第3話 主婦、旦那を尾行する

 あれからちょうど一週間。

 私は春翔の後をつけるためだけに有給をとった。

 営業部のオフィスは新宿にある。真新しいビルの三階だ。


「ここなら、いつ出てきても分かる」


 ビルの入り口の真正面にはファミレスがあり、ガラス張りの窓から入り口は丸見えだ。

 もちろん、向こうからもこちらはよく見える。だけど、なんの問題もない。

 なぜなら、私は変装しているから。


 変装といっても、帽子をかぶってサングラスをかけるようなわざとらしいものじゃない。

 どこにでもいるような普通の男だ。

 そう、男。

 バレずに後をつけるにはどうするべきか考えた結果、私は男装することにしたのだ。


「結構、似合ってるし」


 どこにでもいるような男ではなく、ただのイケメンかも……と窓に映る自分を見て思った。


 時刻は十六時。定時は十七時半だから、少なくとも一時間半は余裕がある。

 もし春翔が残業しているのが本当なら、ビルを出てくるのはかなり遅いはず。


「長丁場になるかもしれないな」


 ボタンを押して店員を呼ぶ。


「ストロベリーチョコレートデラックスパフェ、一つください」


 空腹では戦はできない。何があるか分からないけれど、とにかく今はお腹を満たそう。




「あ……っ!」


 パフェを食べ終え、ドリンクバーを楽しんでいると、春翔がビルから出てきた。

 現在の時刻、十八時。

 定時は少し過ぎているものの、残業なんてほぼしていないだろう。


 たまたま今日は忙しくないだけ?

 ううん、絶対違う。だって今日も、帰りは遅くなるって言ってたし。

 とりあえず、早く追いかけなくちゃ。




 急いで店を出て、春翔の後ろを歩く。幸いなことに人通りが多いから、それほど怪しまれることもないはずだ。


「こっち、駅の方向じゃないよね」


 十分ほど歩いたところで、春翔は足を止めた。

 レストランの前に立ち止まり、腕時計を何度も確認している。


 あの時計、私が婚約指輪のお礼にあげたやつだ。

 あげた時は、一生大事にする、なんて喜んでくれたのに。


 五分ほど待つと、春翔さん! と弾んだ女の声がした。

 声がした方を向くと、ロングヘアの似合う小柄な女性が駆け寄ってくるところだった。

 ゆるく巻いた髪の毛に、袖の膨らんだ可愛い茶色のワンピース。

 背が高くてクールな私とは、真逆のタイプの女の子。


「待たせちゃった?」

「全然、今来たところ」


 女が自然な様子で春翔の腕を掴む。どこからどう見ても、お似合いのカップルだ。

 二人はそのままレストランへ入っていった。

 ここまできたら、ついていくしかない。

 私も少ししてからレストランへ足を踏み入れた。




 食事を始めてから、もう一時間半が経つ。とっくに皿は空っぽなのに、二人は動こうとしない。


「美味しかったね!」

「うん。またこようか」

「やったー!」


 まるで小さい子を相手にしているような喋り方の春翔と、わざとらしく可愛く応じる女。

 ばかばかしくて、泣きそうになる。


「そろそろ行く?」

「うん!」


 二人は立ち上がってレジへ向かった。当然、会計をするのは春翔だ。

 ありがとう、なんて言って、女はまた春翔の腕を掴む。


 私、あんな風に可愛く甘えられたこと、一回もないな。


 人前で手を繋ぐことすら恥ずかしくてできなかった。

 そんなところも可愛い、なんて言ってくれたのが嘘みたいだ。


 結局春翔も、こういう女が好きなんだ……。


 二人が店を出ていく。私も慌てて会計を済ませ、店を飛び出した。




 レストランを出ると、二人はすぐに歩き始めた。向かう先は、もちろん駅じゃない。

 ばくばくと心臓がうるさい。これ以上見たら、もう元には戻れない気がする。


「でも、行かなきゃ」


 二人はどんどん、繁華街の方へ進んでいく。薄暗い通りに入り、迷いなく前へ。

 そして、ホテルの前で立ち止まった。


 反射的にスマホを取り出し、その様子を撮影する。

 二人は腕を組んだまま、ホテルの中へ入っていった。

 もう、夫の浮気は確実だ。


「……あーあ」


 残業なんて真っ赤な嘘で、春翔は浮気していた。

 夕飯を美味しそうに食べなくなったのも、事前に女と食べていてお腹が空いていなかったからかもしれない。


 私とは真逆の、小柄で可愛い女の子。

 私とは真逆の、甘え上手な女の子。


 胸が苦しい。今すぐ泣き叫んでしゃがみ込んでしまいたい。

 でも、私にそんなことはできない。

 それくらい素直に感情を出せるタイプなら、春翔もまだ好きでいてくれたのだろうか?


「……もう無理だ」


 これ以上、春翔とは一緒にいられない。


「どうしよう」


 別れると言えば、春翔はどんな顔をするだろう? せいせいしたと笑うだろうか?

 あの女は? 春翔を奪ってやったと、勝ち誇った笑みを浮かべるのだろうか。

 二人はこのまま、幸せな未来を手にするのだろうか。


 そんなの、絶対に嫌だ。


「私を傷つけたこと、後悔させてやる……!」

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