第36話 辰吉3

 佐倉家の面々が夕食時になっても戻らない悠介を心配していると、三郎太が転げるように入って来た。

「佐倉様、お嬢さん、三郎太です、いらっしゃいますか!」

 声を聞いてすっ飛んできた奈津の目に飛び込んできたのは、悠介の女ものの着物(ただしツンツルテンだ)を着たものすごく似合わない三郎太だった。

「まあ、三郎太さん、どうなさったんですか」

「ちょっと佐倉様のお耳にも入れたいことがあるんです」

「わかりました。上がってください」

 奈津は三郎太を座敷に通すと父を呼んできた。佐倉は三郎太の恰好を見て目を見張った。

「三郎太、どうしたんだその恰好は」

「昼間、悠介さんを見かけたんです。声をかけたら、辰吉を追っていると」

「辰吉だと?」

「そうなんでさぁ。買い物に出かけてみたらたまたまそこに辰吉がいたってんで、悠介は追いかけ始めたらしいんです。そこにおいらが声をかけたんですが、辰吉が楢岡の方に向かったんで一緒に追うことにしました。もしもあいつが楢岡を通り過ぎたら潮崎に向かうってことなんで、もしかすると船戸様の唐紙の件かもしれねえって言ってたんです。悠一郎さんが殺されたのが唐紙に絡んだことなら、悠一郎さんにあとを託された悠介が次に狙われるかもしれねえし」

 そこにお内儀が四人分の茶を持って入って来た。

「三郎太さんはお水も用意しましたから。喉が渇いているでしょう?」

「ありがとうございます、本当にね、楢岡の外れからずっと走って来たもんですから」

 三郎太は水を一気飲みすると、人心地ついたように大きく息を吐いた。

「それでですね、二人で後をつけたんですけど、辰吉のヤツ、楢岡を通り過ぎたんですよ。それでこれはいよいよ潮崎だなと思ったんですけど、悠介が後をつけるにはあの恰好は目立ちすぎたんです。それでおいらの着物と交換して、あ、耳飾りも預かって来てます、そんでええと、悠介はおいらの着物を着て辰吉を追ったんですよ。多分今頃潮崎です。夜の山越えは危険だから、そのまま潮崎で野宿しろって言ってありますから、今日は戻ってこないと思います」

 そこまで一気にしゃべって、三郎太は出された茶を一口含んで「熱っ!」と叫んだ。落ち着きのないことこの上ないが、それだけ急いで走って来てくれたのだろう。

「三郎太さん、ありがとうございます。父上、楢岡を過ぎたということでしたら鉄宗さんは恐らく関係ありませんね」

「だからと言って紅秋斎が関係しているというわけでもないが、とにかくこの話は勝五郎にも通しておいた方がいいな」

 三郎太はすぐに膝立ちになった。

「じゃあ、今から行ってきます」

「わたしも一緒に行きます。いいでしょ、父上」

 佐倉は一瞬ためらって、お内儀に視線を向けた。彼女が黙って顎を引いたのを見て「いいだろう」と言った。

「お嬢さんはおいらがまたここまで送りますんで」

 言うが早いか、二人はあっという間に屋敷を飛び出していった。つむじ風のように去ってしまった二人を見送って、佐倉はボソリと独り言ちた。

「奈津は……あれは女の身で私の仕事を継ぐ気ではないだろうな」


 番屋へ行くと、勝五郎が一人で腕を組んで座っていた。

「佐倉様のお嬢さんじゃねえですかい。こんな時分にどうしなすったんです?」

「実は……」

 そこから先は三郎太が話した。勝五郎は苦虫を噛み潰したような顔で聞いていたが、三郎太が話し終えると「なるほどな」と頷いた。

「とにかく今夜は悠介に任せて、明朝潮崎に行ってみよう。三郎太、一緒に行ってくれるかい?」

「合点承知の助でさぁ」

「お嬢さんは明日はお屋敷で待っていてください。いいですね」

「はい」

 話が一段落ついたところで三郎太は奈津の方を振り返った。

「じゃ、おいらお嬢さんを送って帰りますから」

「よし、おめえは明け六つくらいにここに来い」

「へい」

 ということで、この日は一旦解散になった。


 翌朝きちんと明け六つまでに勝五郎を訪ねた三郎太は、勝五郎が作っておいてくれた握り飯をたらふく頬張ってから一緒に出掛けた。

 柏原から楢岡の方へ行く道は何度も通っていて自分の庭のようなものだったから、二日連続で同じ道を歩いても特に疲れは感じなかった。

「おめえ、今日は女ものの着物じゃねえんだな」

「冗談はよしておくんなさいよ。あれは悠介にしか似合いませんよ。そういえばあいつ、柏華楼で育ったって言ってたな」

 勝五郎はチラリと隣を歩く十五の少年を見た。最近知り合ったばかりだと言っていたが、もうそんなことまで聞いているのか。この三郎太は他人に心を開かせるの上手い。どうなっているのかわからないが、警戒心が全く湧かないのだ。

「悠一郎が死んだときに悠介から話を聞いたんだが、悠介の母親が柏華楼で遊女をやっていて、悠一郎はその客だったんだ。それで悠介ができたんだが、悠一郎は訳あってすぐには迎えに来られなかった。迎えに行く前に母親が死んじまって、悠介は柏華楼を出て来たって事らしい。出てきたら父親に会ったんだが、自分が息子だとは名乗らなかったんだそうだ」

「悠介らしいや」

「やっと父親に会えたのに目の前で死ぬなんてな。しかも殺しだ。だけどな、悠介が変な事を言ってたんだ。やっこさん、自分で刺しておいて『なんでこんなことに?』っていう顔をして飛び出して来たらしい。もしかしたら刺すつもりはなかったのかもしれねえって悠介は言ってた。それでやっこさんから話を聞きたいらしいんだ」

「まったく悠介も人が良すぎる」

 ちょっと怒っているのか、ムッツリした三郎太は十五歳の少年らしい顔をした。

「おめえがそれ言うのかよ」

 勝五郎が笑うと三郎太は「心外だ」という顔をした。三郎太には自分がお人好しの世話焼きだという自覚がないらしい。

 話しながら歩いているうちに楢岡に入った。ここまでは悠介とも辰吉ともすれ違っていない。まだ二人とも潮崎にいるのだろうか。悠介が辰吉を見失っていなければいいが。

 楢岡の町を突っ切って町はずれの方まで来ると、不意に「三郎太さん!」と呼ぶ声があった。二人が咄嗟に振り向くと、そこには三郎太の地味な服を着た悠介がいた。

「悠介、無事だったか」

 慌てて駆け寄る三郎太に黙って頷きかけると、悠介は勝五郎にも気が付いた。

「親分さんを呼んでくれたんですか」

「ああ。昨日佐倉様のところに行ってから勝五郎親分に報告して、それで今日は一緒に来たんだ」

 悠介は落ち着かない様子で礼を言った後、続けて二人が唖然とするような発言をした。

「辰吉が柏原に向けて戻ったんです。あたしはずっと追いかけて来たんですけど、楢岡に入ってすぐに見失っちまって。どこかに寄り道しているのかもしれませんけど、親分さんたちはすれ違いませんでしたか?」

 三郎太と勝五郎はお互いに顔を見合わせてから「会わなかった」と言った。

「きっと楢岡のどこかに寄り道して帰るつもりです。もう楢岡を出たかもしれません。急いで佐倉様にお知らせしなければ」

 勝五郎の顔に緊張が走るのと同時に、三郎太が「合点承知の助だ」と言った。

「おいら脚だけは速えんだ。飛脚どころか、鉄砲の玉より速えって言われてんだ。おいらに任せな。佐倉様に知らせて来るぜ」

 三郎太は本当に鉄砲の玉のように、あっという間に見えなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る