その弐

 ジンソエ国の港町ギオクは、リデほどではないが少なからずオロ・ノードのヴァウル侵攻の影響を受けているようだ。

 以前訪れた時よりも若干人通りが少なくなっている街中を見て、クァク・ヴァはそう思った。

 

 主から託された『願い』をかなえるため、彼は人知れず、かつ主より一足先にこの町にやって来た。

 けれど、彼はまだ悩んでいた。

 主の願いは、実行するのは彼にとって容易だ。

 だが、どうして主はあのようなことを望むのだろうか。

 彼にはどうしても理解できなかった。

 そして彼は『あの時』のやりとりを脳裏で反芻した。


     ※


「……私を、殺して欲しいんだ」

 

「……は? 今、何と?」

 

 予想通りの反応だったのだろう。

 旅の準備の手を止めて、ルフマンドは同じ言葉を繰り返す。

 

「私を、殺して欲しいんだ」

 

「何故です? どうしてそんなことを?」

 

 ジンソエは、私の首を恭順の証としてオロ・ノードに送るつもりだろう。

 ルフマンドはクァク・ヴァにそう告げた。

 

「ジンソエにあなたの素性がばれていると仰るのですか?」


「宰相が処刑されたとはいえ、人相書きは未だ出回っている。それに、君がまだ追手を始末しているのはわかっているよ」


 そう言って笑う主に、クァク・ヴァは食い下がる。


「ならば、いつも通り私をあなたの剣としてお使いください。必ずや……」

 

「……私は、これ以上誰も死んでほしくない。もしもこの先、私の存在が原因で誰かが死ぬというのなら、いっそのこと私が死んだ方がいい」

 

「ルフマンド様……」

 

 色を失うクァク・ヴァに、主は再び笑う。

 

「人殺しを生業とする暗殺者を差し向けられたら、おとなしく殺されてやる。君は端から見ているだけでいい。けれど」

 

 一度言葉を切り改めてクァク・ヴァを見据えるルフマンドの顔には、常のごとく穏やかな微笑が浮かんでいた。

 

「もし、何も知らない無関係な女性や子どもを使って来たときは、君の手で私を殺して欲しい」

 

 無関係な人を、我々の揉め事に巻き込むのは忍びない。


 ルフマンドの嘘偽り無い本心だろう。

 その人となりを誰よりも知るクァク・ヴァには、痛いほどわかる。

 だが、彼はそれでもなお懊悩おうのうしているようだった。

 無理もない。

 長年仕えて来た主を、その手で殺せと言われているのだから。

 そんなクァク・ヴァに、ルフマンドは一つ吐息をついてからおもむろに口を開いた。

 

「クァク・ヴァよ、主命である。……私を、殺せ」


 刹那、クァク・ヴァの身体に電流が走ったようだった。

 弾かれたようにその場にひざまずくと、彼は絞り出すように答えた。

 

「……賜り……ました。必ずや……」


     ※

 

 ふと、クァク・ヴァは足を止める。

 考え事をしていて、いつの間にか路地裏の空地に迷い込んでいた。

 慌ててもと来た道を戻ろうとした時、一人の少女が目に入った。

 彼女は踊り子なのだろうか。

 一心不乱に踊るその美しさに、彼はしばし見惚れた。

 そしてふと、少女と目が合う。

 

「……すみません。あまりにも見事だったので、つい……」

 

 生真面目に謝る彼に、少女はくすくすと笑った。

 

「いいよ、別に。お兄さんかっこいいから、特別にタダにしてあげる」

 

 本当はお金を払わないと見られないんだよ、と言う少女の顔には、まだあどけなさが残っている。

 

「中央広場で公演している一座の方ですか?」

 

 礼儀正しくたずねる彼に、少女は更に笑った。

 

「そうだよ。一座の看板。……でももうすぐおさらばするんだ」

 

「一座を、辞められるのですか?」

 

「そ。今度外国から来るお客の前で踊って、珍しいお酒をすすめたら、何でも好きなものをやるって座長が言うから」

 

 で、あたしは自由が欲しいって言ったんだ。

 そう無邪気に笑う少女とは対象的に、何かを察したのか彼は黙り込む。

 

「どうしたの、お兄さん。怖い顔して?」

 

「いえ、邪魔をして失礼しました」

 

 そう言うと、彼は逃げるようにその場を後にした。

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