来たよ。予定のより早いけど乗っちゃおうか?」
「そうだね」
到着したバスに入口で整理券を取り、二人で乗り込む。夏休みとは言え平日で、通勤時間が過ぎた車内は俺達以外には人がおらず、貸し切り状態だ。途中で誰か乗ってくる可能性はあるけれど。
「ほら、涼。こっちこっち。早くっ」
先に乗り込んだ栞が二人がけの席から俺を呼ぶ。栞は子供みたいにはしゃいで、そんな栞に俺も笑みが溢れる。
二人で並んで座ると栞がもたれかかってきた。いつも部屋でそうしているように。人に見られたら恥ずかしいけれど、今は運転手の他には誰もいないので好きにさせてあげることにする。
更に栞はソワソワしながら、俺の顔をチラチラと見てくる。手もモジモジとさせていて。なんとなく栞のしたいことがわかった。
「栞。ほら、手……」
繋ごうか、とまでは言えなかった。まだそこまで慣れてないのだ。何度か手を繋いだことはあるけれど、まだまだスマートに、とはいかない。
「うん……」
でも栞はちゃんと俺の意図を汲んでくれて、というより栞の意図を俺が汲んだのだが。栞ははにかみながら俺が差し出した手に自分の手を重ねて、するりと指を絡めてきた。
これには普通に手を繋ぐつもりだった俺は動揺してしまった。
「栞?!」
「せっかく恋人になれたんだから、いいよね……? 今日はずっとこれでいこうね? 絶対離してあげないんだから」
栞は頬を染めながらそう言った。
突然の恋人繋ぎとこの言葉で、バスを降りるまで俺のドキドキはおさまることがなかった。いや、それ以降もだけど……。
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