第7話 強くなるという決意

 黒羽さんを泣かせてしまったという事実は俺の心をさいなんだ。


 空気も読めず、無神経で、不躾で。こんなやつが誰かと仲良くするなんて、とてもじゃないけど不可能なんだ。


 あの日以来、黒羽さんを視界に捕らえるだけで胸がズキッと痛んだ。謝りたかったけれど、これ以上は彼女を更に苦しめるだけなんじゃないかと思うとどうにもできなかった。


 週末一人で悩んで悩んで一つの答えを出した。


 もう忘れよう。そして今まで通り過ごそう。あの二回の出来事はなにかの夢、そう思い込もうって。


 そりゃあ、一人でいるのは寂しいさ。でもそのせいで誰かが苦しい思いをするのはもっと嫌だから。


 月曜日、重い足取りで登校すると、まだ黒羽さんはいなかった。忘れようって思ったくせに姿を探していた。


 普段ならもっと余裕を持って席について、本を読んだり自習していたりするのに。真面目な黒羽さんにしては珍しい。もしかしたら今日は来ないんじゃないか、そんな考えが頭をよぎった。


 もしそうだとしたら、きっと俺のせいだ……。


 結局、黒羽さんは始業ぎりぎりになって教室に入ってきた。彼女の姿を見た途端、安堵と胸の痛みが同時にやってきて、自己嫌悪した。


 全然忘れられていないじゃないかって。


 放課後、自然と足が図書室に向いていた。あの場所は苦い記憶を呼び起こすのに、習慣というのは恐ろしくて気付けばいつもの席に座っていた。


 どうせ月曜日は黒羽さんの当番じゃない。彼女の当番の日だけは来るのをやめよう、それだけは心に決めた。


 いつものように教科書を開くけど、全く集中できない。ぼーっと目が文字をなぞるだけ。これではなんのためにここにいるのかもわからなくて。


 やっぱり帰ろうか、そう思い始めた時だった。


「あ、あの……。高原、君……」


 聞き覚えのある声に身体がビクッと跳ねた。

 恐る恐る顔を上げると、そこには黒羽さんがいた。


「えっ? 黒羽、さん……?」


「うん……。あの、えっと……」


 あんなことを言ったのにまだ俺に話しかけてくれるのか……。いや、恨み言を言いたいだけなのかもしれない。


 怖い。拒絶されるのが。

 でも、忘れることなんてできなくて。


「ごめん! 黒羽さん、俺、無神経だった。黒羽さんのこと何も知らないくせに偉そうにあんなことを……」


「えっ……。あの、待って。なんで高原君が謝るの?」


「だって俺……、黒羽さんのことを泣かせて……」


「あ、あれはその……泣いてなんか……、いえ、泣いたかもしれないけど、私が言いたいのはそういうことじゃなくて……。えっと、その……ごめんなさい!」


 俺が悪いはずなのにお互いが謝っていて、意味がわからない。


「……なんで黒羽さんが謝るんだよ。どう考えても悪いのは俺──」


「違うの!」


「違うって……?」


「あの時、心の中を見透かされた気がして動揺しちゃって、拒絶するようなことを言ってしまったけど……。その、ね……? 私、嬉しかった、んだと思う……」


 黒羽さんの肩が震えている。それは今の俺と同じで、同じだからわかってしまう。


 あの二回の二人だけの時間が楽しかったんだって。ただ勉強を教えてもらっていただけだけど、誰かと過ごす時間が嬉しくて、それが失われるのが怖いんだって。だからわざわざまた俺に声をかけてきたんだって。


 強いなって思った。

 俺は忘れようとしていた。自分から行動をおこすことを諦めた。


 でも彼女は自分でここに来た。自分の行動を省みて、ちゃんと自分の意志で。


 自分が弱くて情けなくて後悔ばかりだけど、今からだってできることはあるはずだ。なら、俺の取るべき行動は決まっている。


「えっと、黒羽さんは俺のこと怒ってないんだよね?」


「うん……怒ってない、よ」


「ならさ、また勉強、教えてもらってもいいかな?」


 これが今の俺にできる精一杯。でも受け入れてもらえれば、またあの関係が続けられる。


「高原君は、私のこと怒ってない、の……?」


「正直、構わないでって言われた時はカチンと来たよ。でも、もうそんなことどうでもいいんだ。それよりも俺の提案、受けてくれるの? 俺さ、あの時のことが気になりすぎて全然授業に身が入らなくてわからないとこだらけなんだよ」


「もう……。──しすぎるよ……」


「え?」


「ううん。なんでもない。わかった、教えてあげる。でも私の授業は厳しいからね? 覚悟してよね?」


「うぇ……。お手柔らかに頼むよ……」


「だーめ。私が教えるからには期末試験も上位の成績じゃないと許さないから」


 こんなことを言いながらも黒羽さんの授業は優しくて丁寧で、俺が理解するまでしっかり付き合ってくれた。


 楽しくて、心地良くて、自然に笑みが溢れていた。


「なによ、ニヤニヤして。気持ち悪いわね。なんか余裕そうだし、もっと厳しくした方がいいかしら?」


「いやいや! 今のままで大丈夫だから!」


「ならもう少し真剣に聞いてね。私も真剣なんだから」


「あぁ、わかったよ」


「それじゃ次のところに進むわよ。ちゃんとついてきてね」


 そうだ。もっと真剣に向き合わないと。黒羽さんがじゃなくて、俺がこの関係を続けたい。失いたくないと思えるくらい大切になっていた。


 ついていくだけじゃダメだよな。もっと強くならないと。せめて隣に並べるくらいには。


 だからこそ、もし次に何かあった時は俺がどうにかするんだ、そう心に決めた。



 それから黒羽さんの授業は下校のチャイムがなるまで続くことになる。


 俺は真面目に話を聞いて、時には冗談を言い合ったりして、これまで以上に充実した時間となった。

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