柿ノ木川話譚4 ー悠介の巻ー

如月芳美

第一章 悠介

第1話 悠介1

 明けの明星が輝く頃、一人の女が子供を産んだ。

 女の名は柚香ゆずか。この柏原の町で唯一の遊郭である柏華楼はっかろうで二番目に人気の遊女である。

 生まれた赤子は男の子だったが、この時点でさえもはっきりとわかるほどの美形だった。恐らく男前な父に似たのだろう。赤子には似つかわしくないほどぱっちりと開いた眼、きりっとした眉、そして桜色の染み一つない肌が印象的な赤子だった。

 基本的に遊女は客の子を孕んではならない。彼女たちの間では妊娠は『失敗』である。妊娠してしまったら客が取れなくなるからだ。

 だが、どんなに注意していても失敗することがある。そうなったら、酸漿ほおずきの根っこの部分から作る酸漿根さんしょうこんという生薬きぐすりを使って堕胎する。少しでも早く仕事に復帰するためだ。

 柚香は酸漿根を使わなかった。彼女はその客の子を産みたかったのだ。

 普通に考えたら男の子を産んだような女はくるわから追い出される。女の子は禿かむろから一人前の遊女に育てることもできるが、男の子ではそうはいかないからだ。

 しかし柚香はそうはならなかった。楼主が話の分かる人だったというのもあるが、柚香は廓では二番目の人気を誇る遊女なので、出て行かれては困るのだ。

 一番人気の菊枝きくえはとにかく容姿が良く、それだけが売りだった。二番人気の柚香は菊枝ほどの容姿の持ち主ではなかったが、とにかく物覚えが良い。客の話したことをよく覚えているのだ。柚香とおしゃべりするのを楽しみに来ている客も少なくなかった。

 だからこそ、楼主は柚香を追い出したりせず、子供が乳離れしたら仕事に復帰するという条件で、廓の中で子供を育てることを許可したのである。

 柚香は客が取れない間、裏方に徹して針仕事やお勝手仕事をしたりと、体に負担のかからない雑用をこなしたが、赤子が生まれてからはそうも言っていられなくなった。それでも遊女仲間の支えもあり、子供が一歳三カ月になったころに仕事に復帰した。

 子供は悠介ゆうすけと名付けられた。これは父親の悠一郎ゆういちろうから一文字貰って付けたものだ。悠一郎は駆け出しの絵師ではあったが、柏原では一番の絵師になるだろうと噂されていた。その悠一郎がたった一度、この柏華楼に来て、そのとき出会った柚香と恋に落ちてしまったのである。

 悠一郎は柚香に会うために何度となく柏華楼に足を運び、その都度柚香には身請けすると約束していた。どのみち身請けするのだから、柚香が悠一郎の子を孕んだとしても全く問題はなかった。

 だがここで問題が発生する。悠一郎が大けがをして柏華楼に来られなくなってしまったのだ。その間に柚香は妊娠・出産し、悠一郎がいずれ迎えに来ると信じて、子供に悠介と名をつけて待っていたのだ。

 悠介の遊び相手は、手の空いている遊女やそれに仕える禿たちの仕事だった。なにしろ柚香はあっちへこっちへとすぐに呼ばれる。我が子の相手をしてくれている遊女が柚香の人気をひがんで悠介に嫌がらせをするのを危惧した彼女は、客からのいただきものの珍しい菓子などを待機の遊女たちに渡すなどの工夫をしていた。しまいにはその菓子を目当てに悠介の遊び相手を申し出る者まで出て来たところを見ると、その作戦は成功していたようである。

 こうして悠介は遊女たちの中で育ち、七五三を迎えた。数えで五つ、つまり満四歳である。この頃の悠介は、門前の小僧が習わぬ経を読むように三味線や琴に興味を持ち、待機の女たちに教えて貰っていた。まだ小さいので手も届かないが、筋は悪くない。このまま続ければ七つくらいになるころにはかなり弾けるようになるのではないかと思われた。

 廓から出ることのない悠介はその中だけで面白いことを探さなければならなかった。そうなると、当然次に興味を持つのは文字である。最初のうちは「これなんて書いてあるの?」を連発して遊女たちを困らせたが、あっという間に文字が読めるようになってかるた遊びを始めた。

 数えで七つ、満六歳になるころには、柏華楼のお店の方にも顔を出すようになった。物覚えの良い柚香の血を濃く受け継いだ悠介は、客の話し相手をするようになった。自分が指名したい子がいなかったり、遊女の準備待ちの間に話をしているうちに、客から和歌の詠み方を教えて貰ったり、将棋や囲碁を教えて貰うこともあった。しまいには「高級遊女よりも教養があるのでは?」と囁かれるまでになった。

 こうして女郎宿で生まれた男の子は、遊女たちからも客からも愛される人気者に育って行った。

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