五章 初デート

第35話 デートの約束

 晴れて栞と交際をスタートした翌日、栞はいつも通りに我が家にやってきて、いつも通りに過ごしている。これまでと違う点といえば、玄関に出迎えに行った際『へへ、来たよ、涼』と言って笑みを浮かべる栞に俺が心臓を撃ち抜かれたことくらい。


 付き合い出したせいか、俺に向ける栞の笑顔が一段と屈託ないものになったように感じる。幸せいっぱいですと言わんばかりのその表情に、俺はやられてしまったのだ。


 それでもやっていることはこれまでとほぼ同じで、一緒に夏休みの宿題を広げて、今日のノルマが終わった後は俺の部屋でのんびりする。


 栞は相変わらずくっついてくるのだが、それは付き合い始める前からなので、これもいつも通りと言える。


 あまりにいつも通りなので、これでいいのかと不安になってくる。そもそも栞以外に交際の経験も、それ以前に友達付き合いすらしてこなかった俺に、正解なんてわかるはずもないのだが。


 ちょくちょく読んでいるラブコメなんかも、主に男性をターゲットに書かれているのは知っているので、実際に参考にしてもよいものかどうか不安が残る。


 栞は今まさに、俺にもたれかかって、俺の持ってるラブコメ小説を読んでいるのだが。


「どうしたの? チラチラ私のこと見て。顔に何か付いてる?」


 悩みながら栞に視線を向けていた俺に気付いたらしく、そう声をかけられる。


 可愛いらしい目と鼻と口は付いてるけども……。

 けど今はそういう話ではなくて……。


「それは大丈夫なんだけど……」


「だけど?」


「俺達、えっと……、付き合い始めた、じゃない?」


「う、うん。そうだね」


 付き合い始めた、という言葉に反応して少し頬を染める栞。俺もまだ照れくさくて辿々たどたどしくなってしまう。


「それでさ、付き合うってどうしたらいいのかなって思って……」


 少し情けないな、とは思う。本当は男らしく栞を引っ張ってあげられたらいいのだけど。


「確かに……。私もいつも通りにしちゃってるし……」


 栞も読んでいた本から目を離して、俺と一緒に考えてくれる。『むむぅ……』と唸りながら悩む顔もかわい──これを言い出すと全部に言わなきゃいけなくなるから、やめておこう。


「これはこれで悪くないんだけどね……。今までと全く同じだから、これだけでいいのか不安でさ……」


 ぴったりと寄り添って静かに過ごす時間は確かに恋人同士の時間と言えると思う。付き合う前からやってはいたのだが、今となってはお互いに好意があってのことだってわかっている。


「うん、そうだね。私もね、こうやって涼にくっついて過ごすのは好きだよ。でも……、う〜ん……」


 栞の方も話を聞いた限りでは俺が初めての恋人らしいので、経験値としては俺と同じ。考え込んでしまうのも仕方ない。


「もし何か栞がしてみたいこととかあれば言ってもらえると助かる、かな」


 情けないと思いながらも自分だけでは思いつきそうもないので、もし栞がしたいことがあるなら、叶えてあげたい。


「えっと、じゃあ、ひとつだけ……」


 おずおずといった様子で栞が手を上げて切り出す。


「うん、なに?」


「えっとね、涼とデート、してみたい、です……」


 デート、まさに付き合っている男女がする定番とも呼べるもの。そんな簡単なものすら俺は思い浮かばなかった。俺は自分で思っているよりもポンコツなのかもしれない。


 とにかく栞がせっかく出してくれた案なので、もちろん採用だ。


「う、うん。いいよ。しようか、デート」


「へへっ……。やった」


 俺が栞の提案を受け入れれば、栞は嬉しそうな顔を浮かべる。


「そんなにしたかったの、デート?」


 あまりに嬉しそうだったのでついついこんなことを聞いてしまう。


「うん……。だってね、涼との初デートは、その、あんなことになっちゃったじゃない?」


 俺達の初デートというのはきっと花火のことを言ってるんだろう。あの日は本当に色々あって、『あんなこと』という言葉では到底片付けられないのだが。普通に花火を楽しんで終わっていたら、栞は俺から離れていってしまっていたそうだし。美紀さんと遭遇したことがきっかけでゴタゴタはしたけど、栞の問題にキリがついたので悪いことばかりではなかった。気持ち的には今もまだ複雑なところではある。


「まぁ、色々あったからね」


「うん……。あの日のおかげで、結果的には今こうして涼と恋人になれたわけだけど、それでもちょっと悔しい気持ちもあってね。だから、ちゃんとお付き合いを始めてからの初デートでやり直したいなって思ったの」


「そうだね。じゃあ今度は目一杯楽しまないとね?」


「うんっ。それでね、行きたいところっていうか……、服をね、買いたいなって思ってるんだけど、付き合ってくれる?」


「服?」


「うん。私ね、あの頃から地味な服ばっかりで、可愛い服とか欲しいなって。できれば、その、涼が喜んでくれるような……」


「う、うん……。あれ、でも昨日の服は? あれ、すごく可愛かったけど」


 栞が言う通り、普段は地味な服装が多い。ジーンズにサマーパーカーとか、色合いにしてもモノクロ系が多い。その点、昨日の服は気合の表れもあるのだろうけど、清楚な栞の雰囲気にとてもよく似合っていた。


「そう言ってくれるのはすごく嬉しいんだけど……。あれね、一昨年くらいに買ったんだけど、実は……、ちょっとサイズがきつくて……」


「そうなの? ぴったりに見えたけど」


「それは……、ほら、私も色々成長してるし、ね?」


 恥ずかしそうに俯く栞の視線を追うと、胸元に辿り着いて、慌てて目を逸らした。まぁ、きっとそういうことなんだろう。俺から言及するわけにもいかないから黙っておくけど。


「ま、まぁ、それなら買い物、付き合うよ」


 俺も恥ずかしくなってきて、そう誤魔化した。


「買い物じゃなくて、デート、だからね? 涼も一緒に楽しんでくれないとイヤだからね? あと、涼の服も見るから」


 付き合う直前まで後ろ向きなことを言っていたと思えないほど、前向きで、真っ直ぐで。急激に立場が逆転していくような気がする。といっても俺もリードできてるわけじゃないけれど。


 更にもう一つ気になることが。


「俺のも?!」


「ダメかな? 涼も私好みになってくれると嬉しいんだけど。あっ……。別にね、今がダメってわけじゃないからね? もっと格好良くなってくれたら嬉しいってだけで……」


 慌ててアワアワし始めた栞がおかしくて。


「わかった。じゃあデートで決まりね。いつにしようか? 俺はいつでも、っていうか俺の予定なんて栞とのもの以外ないからさ」


「じゃあ、じゃあね、明日! 明日でいい?!」


「ん、わかった。明日ね」


「うんっ。へへ、楽しみだなぁ……」


 結局、俺が思っていた話の主旨とは少しずれてしまったけど、まずはデートをするということに。付き合い方の方はまた改めて。明日に向けてウキウキしている栞を見て、もう少しこのままでもいいかと思ったり。俺達なりにゆっくりとやっていけばいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る