第四部 主婦、王子様になる

第8話 主婦、不倫相手を口説く

 以上が、二週間の間にあったできごと。

 そして私は今、男装して深山さん……もとい、茉莉奈と向き合っている。

 深山さん、なんて呼び方はとっくにやめた。敬う必要がないからである。


「ここのチーズケーキ、本当に美味しいですよね!」


 私の恨みになんて気づかず、茉莉奈は満面の笑みを浮かべている。

 時折ちらちらとむけてくる視線には、たっぷりと媚びが滲んでいた。


「そうだね。君みたいに可愛い子と食べるから、よけいに美味しいのかも」


 歯の浮くような台詞を口にし、微笑んでケーキを口に運ぶ。

 喋り方も、仕草も、全部茉莉奈の推しを参考にさせてもらった。


 望月くんの協力を得て、茉莉奈の情報をかなり得ることができた。

 行きつけのカフェの情報だって、茉莉奈が自分でSNSにアップロードしていたのだ。

 茉莉奈のアカウントは鍵がかかっているけれど、私は望月くんに逐一スクショを送ってくれるよう依頼している。


「そんなこと言って……からかってるんですか?」

「そう見える? 緊張しているのがバレなくてよかったよ」


 茉莉奈は何度も瞬きを繰り返した。そのたびに、私を見つめる目が甘くなっていく。


 この子、ちょっとチョロすぎない?


「それより、本当に一緒に座っちゃってよかった?」

「え?」

「彼氏、怒るんじゃない?」


 表情を崩さないように、口の中で舌を噛む。茉莉奈は一瞬だけ固まった。

 でも、すぐに首を横に振る。


「彼氏なんていません!」


 茉莉奈のSNSに男とのツーショット写真はなかった。

 確かに、公然と彼氏だと主張できる相手はいないのだろう。

 春翔が既婚者だからか、それとも複数交際相手がいて、それぞれに気を遣っているからかは分からない。


「こんなに可愛いのに?」


 茉莉奈の顔が緩み、茉莉奈は慌てて両手で顔を覆った。


「じゃあ、僕が立候補しようかな」


 遊び相手の一人になったって意味がない。

 他の男なんて目に入らなくなるくらい、茉莉奈を惚れさせてみせる。


「そんな……」

「まずは自己紹介からね。僕は濱野凛はまのりん

「私、深山茉莉奈っていいます!」


 真っ直ぐできらきらした瞳。分かりやすい子だ。

 こういうところを、春翔は好きになったのだろうか。

 胸が痛む。どれだけ憎くても、過去を忘れることはできないから。


「じゃあ、なんて呼んだらいい?」

「なんでも! あ、友達とかには、まりちゃんって呼ばれてます」


 茉莉奈は上目遣いでにっこりと笑った。分かりやすくあざとくて可愛い。

 丸い瞳には期待が満ちている。


「まりちゃん。僕のことはなんて呼んでもいいよ」

「じゃあ、りっくんって呼びますね」


 嬉しいな、と小さく呟いて、茉莉奈は私を見つめてきた。

 わざとだと分かっていても、絆されたくなる気持ちも分かる。


「連絡先、交換しない?」

「もちろんです!」


 茉莉奈が素早くスマホを取り出す。QRコードを読み取って連絡先を交換した。

 このために、アイコンは変更済みだ。適当に撮った、空の写真。

 前は、春翔と行った沖縄の海だった。


「私、いっぱい送っちゃうかもしれません」

「いいよ、送って」

「送ります!」


 ふう、と心の中で息を吐く。

 無事に連絡先を交換できて、本当によかった。


「でも、メッセージだけじゃ寂しいな」

「りっくん……!」

「今度、僕とデートしない?」


 茉莉奈が勢いよく頷く。


「次の水曜日とか、どうかな?」


 私はわざと、茉莉奈と春翔が二人とも有給をとっている日を伝えた。

 望月くんのおかげで二人のスケジュールは筒抜けだ。


「一日中、いつでも大丈夫です!」


 茉莉奈の返事に、私は心からの笑みを浮かべた。

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