第8話 『頑張って』
「はぁ~・・・この日が来てしまった」
ため息交じりに呟きながら、憂鬱な気分で向かえたマラソン当日。
10月も終わりに差し掛かり、風もだいぶ肌寒く感じ始めている中、長袖ジャージに体操着の短パンという格好で、他の生徒と一緒に校門前に集まっていた。
今日はこのマラソンが終われば、軽くホームルームをしたあとは下校、部活がある生徒は、昼ご飯を食べた後に部活という日程だ。
早く下校できるのは喜ばしいことだが、運動があまり好きではない僕にとっては、このマラソンは地獄そのものだ。
「それでは、マラソンについての説明を行うぞ」
体育の先生が生徒の前に立ち、メガホンを使用しながらこの後のマラソンの走るルート、注意事項の説明をしていく。
要約すれば、走るルートは学校の周りを大回りで3周して、戻ってくる約3kmのコースを、一般の人たちに気を付けながら走るという感じだ。
走るコースの何か所に先生が待機していて、万が一の事態に備えている。
最初は男子組、その後に女子組。
そして、全員ゴールした後に集計を行い、10位以内に入った人数が一番多かったクラスにご褒美があるといった説明だった。
説明があった後、生徒全員で軽い準備体操を行ってから、男子生徒はスタート地点に移動となった。
「拓道~!ちゃんと走ってよ?」
「・・・考えとく」
「手を抜いたら後で引っ叩く」
「暴力反対!」
桜とそんなやり取りをしていると、柊木さんがこっちを見ているのに気付いた。
すると、柊木さんが周りに気づかれないように軽く手を振って、『頑張って』と声に出さず、口を動かして伝えてきた。
それを見て、思わず顔を逸らしてしまった。
「・・・?」
(・・・それはずるい)
柊木さんのその仕草が可愛くて心なしか頬が少し熱くなっている気がする。
僕が目を逸らしたことを桜が不思議そうに首を傾げたが、近くに柊木さんがいたことを確認すると、ニヤニヤとこっちを見てきた。
「ほら、応援されてるよ?頑張らないとね?」
「・・・うっさい。ナルの応援でもしていてくれ」
そう言って、その場から逃げるようにしてスタート地点へ向かった。
柊木さんが応援してくれると思っていなかったのに、あの不意打ちだ。
桜に煽られたことについては後ほど制裁を加えておくとして、今は目の前のマラソンに集中しよう
スタート地点に着いている頃には、先ほどまでの憂鬱な気分は少し晴れているような気がした。
先生の説明が終わって、男子がマラソンのスタート地点に移動し始めた。
皆から意外だと言われるけど、私は中学の頃も女子テニス部だったし、体を動かすこと自体結構好きなので、今回のマラソンもあまり苦に感じていない。
強いて言えば、今日は少し風が肌寒いと感じるのが嫌だと思うくらいだ。
男子が移動し始めている中、自分も女子の待機場所に向かおうとして、ふと、ある二人組を見つける。
戸田さんと笹原君だ。
あの二人はクラス内でも一緒にいるところをよく見かけるので、本当に仲がいいんだろう。
少しモヤモヤとした気持ちになる。
私だって、本当は笹原君とあんな風に話せるようになりたいけど、ここは学校だ。
友達ならば、堂々と話すべきかもしれないけど、おそらく今はまだ、私も困ってしまうし、笹原君にも迷惑が掛かってしまう可能性がある。
だから、ちゃんと堂々と話ができるように少しずつ頑張っていこうと思う。
そんなことを思っていると、笹原君と目が合った。
堂々と話すことはできないけど、周りに気づかれないように軽く手を振って、口を動かして『頑張って』と声に出さずに言ってみる。
すると、笹原君は目を逸らしてしまった。
戸田さんも私に気づいて、にやにやしながら笹原君に何か言うと、彼は足早にスタート地点に向かってしまった。
な、なにかまずかったかな?
気にはなったけど、私も女子の待機場所に向かうことにした。
「いったぁ~・・・」
私は、ゴール手前で転んで膝を少しすりむいてしまったので先生に一言伝えて、傷口を近くの水道で洗ってから保健室に向かっている。
ズキズキと痛むが、大したケガではないので絆創膏をすれば大丈夫だろう。
「失礼します・・・」
と一声かけて、扉を開ける。
どうやら先生はいないようだ。
「・・・あれ、柊木さん?」
「えっ?」
声をかけてきたのは笹原君だった。
どうしてここにいるのか・・・と思ってみたら、彼の右手に大きめの絆創膏がしてあるのが見えた。
「笹原君、それ・・・」
「あ~、これね。転びそうになって地面に手を突いたときに、小石に当たって怪我をしちゃったんだ」
処置をした右手をひらひらさせながら、苦笑気味に説明してくれた。
大きな怪我ではなくて、安心した。
「そういう柊木さんは・・・膝をすりむいたのか」
「う、うん。ゴール手前でこけちゃって」
「そっか。傷口は洗った?」
「う、うん。洗ったけど・・・」
「それじゃあ、ここ座って」
そう言って笹原君は立ち上がると、自分が座っていた椅子へ座るように促す。
言われた通り座ると、笹原君は保健室の棚から絆創膏を一枚取り出して渡してくれた。
「はい、今先生いないけど、傷口洗ったなら絆創膏あれば大丈夫だと思うから」
「あ、ありがと」
絆創膏を受け取って、傷のあるところに張り付ける。
これでしばらくすれば大丈夫だろう。
「・・・ありがとう、柊木さん」
「えっ?」
笹原君が突然お礼を言った。
絆創膏を用意してくれたし、どっちかと言えば私が言うべきことだと思うけど。
何に対してのお礼だろうか?
「今日、『頑張って』って言ってくれたから」
「~~~~ッ!!」
突然頬が熱くなるのを感じる。
ちゃんと伝わっていてよかったけど、いざ目の前で言われるとかなり恥ずかしい。
「まあ、応援してくれたのに、大した順位でゴールできなかったけど。元々運動とかしてなかったから」
「そ、そっか。・・・ちなみに何位だったの?」
「62位でゴールだったよ」
1年生の男子生徒は大体120人くらいなので、だいたい真ん中の順位だ。
運動していないという割には悪い順位ではないと思う。
「まあでも、応援してくれたことは嬉しかったから、お礼は言っておきたくて」
「う、うん・・・喜んでくれたなら、よかった」
優しい表情で言う笹原君を見れなくて、目を逸らしながら言ってしまった。
ここ最近、笹原君と一緒にいると、よくこうやって顔を見れなくなることが多い。
きっと、まだ男子に慣れていないせいだ。
「それじゃ、誰かに見られないうちに僕は戻るよ」
「う、うん。またね」
笹原君が保健室を出て行ってから、私は少し熱を帯びている顔を両手で覆って、顔を隠す。
どうして、こんな風にドキドキしたりするの。
笹原君が優しいからなのか、私が男子に慣れていないだけなのか、その両方か。
わからないけど、確かなのは、笹原君のことをもっと知りたいって思っていること。
そのためにも、私から動いて行かないと。
そう心に決めて、立ち上がって保健室を後にしたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます