第五部 主婦、旦那に幻滅する

第10話 主婦、旦那の動揺を見抜く

 最近、春翔はやけにイライラしている。

 そして、帰りが早くなった。

 望月くんによると、社内での春翔と茉莉奈の会話もずいぶん減ったらしい。


「ただいま」


 玄関には既に春翔の靴がある。リビングからテレビの音が聞こえた。


「おかえり、凛香。今米炊いてるから」


 春翔はキッチンにいて、豚肉を焼こうとしている。

 どうやら、今日の夕飯は生姜焼きらしい。


「ありがとう」

「いや、しばらくの間、凛香にばっかり飯の用意してもらってたし」

「でもそれは、仕事が忙しかったから仕方ないよ」

「凛香……」


 じっと私を見つめてくる春翔に微笑みを向け、着替えてくるから、と一度リビングを後にした。

 自室に戻り、部屋着に着替える。


「ふっ……」


 口を手でおさえ、必死に笑うのを我慢する。静かに深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着くことができた。


 だってあの態度、分かりやす過ぎるでしょ。


 帰りが早くなったのは、茉莉奈があまり相手をしてくれなくなったから。

 優しくなったのは、茉莉奈が優しくしてくれなくなったから。


 スマホを取り出し、SNSを確認する。いつも通り、茉莉奈からメッセージがきていた。


『仕事終わったよ! りっくんもそろそろ終わったかな?』


 可愛いスタンプ付きの、なんてことはないメッセージ。

 だけど春翔じゃなく私に送られてきているのだと思うと、嬉しくてたまらない。


 茉莉奈とは水族館デート以来、何度か会っている。

 仕事帰りにデートをしたり、休日に映画を観に行ったり。

 望月くんによると、私とのデートの写真を茉莉奈はSNSに載せてくれているみたいだ。


「そろそろ、かな」


 茉莉奈とのトーク画面を開く。


『今度会う時、大事な話があるんだ。聞いてもらえる?』


 すぐに返事がきた。喜びに満ちた返信に、こっちまで嬉しくなる。


 ドンッ!


 リビングから大きな物音がして、私は慌ててリビングへ向かった。

 どうやら、春翔が皿を何枚か床に落としたらしい。幸いなことにプラスチック製のものだったから、割れてはいない。


「大丈夫?」

「え、ああ、いや、うん……」


 春翔の眼差しは、まな板の横に置かれたスマホへ向けられている。


「疲れてるなら、先にお風呂でも入ってくる?」

「……悪い、そうするわ」

「夕飯、続きは私が作っておくから」


 うん、と力なく頷いて、春翔は浴室へ向かった。

 その右手には、もちろんスマホがある。


「そろそろ、確認したいな」


 春翔のスマホにはパスワードがかかっていて、私はそのパスワードを知らない。

 怪しまれるのも嫌で、今日までスマホの中身は覗いてこなかった。


 だけど、確認しなきゃよね。


 春翔から茉莉奈を奪い、その上で茉莉奈に真実を告げる。

 その作戦を遂行するためにも、春翔がちゃんと茉莉奈から捨てられたかどうかを確認しなければならないのだ。


 冷蔵庫を開け、昨日買っておいた酒を見つめる。

 飲みやすいけれど、度数が高いものを選んだつもりだ。


 今日の春翔なら、晩酌の誘いに乗ってくるかもしれない。

 泥酔すれば、警戒心も緩まるだろう。

 そこで、ちゃんとパスワードを確認できれば……!


 作戦のためとはいえ、春翔とこれ以上一緒に暮らすのは嫌だ。

 さっさとけりをつけて、早くここを出て行きたい。


 春翔と離婚できたら、何をしよう?

 慰謝料は何に使おうか?


 考えるだけで、私はわくわくしてきた。

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