第十一章 潮崎の親分

第41話 潮崎の親分1

 辰吉はひたすら潮崎へと向かった。潮崎から戻ったばかりだというのに、もう行かなくてはならない。理不尽な気持ちを抱えながらも、自分の失敗のせいでこうなったことも理解しているので、文句を言う相手がいるとすればそれは自分だ。三郎太に後をつけられてることにも気づかず、ブツブツ言いながら潮崎を目指した。

 三郎太の方は自分が顔を見られていない安心感はあるものの、柏原の人達の間で『鋳掛屋の三郎太』がどれくらい知られているのか少々心配ではあった。潮崎のお役人様に知られていることは無かろうが、辰吉に知られていたら厄介だ。視力がいいのを武器に、なるべく見つからないように離れて後をつけることにした。

 なんだか雲行きが怪しい。これは一雨降るかもしれない。いやな気分を抱えつつも順調に二人――つけているのとつけられているの――は潮崎に入った。

 潮崎に入った辰吉はまっすぐ番屋へ向かった。三郎太は注意深く近づき、番屋の裏手の灯り採りの小窓の下で草履を直すふりをして中の様子を探った。

 三郎太の位置取りは完璧と言って良かった。中の会話が途切れ途切れではあるが聞こえて来たのだ。

「なんで戻って来た。ここにはやたらと出入りするなと言ってるだろう」

「で、でも親分さん」

「まあいいじゃねえか、まずは辰吉の話を聞いてやれ」

 どうやら中に三人いるらしい。最初に喋っていた奴は辰吉に親分さんと呼ばれていたから、岡っ引きの猪助親分だ。二番目が辰吉として、三番目は誰だろう?

「悠一郎を襲った時、ガキに見られてたんです」

「馬鹿野郎、もっと小せえ声で話さねえか」

 これは猪助の声だ。もう一人は猪助の上司のようで、声に貫禄があり、年齢もだいぶ上のようだ。

「見てたガキが勝五郎親分に話しちまったんですよ」

「勝五郎か。そんなもん知らぬ存ぜぬで通せばいいじゃねえか。おめえはそういうのが得意だろう」

「そ、それが、そのガキにはすげえのがついてたんです」

「誰だ」

「熊殺しの梧桐ですぜ」

 中の様子は見えないにしろ、辰吉以外の二人が同時に溜息をもらすさまが手に取るようにわかる。

「あんなのが背後についてたら誤魔化せるわけがねえ。アイツと腕相撲したとき、瞬殺されただけじゃねえ、机ごとぶっ壊されたんだ。俺はぶっ壊れた机ごと地面に叩きつけられたようなもんで、それで肘が捻じれて肩が外れて大変な目に遭ったんですよ。アイツの顔見ただけでそん時の恐怖が蘇っちまって」

 なるほど、そんな目に遭ったのか。そりゃあ辰吉が梧桐を恐れるわけだ。実際の勝五郎の取り調べの様子を見ていなかった三郎太でさえも、辰吉が梧桐を恐れているという噂だけはよく知っている。だが、なぜそんなに恐れるのか、今やっと合点がいった。

「で? おめえは何を喋ったんだ?」

「殺す気なんか無かったって。そんで、あれは悠一郎が変な動きをしたから刺しちまっただけで、事故なんだって話したんです。そしたら、なんで右手を狙ったんだって聞かれて」

「まさかおめえ喋ったんじゃねえだろうな」

「いや、それはその、勝五郎親分が『誰からの依頼だ』って聞くもんで、でも俺は喋らなかったんですよ。喋るわけないじゃないですか。でも」

「でも?」

 いきなり三人目の男が割り込んだ。

「そのガキが見たって言うんですよ」

「何をだ」

「俺がここの番屋に入っていくのを」

「何?」

 三郎太は慌てて番屋を離れ、近くの飯屋を覗くふりをした。それと同時に番屋の引き戸が開き、中からやや小柄な男が顔を出した。三郎太が横目で盗み見ると、裾を端折った黄八丈の下から瓶覗の股引をにゅっと生やし、頭は小銀杏に結った貧相な顔立ちの、それでいて目だけがぎょろぎょろしたやもりのような男だ。これが恐らく猪助親分だろう。ということは中にいるのは同心羽織の強面か?

 男が再び番屋に引っ込むと、今度は辰吉と一緒に出て来た。辰吉の方は完全に怯えまくっている。三郎太は辰吉と猪助親分の追跡を開始した。

 この三郎太、鋳掛屋なんぞやっている齢十五の少年だが、勝五郎がびっくりするような特技を持っている。『完全に個性を消して全く目立たない一般人になる』という悠介には絶対にできないような離れ業である。

 それだけではない。やたらと耳がいい。先程の番屋の中の会話も三郎太でなければ聞き取れなかっただろう。そのうえ遠目も利く。少しくらい距離を離されてもガッツリ見えているし、会話の内容も他の人よりは良く聞こえている。

 しかも手足が長く、走らせても早い。どれだけ走ってもなかなかへたばらない。

 勝五郎は全く意図せずに、最適な人材を追跡に送り込んだ計算になる。

 猪助親分と辰吉の風下にいる三郎太には、二人の会話がなんとなく聞こえてしまうのだ。

「どこへ行くんです?」

「おめえは…………だから……もっと山奥の……」

 猪助の方はやや声が小さいので聞き取りにくいが概要がつかめればそれでいい。

「そこに小屋があるんですね」

「そうだ。そこで一晩…………ば、帰っても……だろう」

 どうやら辰吉が悠介につけられないように、山の中の小屋に避難させる気らしい。そこで一晩から数日過ごしてほとぼりが冷めたころに出てくるという寸法か。

 しばらく歩くと門があり、猪助がかんぬきを引いて門を開ける。だが簡単に乗り越えられそうな門だ。この門に意味はあんのかな、と疑問に思いつつも三郎太は追跡を続ける。

 さらに竹林の細道を奥に進むと、猪助が「ここだ」と言って立ち止まった。竹林のど真ん中。こんなところに小屋があるのだろうか。三郎太は竹と同化したまま様子を窺った。

 確かに小屋はある。その周りを厳重過ぎるほどの柵が囲っている。

「誰も入って来られないように大袈裟な柵を作ってあるから心配するな。人目に付くから今夜は柏原には帰らずにここで過ごせばいい。明日の帰り道がわからなければそのままここにいろ。俺が迎えに来てやる」

「ありがとうございます。厠や井戸もこの中ですか?」

 中に入っていく辰吉の背後で、猪助が柵を閉め「要らねえんだ」という。

 要らん? どういうことだ?

 一瞬真意を測りかねていた三郎太は奇妙な事に気づいた。よく見ると柵に使っている竹の斜めの切り口は全て内側を向いていて、外からの侵入を警戒するものというよりは、内から外に出られないように作られているとしか思えない。

「どういう意味だ?」

 問う辰吉の背後で、何か黒っぽい影が起き上がる。猪助は辰吉に背を向けてそのまま歩き去った。

「おい! 猪助親分! 出してくれ!」

 その辰吉の前にのっそりと姿を現したのは、大きな熊だった。

「猪助親分、助けてくれ! 猪助親分!」

 三郎太は逃げ出した。背後で辰吉の断末魔が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る