第9話 友達になりたい

 黒羽さんと試験勉強を一緒にしながら、俺は少しだけ先のことを考えていた。


 試験のその先、つまりは夏休みのことだ。


 黒羽さんとはそこそこ仲良くなってきたと思う。図書室限定で他の人から隠れるように行われる勉強会という名目のこの時間。俺はこの『誰かと一緒の時を過ごす』という時間に夢中だった。


 これまで一人寂しく過ごしていた俺には手放し難いものになっていた。


 でもこのまま夏休みになれば、その間はまた例年通り家で一人ダラダラして過ごすことになる。母さんは基本的に家にいるので厳密には一人じゃないのだけど、家族なのでノーカンということで。


 しかも夏休みは長い。夏休みの間に何もないまま二学期に入ったところで、またこの関係が復活するという保証もない。


 ならきっと自分で行動を起こすべきなんだろう。


 問題はどうやって切り出すのか。拒否されるかもしれない恐怖を乗り越えて、どう言葉にするのか。


「高原君? 手、止まってるけど?」


「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」


「ダメじゃない。集中しないと私に勝つなんて不可能よ?」


「いや、そもそも勝てるなんて思ってないから」


「そんなのやってみないとわからないじゃない。最近ずっと見てるからわかるけど、高原君だってちゃんと成長してるわよ? 苦手だって言ってた数学でも、今は解けない問題なんてほとんどないでしょ?」


「そりゃあれだけ教えてもらってればね」


「私が教えてるんだから当然、って言いたい気持ちもなくはないけど、でもそれは高原君が自分でも頑張った成果だと思うわよ。だからもっと自信持ちなさいよ」


 自信、か……。

 確かに俺は今までそれがなくていろんなことから逃げてきたんだっけ。


 この時、先程の考え事と黒羽さんの言葉がカチリとはまった気がした。


 俺達の今の関係もお互いの行動の結果で今がある。


 自信がなくて臆病で弱くてダメダメな俺でも、ここまでこれたのなら、なるほど、自信を持ってもいいのかもしれない。


 黒羽さんの言葉はいつも俺に勇気をくれる。ならそれをちゃんと見せないと。


「それじゃちょっと聞いてほしいことがあるんだけど……。いいかな?」


「ん? わからないところの質問とかじゃなくて?」


「うん。勉強中に脱線するのは申し訳ないんだけどさ……」


「まぁ、少しくらいなら……。それで、なに?」


「えっと、その、さ……。俺、黒羽さんと友達になりたいなって思ってて……」


 自信なんて微塵も感じられないセリフになってしまった。でも俺にしては上出来だと思う。今まで一度も自分から言うことができなかった言葉だから。


 あとは返事を待つだけ。結果は黒羽さんの手に委ねられた。


 なのだが、口にしてしまった後からまた恐怖が襲ってきた。黒羽さんは悩んでいるのか黙ったままで余計に不安が増してくる。


 ついに不安に耐えられなくなった。


「ダメだよな……。俺とな──」


「あっ……。ごめんなさい……」


 ──んて。


 俺の言葉は途中で遮られた。謝罪という形で。

 つまりはダメだということだ。


「い、いや! 俺の方こそごめん、いきなりこんなこと言って。今の話は忘れてくれていいから」


「やだ……」


「やだって……」


「やだ! 忘れない、絶対に!」


「だって嫌だったんだろ?」


「嫌だなんて一言も言ってないもん……。なる、なるよ。高原君の友達に」


「いい、の……?」


「いいって言ったでしょ……!」


 黒羽さんが俯く、肩が震える。しばらくして黒羽さんの広げたノートに雫がポトリと落ちた。それはしだいに勢いを増していく。


 でもこの涙はきっと大丈夫だ。なぜかそんな確信があった。



 ◆黒羽栞◆



 どうしてだろう? どうしていつも彼は私の欲しい言葉をくれるんだろう?


 タイミングはともかくとして。


 今の彼は私の一歩だけ先にいると思う。そこから手を差し伸べてくれている。今回で言えば『友達になりたい』って。


 たかが一歩。けどこの一歩というのが私にはありがたかった。



 例えば、はるか先から私のことを呼んでいる人がいるとする。『ここまでおいで』って。きっと大声で応援だってしてくれることだろう。頑張れって。


 でも私みたいに心が疲弊しきってる人間はそこに辿り着く前に力尽きてしまう。助けてくれる人もいなくて、掴まるものもなくて、立っていることすらできなくなってへたりこんでしまう。


 頑張れなんて言葉じゃどうにもならない。こんなんでも、すでに精一杯頑張ってるんだから。



 でもそれが一歩先ならどうだろう。きっとそれくらいならなんとかなるって思える。手を伸ばせば触れられる距離。私が躓いだらきっと支えてくれる、そんな安心感のある距離。


 ちゃんとその一歩が進めたら、またその先に一歩。たまには私が一歩先に出ることもあるかもしれない。そしたら今度は私が手を差し伸べる。そうやってゆっくりとだけど確実に進んでいける。どこまでも。そう、きっとどこまででも行ける。


 彼の言葉は、態度は私にそう思わせてくれるものだった。


 つまり、何が言いたいかというと……。

 『友達になりたい』というのは私が言おうと思っていたことなんだ。本当は私から言うつもりだった。


 彼との時間が想像以上に心地良かったから。他人との関係に飢えていたっていうのもあるけど、それだけじゃない。彼だからこそだ。


 自信なさげで臆病な彼だから私は惹かれたんだと思う。彼のその性格の根底にあるのはきっと優しさだから。それだけじゃないってことはわかっているけど。たぶん彼も何かを抱えてるはずで。



 『友達になろう』、そんな言葉で友人関係になる人なんて少ないのかもしれない。普通は少しずつ話をするようになって、気が合って、いつの間にかってことが多いんだろう。


 今の私達を人が見たらもう友達だろって言われてしまうと思う。


 でも、私達にはちゃんとした言葉が必要だった。言葉にして、確信を得られなければ友達になることすらできない。不確かなものは不安の種にしかならないから。


 過去の出来事から私は慎重になりすぎる。トラウマは私の足をすくませる。それに断られることだって怖い。


 試験で勝負をするというのもこの話をするためで。負けた方がなんでも言うことを聞くというルールで、断られるリスクを無くして臨むつもりだったのだ。


 それなのに……。


 それを彼はこんなにあっさりとやってのけた。私がウジウジしている間に。


 これが彼がわたしの一歩先にいると言った理由。


 彼の成長速度は恐ろしいものがある。

 元々が低すぎた、なんて私も偉そうには言えないけれど。


 私が『自信持ちなさいよ』って言っただけでこれだ。ただ勉強について言っただけなのに、彼はそれを別のところに当てはめた。


 だから友達になりたいと言われた時、固まってしまった。予想外のタイミングだったってのもあるけど、色んな思いが駆け巡って返事ができなかった。


 そのせいで彼を不安にさせてしまった。せっかく勇気を出してくれたのに、危うくふいにしてしまうところだった。


 最初に黙り込んでいたことを謝ったことで誤解されかけた時は本当に焦った。おかげであまりにも必死な姿を晒してしまった。


 でも、繋ぎ止めた。すっかり心の支えになってしまっている彼を失わずに済んだ。


 嬉しさと安堵で涙が溢れてきた。


 ただただ涙を流す私に高原君は狼狽えていたけど、心配してくれているのはわかる。


 はとても優しくて暖かかった。

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