第十三章 結

第51話 結1

 その日は朝からバタバタと忙しかった。明け六つから三郎太が佐倉の屋敷にやって来て、悠介の代わりに飯炊きをしてくれている。今日は奈津も三郎太を手伝って一緒に台所仕事に精を出しているが、冬至ということもあって水は身を切るほど冷たい。「お嬢さんは悠介の手伝いしてやってくださいよ。ここの仕事をすると、お嬢さんの手があかぎれだらけになっちまいます」

「いいの。今日はわたしも母に部屋に入れて貰えないのよ。今日の悠介さんの支度はきっちりやらないといけないからって母が張り切っちゃって」

 慣れた手つきで大根を切りながら、三郎太は苦笑した。

「お内儀さんにはもう悠介は自分の子供みたいなもんなんですかねぇ」

「わたしたち生まれた日も一緒だから、きっと母から見たら双子のようなものなんだわ」

 半分呆れ、半分嬉しそうに、奈津はかまどの火に空気を送り込んだ。かまどの中がぱあっと明るくなる。

「とは言っても、今日の悠介はやっぱり正装なんでしょう?」

「ええ。悠介さんに任せておいたらいったいどんな格好で船戸様に会いに行くかわかったものじゃないでしょ、だから母がしっかり見るって。今日のために天神屋さんで新調したのよ」

「うへぇ、太っ腹! こりゃ紋付き袴か? 紋は佐倉様の紋か?」

 今日は潮崎の船戸様のところに唐紙の絵を描く絵師が集まる日である。潮崎の紅秋斎、楢岡の鉄宗、そして柏原からは悠一郎の予定だったが悠介が代理で行くことになっている。三人の絵師はそれぞれに描いた絵を持参して船戸様に御披露目し、その中で船戸様の気に入ったものを唐紙に選ぶことになる。

 悠介はこの日のために、悠一郎が形見として遺してくれた画材を使って、たくさんの絵を描き溜めていた。絵の題材も奈津や御隠居様に相談し、ほとんど佐倉家総出で悠介の応援をしていたようなものだ。

 そして今日は潮崎への支度があるため、掃除や洗濯、炊事などを三郎太に頼んである。彼ならきっちりこなしてくれるに違いない。

「実は新調した勝負服、わたしもまだ見ていないの」

「お内儀さんもお人が悪いや」

 そこへひょこっと悠介が顔を出した。

「お嬢さん、三郎太の兄さん、どうですかねぇ、似合いますか?」

 ところが悠介を見た二人は呆然と立ち尽くした。

「悠介さん、それ……」

「新調したんじゃねえのかい」

「新調していただきましたよ」

「新調して貰うのにおめえ、そんな派手なの選んだのか」

「これはあたしが選んだんじゃないんです。お内儀さんがあたしに内緒で作ってくれたんですよ」

 とても正装とは言えないその着物は、鮮やかな岩群青によく映える山吹色の柚子の柄を大胆にあしらったもので、柏原では、いや、柿の木川沿いの町では、悠介以外に着こなせる人間はいないだろうと思われた。

「他の絵師さんは正装で行くだろうけど悠介は悠介なりの正装を貫きなさいと言って、お内儀さんと天神屋の彦左衛門さんと徳兵衛さんが相談して作ってくださったんです」

「あ、その耳飾り」

 奈津の指摘に悠介はニヤリと笑う。

「この着物に合わせて耳飾りも作ってくれたんです。ギヤマンの柚子がぴったりでしょう。あたしと母、この佐倉の家、そして父を結び付けた柚子です。それをまとって勝負しようと思います」

「そりゃいいや、よく似合ってるぜ。こんなの着こなせるのはおめえだけだもんな」

 そのとき、お内儀が悠介を呼ぶ声が聞こえた。

「勝五郎親分が迎えに来てくれたようです。それじゃ三郎太の兄さん、あとお願いします」

「合点承知の助だ、行ってこい!」

 悠介は心配顔の奈津と威勢のいい三郎太に見送られて佐倉の家を出た。


 潮崎までの道中、勝五郎から梧桐と一緒に行ったあの熊の檻の話を聞いた。中にはたくさんの人骨があったこと、熊谷と猪助の着物や脇差が遺されていたこと、弱った熊を梧桐が楽にしてやったこと。既に文を出してはいるが、これらを直接船戸様に報告し、竹藪までの途中にあった門に刻まれた船戸様の紋についても話さなければならないと溜息をついた。

 また勝五郎は潮崎の方の面倒も見るのかと問う悠介に、勝五郎は笑って答えた。

「熊谷の代わりに別のお役人様が派遣されてくることになってよ。森窪もりくぼの旦那ってのが来るんだ。俺は一度会ってるが、鼠みてえにちょこまかとよく働くお人だ。俺は柏原の番屋に常駐で、楢岡は俺と森窪の旦那で面倒を見るって寸法よ」

「良かった。番屋に勝五郎親分がいないとなんだか落ち着きませんからねぇ」

 不意に勝五郎が悠介の方に首を巡らせた。

「悠介、おめえ俺の手下てかにならねえか」

「下っ引きですか」

「そうだ」

「それもいいですね。でもあたしはあまり大っぴらに動きたくないんです。そもそもこんな派手な下っ引きなんていますかねぇ」

「じゃあかぜになるか。俺の間者だ」

 悠介は思わず吹き出してしまった。自分がそれに向いているのならこれ以上のことはない。

「どうした、急に笑って」

「いえね、実は佐倉様に御世話になったご恩返しに、佐倉様の風になろうかと思っていたんです。でも、佐倉様と勝五郎親分は同じような仕事をなさってますしね。親分と佐倉様に仕える風になりましょうか。まだ使えないと思いますから、もう少し修行が必要ですが」

「今で十分さ。なあに、面倒なことをさせようってんじゃねえ、ちょっと頼み事とかその程度から始めるさ」

「そういうことでしたら、佐倉の下男の仕事の合間にでも喜んで」

 奈津よりも早く間者の仕事を始めることになりそうだな、と悠介は思った。

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