第七部 主婦、不倫相手を振る

第14話 主婦、不倫相手に告白……しない

 待ち合わせ時間の十分前に、私は新宿駅西口に到着した。

 茉莉奈は既にきていて、鏡を見ながら前髪を整えている。


 仕事帰りだろうに、今日の茉莉奈はいつにも増して気合が入っている。

 歩きにくそうな可愛いハイヒールも、薄ピンク色のワンピースも、全部私のため。

 完全に、恋する乙女だ。


 私にも、こんな時があったのにな。


 すう、と大きく息を吸い込む。窓ガラスに映る自分を見て、少しだけ髪を整えた。

 私も今日は、とびきりのお洒落をしてきたつもり。

 茉莉奈が、私のことをもっと好きになってしまうように。


「お待たせ」

「りっくん!」


 茉莉奈が満面の笑みで私を見つめた。近寄ると、いつもより甘い香水の匂いがする。


「行こうか」

「うん!」


 今日は、美味しいと評判の和食料理屋を予約している。

 落ち着いて話ができるように、ちゃんと個室を確保済みだ。

 駅から十分弱歩いて、私たちは店の前に到着した。


「どうぞ」


 扉を開けて、茉莉奈を先に店内へ入れてあげる。こういう些細な優しさを、会えなくなった時に思い出すだろうから。




「美味しそうだね!」

「うん。まりちゃんも気に入ってくれてよかった」

「まあ、りっくんと一緒だったら、何でも美味しいだろうけど!」


 いただきます、と手を合わせてから食事を始める。

 前菜は柿の白和えだ。繊細な味で美味しい。続いて提供された刺身も、厚みがあって食べ応え十分だ。


 次々と運ばれてくる料理を食べながらも、茉莉奈はずっと落ち着きがなかった。

 きっと、私の告白を待っているんだろう。


 デザートまで食べ終えたところで、しびれを切らした茉莉奈が身を乗り出してくる。


「りっくん、話ってなに?」


 きた。


「……茉莉奈は、僕のことどう思う?」

「え? 私?」


 茉莉奈は戸惑った様子だったが、覚悟を決めたように口を開いた。


「一緒にいて楽しいし、優しいし、その、見た目もタイプだし……」

「うん」

「……これ以上、私から言わなきゃだめ?」


 潤んだ瞳に見つめられれば、きっと大半の男は落ちるだろう。

 ううん、女の私だって、もし茉莉奈が夫の不倫相手じゃなかったら、きっとぐらついてる。


「言ってほしいな」


 甘い声で言って、茉莉奈を見つめる。茉莉奈は深く頷くと、私の手をぎゅっと掴んだ。


「私、りっくんが好き」


 茉莉奈の手がわずかに震えている。それでも、茉莉奈は私から目を逸らさない。


「私、りっくんの彼女になりたい」


 達成感が胸の中で広がっていく。

 やっと、茉莉奈にそう言わせることができた。


「気持ち、伝えてくれてありがとう」

「……うん」

「僕も、まりちゃんに言いたいことがあるんだ」


 ごくり、と茉莉奈が唾を飲み込んだのが分かる。

 期待と不安で、茉莉奈の大きな瞳が揺れている。


「もう、まりちゃんには会えない」

「え?」


 ちょっと待って、と茉莉奈は慌てて立ち上がった。私の隣に移動してきて、縋るように腕を掴まれる。


「どうして? ねえ、どういうこと?」


 そっと肩に手をおく。


「まりちゃんは可愛いし、素敵な女の子だと思う。だけど……」

「だけど?」


 どくん、どくんと心臓がうるさい。

 私はこの瞬間のために、今日まで頑張ってきたんだ。

 だから、やりきらなきゃ。


「不倫するような子とは、もう会えない」


 茉莉奈の顔が一気に真っ青になる。

 私は鞄に手を突っ込み、不倫の証拠になる写真を机の上に並べた。


「全部、知ってるから」

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