第2話 黒羽栞という女の子

 黒羽さんとの出会いは高校の入学式の日にまで遡る。


 俺がこれまでの自分と決別することを決意して臨んだ日だ。


 いや、今に至るまで達成できてないじゃないかというツッコミはやめてくれよ。しょうがないだろ? これくらいでうまくいくなら、その前にできてるってもんだ。



 入学式の最中、新入生代表の挨拶。その時に名前を呼ばれたのが黒羽さんだった。


 壇上へと向かう後ろ姿は堂々としたものだった。新入生代表に選ばれるということは、入学試験をトップの成績で通過したということになる。


 なるほど、それならばあの立ち姿も頷ける。そう一人で納得しながら俺は眺めていた。


 澄んだ綺麗な声で答辞を述べる彼女の声に新入生達は静かに耳を澄ませていた。はっきりと聞き取りやすいペースで、途中噛んだりすることもなく、まさにお手本のような答辞だった。


 勉強ができて、人前でも緊張した様子もなくて。世の中にはこんなできた人もいるのか、などと感心していたわけなのだが。


 この俺の考えは式の後の初めてのHR、自己紹介の時間に覆されることになる。



 ***



「みなさん、入学おめでとう! 私がこのクラスの担任になる連城茜れんじょうあかねです。これから一年間よろしくお願いします! とりあえず私のことは後にして、皆のことを教えてもらおうかと──」


 やたらとハイテンションな担任の自己紹介で、俺の決意は吹き飛ばされそうだった。圧倒されていたんだと思う。


「せんせ〜い! れんれんって呼んでいいですか〜?」


「おっと、初日にいきなりあだ名を付けられたのは初めてよ……。なかなかいい度胸してるじゃない。えーっとあなたは──」


「楓です! 楓彩香かえであやか! れんれんよろしくね!」


 元気よく答えた彼女は楓さんというらしい。


「おい、彩。お前いきなり飛ばしすぎだろ……」


「いいじゃん。はるかも真面目ぶってないでアピールしてかなきゃ! こういうのは最初が肝心なんだから!」


「それじゃ楓さん? 自己紹介の最初はあなたにお願いしようかしら。存分にアピールしてくれてかまわないわよ?」


「え〜! そういうのは出席番号順とかじゃないの〜? れんれん横暴だー!」


 この一連のやりとりで教室中から笑いが起きる。クラスの中心となるのはきっとこういう人なんだろう。明るくてハキハキしていて、俺には眩しすぎる。


 一方の俺は決意なんて完全に吹き飛んでしまっていた。こうはなれない、そう思ってしまったから。


 笑っているクラスメイトを他所に俺は一人胃の痛い思いをしていた。メンタルが弱いにもほどがある。たかが自己紹介と割り切れたら楽なのに。


「余計なことを言ったあなたの自業自得よ。観念なさい。あとれんれんじゃなくて、連城先生って呼ぶように!」


「むぅ……。しょうがないなぁ。いいよっ、やってあげる。自己紹介くらいなんてことないしね。でも二番手は遥よろしくっ!」


「おい、なんで俺まで……」


「えーっと、遥、遥っと……、ん、柊木君ね。柊木君は後でいいわよ。ダメよ、楓さん。人を巻き込んじゃ」


 先生は名簿から巻き込まれかけていた男子の名前を確認してから楓さんを嗜める。


「ぶ〜……」


「ぶ〜、じゃないの。それじゃ早速始めましょうか」



 結局、楓さんが自己紹介のトップバッターをつとめ、その後は出席番号順にということになった。最初に和やかな雰囲気ができあがっていたおかげで、皆気負うことなく次々に自己紹介を済ませていった。


 黒羽さんの順番が回ってくるまでは。


 新入生代表をつとめたということもあって、皆の期待は高まっていたと思う。いったいどんなことを話すのか、ワクワクした視線が集まる中、黒羽さんが口を開いた。


「黒羽栞です。趣味は読書。最初に言っておきますが、私は皆さんと仲良くするつもりはありません。なので皆さんも私に関わらないでください」


 それまで和やかだった空気が凍りついた瞬間だった。


 他のクラスメイトは『仲良くしてください』とか『よろしくお願いします』なんて言って締めくくっていたのに、黒羽さんはその真逆。『関わるな』と言ったのだから。


 たっぷり3分は時が止まっていたと思う。衝撃すぎて時間の感覚なんてなくなっていたけど。


 誰もがポカンと口を半開きにして黙り込んで、重苦しい空気が漂う。


 最初に我に返ったのは連城先生だった。


「えぇっと……。黒羽さん? それはいったいどういう……?」


「すいません。わけは言いたくないです。とにかく私のことはそっとしておいてくれればそれで大丈夫ですから」


「あ、うん……。えー……、そうね。人それぞれ色々あるものね。うんうん、仕方ないよね。じゃ、じゃあ次の人、いこっか……?」


 先生ですら挙動不審にさせる自己紹介。この次の人は本当に可哀想だった。何を話していいのかわからなくなっていて、涙目にすらなっていた。誰もまともに聞ける状態じゃなくなっていたのが救いか。


 俺もその空気にすっかり飲まれて、噛み噛みでボロボロな自己紹介を済ませた。喋り終わって椅子に座った瞬間には、もう何を言ったのか覚えていなかったくらいには動揺していた。



 その後の結果は言うまでもないことだと思うけれど、あんな自己紹介をした黒羽さんに話しかけに行く猛者が現れるわけもなく。


 かくして我がクラス、1年5組に2人のぼっちが誕生した。


 もう一人は誰かって? そんなの言わなくてもわかるだろ? 俺だよ……。

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