第13話 主婦、悲しみに向き合う

 店内はかなり混雑していたが、予約していたこともあり、私たちは奥のテーブル席に座ることができた。

 悩んだ結果、私は200gの牛カツを頼んだ。一番ボリュームのあるメニューである。


「美味しそうですね!」

「うん、絶対美味しい」


 焼き加減を調整しながら食べられるのも牛カツのいいところだ。

 私はレアが好きで、いつも、そんなに赤くて大丈夫? なんて言われてたっけ。


 ……あーもう、嫌だ。なんで、春翔のことなんか思い出しちゃうんだろう。


「凛香さん?」

「あ、いや、何でもない」

「何でもないじゃなくて、俺には全部言っていいんですよ」


 そう言って、望月くんは牛カツを一切れ口へ運んだ。

 あっさりこんなことを言われると、甘えそうになってしまう。


「そうだ。最近の二人の、会社での様子、聞きたいですか?」

「……うん」

「深山さん、かなり浮かれてますよ。彼氏ができそうなんです、なんて女性社員と話してるのも聞きました」

「私のことだよね?」

「たぶん、確実に」


 茉莉奈の笑顔を思い出すと、ちょっとだけ胸が痛む。

 彼女はきっと、本気で私に恋をしているから。


「春翔さんは反対に元気ないですよ。深山さんと話そうとして、いつも失敗してますし」

「そうなんだ」

「この前なんか、待ち伏せして本気で拒絶されてるの見かけちゃいました」


 春翔、本当に茉莉奈のこと、好きなんだもんなぁ。

 頭の中に、思い出したくもないツーショット写真が浮かぶ。


「凛香さん。悲しいなら、悲しいって言えばいいんですよ」

「望月くん……」

「悲しいも、むかつくも、全部口に出しちゃえばいいんです。俺、いっぱい聞きますし」


 正面から望月くんの顔が見れなくて、ひたすら白米と牛カツを口の中へ詰め込む。

 そうしないと、泣いてしまいそうだったから。


「不倫されて、辛くないわけないですもん。いっぱい吐き出して、それで……」


 不意に、望月くんが私の手に触れた。

 大きい手だ。でも、ほんのちょっとだけ震えている。


「早く、春翔さんのことなんて忘れてください」


 真っ直ぐな眼差しと言葉の意味が分からないほど、私も鈍くはない。

 けれど……。


 望月くんの手に縋ってしまいたい。そう思うのは、春翔に不倫されたから?

 悲しい時に、優しく寄り添ってくれたから?

 それとも、望月くんだから?


 今はまだ、自分の気持ちがはっきりとは分からない。


 はっきりと分かるのは、胸の痛みだけ。


「……悲しいよ、めちゃくちゃ」


 春翔がもう自分を好きじゃないことも、春翔が他の子を好きになったことも。

 一緒にいて楽しかった思い出にまで、泥をぶちまけられたような気分だ。


「なんで、こんなことになっちゃったんだろう?」


 私なりに、いろいろと頑張ってきたつもりだ。

 でも春翔はずっと、私に不満を抱えていたんだろうか?

 いつから、私への気持ちが薄れていたんだろう?


 瞳から涙がこぼれ落ちた。

 春翔の不倫が分かってから、泣くのは初めてかもしれない。


「……こんなに泣いたら、会社戻れないかも」

「午後休とって、飲みにでも行きますか?」


 望月くんが冗談めかして笑う。だけど、望月くんの目は真剣だ。

 すう、と大きく息を吸い込む。


「大丈夫。飲みに行くのは、全部終わってからにしよう」


 こんなに苦しいのは、幸せだった記憶があるからだ。

 春翔が好きで、大切で、同じように思われていた日々。

 それはもう、泣いても怒っても返ってこない。


 私のことを裏切った春翔を、私はもう同じようには愛せないのだから。


「分かりました。終わったら、今度こそ焼肉ですね」

「うん、めちゃくちゃ高いの奢ってあげる」

「俺、本当に遠慮しませんよ?」

「いいよ、どうせ慰謝料たっぷりとるし」


 ちら、と壁にかかっている時計を確認する。急がないと、昼休みが終わってしまいそうだ。


 今日は本当に、望月くんに救われたな。

 ううん、今日だけじゃない。再会してからずっと、私は望月くんに助けられている。


「凛香さん」

「なに?」

「全部終わったら、俺、凛香さんに言いたいことがあります」


 熱のこもった眼差しを見れば、聞かなくたって内容は分かる。

 うん、と私は頷いた。


「その時は、ちゃんと聞くから。約束する」

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