三章 栞の過去

第20話 花火大会1

 今回の花火大会の会場となっているのは俺の家から車で15分程度の距離にある港近くの公園だ。


 早めに家を出たはずなのに、道は結構混んでいた。会場に近付くにつれ車の数は増えていき、ついにはすっかり渋滞にはまってしまった。すでに10分は同じ場所で止まっている。


「うーん……。全然進まなくなっちゃったわね。二人ともここから歩いていく? そのほうが早い気がするけど」


「俺はいいけど……。栞は大丈夫?」


 俺は普段通りの格好なので、少しくらい歩くのは全然問題ない。でも栞は浴衣だ。しかもそれに合わせて下駄を履いている。きっと歩きにくいだろうっていう心配だ。


「ちょっとならたぶん平気だよ。それに間に合わないのもイヤだし」


「なら歩こうか。母さん、そういうわけだから」


「はいはい。いってらっしゃい。帰りもきっと渋滞すると思うし、近くまで来たら連絡するから」


「ん、ありがと」


「水希さん、ありがとうございます」


「いいのよ。二人とも楽しんでらっしゃい」


 母さんに見送られて車から降り、栞と並んで歩くことに。同じことを考えている人や、そもそも歩きで来ている人も結構いるらしくて歩道には会場へ向かう人の波ができていた。


「ねぇ、涼。また、手、いいかな……? 下駄って慣れなくて歩きにくいの。転ぶの怖いし……」


「いいの? 誰か知り合いに見られたりとか……」


「涼ですら最初わからなかったんだし、今の私を私だって気付く人なんていないと思うから。それにこれだけ人がいたら大丈夫だよ」


「そういうことなら……」


 そっと栞の手を取ると嬉しそうな顔をしてくれた。


「ありがと。涼の手は大きいねぇ」


「そうかな?」


「うん……」


 繋いだ俺の手を栞の指が撫でた。思わず栞への想いが溢れそうになったけど、その手が少しだけ震えていることに気付いた。


 なぜか栞が俺の手から抜け落ちてしまいそうな気がして、怖くなった。俺は半ば無意識に繋いだ手に力を込めていた。


「涼……?」


 そんな俺に栞は不思議そうな視線を向ける。


「はぐれたらイヤだからな」


 理由はわからない。でもこうしないと失ってしまうような気がしたんだ。


「そう、だね」


 栞もしっかり握り返してくれて、少しだけ安心した。



 会場に到着すると、いろんな食べ物の屋台が出ていて、人も多く賑わっていた。


「すごい人だねぇ」


「手、離さないようにね。本当に迷子になりそうだから」


「涼は心配性だなぁ。はぐれたら電話するから平気だよ。それとも私と手を繋いでたいだけかな?」


 今日は少し硬いと思っていた栞も、ここにきて冗談を言えるくらいにはなったらしい。


「そうかもね」


 でも今日の俺はそれに動じたりしない。繋いだ手は離すつもりなんてないんだから。ちゃんと告白できるまでは。


「そこで動揺してくれないと私が恥ずかしいんだけど……」


「たまには栞もそういう気分を味わうといいよ。それよりも花火が始まる前に何か食べようよ。栞は何か食べたい物あった?」


 俺達は今日は夕飯を食べていない。屋台が出ることを聞いていたので、ここで食べる予定にしていたのだ。花火が始まってからっていうのも、もったいない気がしたので早めに済ますことを提案した。


「うーん……。あっ! 私たこ焼きにしようかな」


「おっけー」


 俺達はちょうど目の前にあったたこ焼き屋で一パック購入した。さすがにお金を払う時は手を離したけど、栞がたこ焼きを受け取るとすぐに空いている手を繋ぎ直した。


「ねぇ、これじゃ食べれなくない?」


「俺が持ってるから、栞食べなよ」


 俺が空いている方の手でたこ焼きを受け取り、栞に差し出す。


「もう……。どんだけはぐれる心配してるのよ……」


 と言いつつも、栞も手を離す様子はない。栞は俺の手から爪楊枝で一つたこ焼きを取ると、まだ湯気のあがるそれにフーフーと息を吹きかけてから口に入れる。


 少し嬉しそうにモグモグしている姿すら可愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。


「ん、美味しい。なんでこういうところで食べると美味しく感じるんだろ?」


「身も蓋もないけど雰囲気、なんじゃないかな。味なんて実際はそんなに変わらないんだろうから」


「そっか。そうだよね」


 更に栞はもう一つたこ焼きを取り、先程と同じようにして冷ます。それを自分の口に運ぶかと思いきや、俺に差し出してきた。


「はい、涼も」


 差し出されたそれを反射的に口に入れてしまった。のだけど……。俺はタコが苦手だったりする。あのグニュグニュした食感がどうにもダメなんだ。とはいえ、口に入れてしまったものを吐き出すわけにもいかず、あまり噛まずに飲み込んだ。


 そもそも栞が食べさせてくれた物を吐き出すなんて、そんなもったいないことするつもりはないけど。


「あ、ごめん……。イヤだった? 爪楊枝、私が使ったやつだったね……」


 俺の複雑な表情に気付いたんだろう。栞は心配そうな顔で俺を見ていた。


「ううん、それは平気……。実はタコ、苦手なんだ……」


 まるでカップルのように食べさせられたことは、それはそれで恥ずかしさもあるんだけど、そこは今日の俺にとっては追い風のように感じられた。


「あ、そっち」


「タコ抜けば食べれるんだけどね」


「ふふっ、それもうたこ焼きじゃないじゃん」


 照れ隠しの俺の言葉に栞は笑ってくれた。まだ友達だけど、まるでデートみたいで心がフワフワする。はたから見たら完全にデートなんだろうけど。


「確かに……」


「それなら次は涼の分、何か探さなきゃね」


「んー……。フランクフルトでも食べようかな」


「じゃあ買いに──」


「まずはそれ食べ終わったらね。手が塞がっちゃうから」


 栞が俺の手を引いてフランクフルトの屋台に向かおうとするのを引き止める。


「なら手、離したらいいのに……」


「そう言う栞だって離そうとしないじゃん」


「それは……、私もはぐれたくないし……」


 結局のところお互いにこの状況を楽しんでいるということなのだろう。


 ちゃんと栞がたこ焼きを食べ終わるのを待って、俺の分を買いに行った。先程と同じようにお金を払う時だけ手を離して、また繋ぎ直して。


「いただきまーす」


 フランクフルトに齧りつく。栞の言う通り、こういうところで食べると美味しく感じた。


「涼ってそういうところ律儀だよね?」


「へ? 何が?」


「ちゃんといただきます言うところ」


 俺としてはなんの気無しに言ったんだけど。


「変かな?」


「ううん、涼らしくていいと思う。ねぇ、私にも一口ちょうだい?」


「いいけど、いいの?」


「なんか変な日本語だよ? 意味はわかるけど」


「わかればいいんだよ。それより……」


「いいよ。私だって涼に食べさせちゃったし、これでおあいこでしょ?」


「そういうなら……」


 栞は俺が齧ったところから、ためらいなく齧り付いた。


 栞は平気なのかな……? だってこれ……。飲み物回し飲みするとかよりもハードル高くないか?


「うん。これも美味しいね」


 そんな俺をよそに、栞はモグモグと咀嚼して飲み込んだ。気にしてないならいいけど、俺ばっかりドキドキしてるような気がする。と思ったけど、やっぱり栞の顔も赤いかもしれない。


「後はどうしようか? 涼はそれだけじゃ足りないでしょ?」


「そうだけど、でも次は栞が選びなよ」


「私さっきので結構満足して──」


 その時、栞の言葉を遮るように、俺達の正面から声がした。


「し、栞……?」


 これはもちろん俺が呼んだんじゃない。誰も栞のことなんてわからないなんて言っておいて、しっかり遭遇してるじゃん、と思ったところで異変に気付いた。


 繋いだ手が震えている。手を繋いだ最初の時みたいに微かではなく、ガタガタと音を立てそうなくらい。


 声のした方を見た栞の顔は強張り、青ざめていた。


「な、なんで……?」

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