その参
ギオク領主の館では、客人をもてなす宴が開かれていた。
主賓は言うまでもなく、ルフマンドである。
ルフマンドは目の前に並べられた豪華な料理にも手を付けず、演奏されている見事な音曲にも興味を示さない。
ただひたすらに商人達と情報を交換し、商談を進めていた。
と、一際華やかな曲が奏でられる。
同時に艶やかな衣装をまとった少女が、舞い始める。
ルフマンドの視線がそちらに向く。
それを見計らったかのように、ギオク領主が声をかけてきた。
「いかがです? お楽しみ頂いておりますでしょうか?」
「ありがとうございます。身に余るおもてなしに、恐縮しております」
「とんでもない。ご無理を言って来ていただいたのですから。と……レイナ、こちらに」
ちょうど、舞が終わった頃合いで、領主は踊り子を呼び寄せた。
息を切らせ、頬を上気させた少女は、領主の隣に座ると、ぎこちなく床に手を付きお辞儀をする。
「この度お呼び立てしたのは、他でもありません。ギオクで一、二を争う銘酒を、ぜひとも取り扱って頂きたく……。ほら、お酌を」
促されて、踊り子は慣れぬ手つきで酒器を取り、危なっかしくルフマンドと領主の盃を酒で満たす。
我らの新たな関係に乾杯、そう盃を掲げると、領主は一気に飲み干した。
その様子を見て、ルフマンドも盃に口をつける。
と、爽やかだが豊かな味わいの液体が、口内に流れ込んできた。
「……なるほど、これは聞きしにまさる銘酒ですね」
「でしょう? この酒は、砂糖を入れると風味がまた変わるのです」
言いながら、領主は酒器の脇に置かれた小さな壺の中身をルフマンドの盃に入れるよう、少女に促す。
少女はおぼつかない手つきで匙を取り、壺の中の白い粉末をルフマンドの盃に加えた。
領主は満面の笑顔で、ささ、どうぞ、と勧める。
再びルフマンドが盃に口をつけようとした時だった。
不意に悲鳴が上がり、絶え間なく奏でられていた音曲が途絶える。
何事かと視線を巡らせると、黒衣をまとい覆面をした男が、突如宴の間に乱入してきた。
男はその場の人々を一瞥すると、腰に帯びていた短剣を抜く。
「な……曲者……‼」
ルフマンドの正面に座していた領主は、わずかに腰を浮かす。
次の瞬間、黒衣の男は疾風のようにルフマンドに飛びかかる。
そして、恐怖のあまり動けずにいる少女の目前で、手にしていた短剣をルフマンドの胸に突き刺した。
剣が抜かれると同時に傷口から鮮血がほとばしる。
ルフマンドは、自らの作り出した赤い沼の中にゆっくりと倒れ込んだ。
その時、ようやく館の警備隊が宴の間になだれ込む。
が、黒衣の男はそれに目もくれることなく、あっという間に姿を消していた。
「は、早く! 賊を追え!」
わめき散らす領主の言葉に従い、警備隊達はわらわらとその場を後にする。
泣き叫ぶ女性達。
呆然とするルフマンドの随行人達。
そんな中、ルフマンドの一番そばにいた少女は、未だ動けずにいた。
「……え?」
ふと見ると、かすかにルフマンドの唇が動いている。
恐る恐る近寄り、少女は耳をそばだてる。
荒い息の中、ルフマンドは途切れ途切れに言った。
「……ありが……とう……」
言い終えると同時に、ルフマンドは力尽きがっくりと首を折る。
叫ぶことも泣くこともできず、少女はただ見つめることしかできなかった。
※
事を成し遂げ、追手を巻く。
その間、クァク・ヴァはずっとあることを考えていた。
全ては、主であるディン殿下のご命令に従ったまでのこと。
しかし、結果として幼い頃からお仕えしていた主を亡き者にした。
従者が主の命を奪うなど、あってはならぬこと。
だが、それは殿下の願いだった。
私はどうすれば良かったのか。
果たしてこれで良かったのか。
彼の脳裏で、従者としての忠義と人としての良心がせめぎ合う。
今、できることは何か。
考え抜いた末に彼は深夜役所に忍び込み、そこに安置されていたルフマンドの遺体を運び出す。
そして、人知れず墓地へ向かい、一際立派な木の根本に遺体を埋葬した。
すべてが終わり、ほっと息をついた時だった。
不意に彼の右腕を、嫌な感覚が襲う。
あの時……ルフマンドを刺した時の生々しい感触と、流れ出る血の生暖かさが蘇る。
思わず彼は手にしていた
震える右腕を左手で抑えて、何とか平静を取り戻そうと目を閉じる。
と、あの時の光景がまざまざと眼前に浮かび上がった。
そのまま彼は頭を抱え膝を付き、大声を上げたくなる衝動を必死に堪える。
同時にその頬を涙が伝い落ちる。
今さっき主を葬ったその場所に取りすがり、彼はしばし泣いた。
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