第3話 壊れた心

 ◆黒羽栞◆


 高校入学からそろそろ2ヶ月。最近の私の心はどこかおかしいらしい。壊れている、そう言ってもいい。


 だって自らクラスメイトに『関わるな』と言っておきながら、人恋しいなんて思ってしまっているのだから。


 それににあっておきながら人恋しいなんてどうかしてるとしか言いようがない。


 に決めたはずだ。


 二度と他人を信用しないって。これ以上傷つくのは嫌だって。他人と関わりさえしなければ、あんなことにはならないからって。


 でも……。


 孤独というのはなかなかに堪える。気付かないようにしよう、そう思えば思うほど私の心と身体を蝕んでいく。


 寒い……。寒いよ……。


 季節は春から夏へと向かっていってるというのに、私は言いようのない寒さを感じていた。爪先から頭の天辺まで凍りつきそうなくらい。孤独は私の心に凍えるほどの寒さを与えていた。



 しばらくは傷付く恐怖と孤独という相反する感情をもてあます日々を過ごしていた。


「あ、あの……黒羽さん?」


「ん? 何かしら?」


 驚いた。私に話しかけてくる人がいるなんて。


「あのね、今日……、ノートの提出があるから……、その、後は黒羽さんだけなんだ……」


 あぁ、そういうことか。私としたことがすっかり忘れていた。こういうことがないように言われる前に提出するようにしていたのに。


「ごめんなさい。これ、お願いします」


「う、うん。ありがとう……」


 ノートを手渡すと、申し訳無さそうに受け取って去っていった。


 忘れてた私が悪いはずなんだけどなぁ……。


 すっかり腫れ物扱いが板についてきた。仕方ないよね。自分からそうしろって言ったんだもの。


 でも、やっぱり寂しいな……。


 休み時間や放課後に周りのクラスメイトがワイワイやっているのを見ると、その思いはより顕著になる。だから本を開いて意識を逸らす。


 見たくない、聞きたくない、何も感じたくない……。


 でも本当は……。


 怖い、苦しい、寂しい! もうどうしたらいいのかわからない! 頭の中グチャグチャでおかしくなっちゃいそう! 誰か……誰か助けてよ!


 心の中でそう叫んでも誰にも伝わらないのはわかってる。それでももう私は誰かに縋りたくて仕方がなくなっていた。


 誰かいないだろうか……。私を助けてくれる人。この灰色の世界から救い出してくれる人。


 誰でもいいわけじゃない。リスクは少ない方がいい。


 いつからか、私は私を救ってくれそうな人を探すようになっていた。


 苦しいのを我慢して、クラス全体に意識を向けるようにした。すると気付いた。私と同じでいつも一人でポツンとしてる人がいることに。チラチラと他のクラスメイトを見る目には羨望が宿っている気がした。


 あの人ならもしかして……。

 彼も孤独を感じているのなら、少しでも私の気持ちを分かってくれるかもしれない。きっかけは違うかもしれないけど、今の境遇は同じなんだから。


 それから数日は彼のことをずっと目で追っていた。名前は知ってる。一応ちゃんと全員の自己紹介を聞いていたから。記憶力はいい方なの。


 彼は高原君。いつも自信のなさそうな表情をして、猫背で俯きがち。野暮ったい髪に、顔のつくりは……まぁ、悪くない。けど誰かに話しかけられるとアワアワして逃げていってしまう。そんな人。


 彼にしよう。彼なら友人もいなさそうだし、裏切られることもなさそう。


 彼のことを目で追う私の姿は恋する乙女のようだけど、実際中身はそんな綺麗なものじゃない。自分のために利用しようとしてるのだから。


 彼の行動を観察して、一人になるタイミングを探した。幸いそれはすぐに見つかった。


 彼は放課後、毎日図書室へ行く。黙っていたらいつの間にか任命されていた図書委員という立場が役に立った。不自然にならずに彼のそばに近寄ることができる。更に都合がいいことに、放課後の図書室を訪れる人はほぼいない。チャンスはここしかない。


 いつしか高原君に声をかけることは、私の中で決定事項になっていた。


 昔から私はこれと思うことがあると他が見えなくなるところがある。短所だと思っていたけど、この時は私のこの性格に救われることになる。


 次だ。次の当番の日、高原君に声をかけよう。そう心に決めた。



 当日、放課後になると同時に教室を飛び出し図書室へ向かう。カウンターの内側の椅子に座り、何食わぬ顔をして彼が来るのを待つ。


 ほどなくして彼はやってきた。開いた本越しに彼の動きを目で追う。高原君はいつもと同じ席に座り、鞄から教科書を取り出して開く。集中し始めたのを確認してから、私は立ち上がり静かに彼のそばへ。


 ドキドキと心臓がうるさい。

 本当に恋する乙女みたい……。

 それになんだかこれから告白でもするようなシチュエーション……。


 実際は全く違って、こんなにも不純な気持ちで近付こうとしてるのに……。


 近寄る私にも気付かず問題に向き合う姿は真剣そのものだった。


 邪魔しちゃうかな?


 そう思って躊躇っていたけど、彼はあるところで手を止め頭をかしげ始めた。わからない問題でもあったんだろう。でもこれはチャンスだ。


 幸い私は勉強はできる方だ。他にやることがないから勉強ばかりしてるせいなんだけど。とにかくチャンスだ。私は静かに彼の後ろに移動して手元を覗き込む。


 あぁ、なるほど。これでは解けるはずがない。やっぱり今しかない。大丈夫。ここまできて引き返せないでしょ? 

 私が教えてあげようか? って、そう言うだけでいい。


「ねぇ、高原君? ここ、間違えてるわよ?」


 思いっきり冷たい声が出た。口調もなんかおかしくなってしまった。本来の私はこんな喋り方しないのに。本来の私というものは既に見失いかけているけれど。


 緊張しすぎた。失敗してしまった。こんなはずじゃなかったのに。


 でも……、ようやく第一歩を踏み出した。



***



 このおかげで私はかけがえのないものを手に入れる。大金や権力みたいな俗なものじゃなくて、優しくて温かくて幸せな日常を。ありきたりかもしれない、でもこの時に私が本当に必要としていたもの。


 私はまだ知らない。ここから始まるのが、とてもとても大切で特別な彼と私の物語だってことを。

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