第14話 月 月を喰らう首
相変わらず次の仕事は見つからない。やれやれ、二週間前の俺に転職先が決まるまで会社を辞めない理性があれば、こんな焦りを抱えながら生活することもなかったんだが。
こういう時、例えば何らかの専門知識に基づく資格の取れる学部を出ていればな……。そんな事を考えながら転職サイトを眺めていると、電話がかかって来た。
「もしもし」
『もしもし、
声の主は母さんだった。話をするのはお盆以来だ。仕事中に、と言われるとドキリとして、会社を出て行ったことを一言も伝えないのは流石に良くない気もしてくる。
「ああ、大丈夫だよ」
『お父さんがね、首に腫瘍が見つかって、手術で入院することになって……もし都合がつくなら、一度手術前に顔を見せに来て欲しいんだけど』
俺は一瞬で血の気が引くのを感じた。母さんの声もよく聞けば震えている。
「手術って……いつ? 俺は今日にでも帰れるけど」
『二週間後よ。お医者さんの話では命の危険はほぼないそうだから、そんなに急ぐことじゃないし明日で大丈夫。お父さんが万一に備えて
俺は時計を見た。午後五時だ。確かに、今から車を運転しても四時間、新幹線と在来線で帰っても三時間かかる。特に車は、落ち着いて運転できる自信がない。電車にするべきだな。電話をスピーカーモードに切り替え、パソコンで乗車券予約サービス画面を開いた。明日の朝八時台の新幹線がある。
「じゃあ、明日の十時にN駅に着く電車に乗るから」
『わかった。そんなに大変な手術じゃないってお医者さんも言ってるし、焦らないでね』
母さんはそう言って電話を切った。命に危険はないとは言うけれど、なにしろ首の腫瘍だ。どうしても工藤の祟りを思い浮かべてしまう。
明日と、場合によっては明後日から暫くも実家にいることになる。ということは、その期間はゲーム実況はできない。俺はSNSに「諸事情により暫く配信が不定期になります」の告知を投稿した。今日の配信でも告知しておこう。明日落ち着いて実家に帰れるように配信自体も早めに切り上げた方が良さそうだ。鞄に着替えなどを詰めた事を確かめ、俺は配信を開始した。
「こんばんは、
第十四作目は『ダルマパーラ』というアクションゲームの2面部分だ。俺はあらすじを読み上げた。
遠い昔から世界は天界の王である帝釈天とその臣下の神々によって守護されていた。主人公のジャヤンタ太子は帝釈天の息子であり、世界の守護者の一人として月を防衛する任務に就いていた。そこに阿修羅の軍勢が奇襲を掛けてきたために、彼は戦いの最前線に立つことになる。果たしてジャヤンタ太子は世界を守ることができるのか。
「仏教はちょっとわかります。帝釈天と梵天が神々の中では一番偉くて、帝釈天と天部は阿修羅一族と敵対してるんですよね。さて、アクションですね。いつもながらあんまり得意じゃないので、失敗しても笑って許してくれると助かります。流石に2面ではそこまで詰まないかもしれませんが……」
喋りながらボタンを押していく。話の舞台はインドなので、登場人物の衣装がカラフルだ。主人公と毘沙門天との会話が画面に表示された。彼はこれから阿修羅の軍勢の指揮官「
【敵に着払いで塩を送る毘沙門天だ】【レターパックで塩を送れは全て詐欺】
「毘沙門天、四天王の一柱ですね。本来主人公の父親帝釈天の部下だったと思いますが、頂いたコメントのとおり日本では上杉謙信でお馴染みです。毘沙門天と塩は直接関係ないですが。お、台詞が出ました。『帝釈天様は貴方が世継ぎであることを幸せに感じておられます。私もジャヤンタ様の補佐を務められる事を光栄に思いますよ、我々で阿修羅族を平定してしまいましょう』」
【是非毘沙門天の塩を見届けてほしい】
今日は良い感じに盛り上がっている。明日のことを考えると不安で仕方なく、ちょっとでも元気に家に帰りたいから、結構助かる。
「皆さん、塩を引っ張りますね。まさかこの後本当に塩が出てくるのか? 今のところ主人公に対しては砂糖対応ですが。さて敵のボスの羅睺っていうのは、確か古代のインドで日食や月食を起こすと考えられていた首だけの阿修羅ですね」
首だけの……ということは、今回の俺に違いない。さてステージ開始前の対話はここまでのようだ。俺はボタンを押した。画面が暗転する。備えよう。
気が付くと、俺は首だけになって狭い部屋の中に転がっていた。いつもどおりだ。
【元々インド神話では胴体もあったが、神々を欺いて不老不死の霊薬を口にしたことが露見し、霊薬が体内で消化されきるまでに首を刎ねられたから首だけ不死になったと言われている。】
「『マイTea・ソ茶ー』さん、ありがとうございます。へー、胴体あったんだ」
——何を言うか。元より
頭の中にしわがれた声が響いた。羅睺だ。
——我らの王、
さっき「仏教はちょっとわかる」と言ったが、これは俺の知らない話だ。神にも悪い面はあるんだな。
——それ故に、吾らは唯一不変の正義にして美徳である力をもって世界を統治し、最も強き者達による統治を望んでいる。ところが神々の国にはこのような道理がない。その王である帝釈天と梵天は確かに神力強き者だが、その配下は有象無象共だ。例えば琵琶を弾くしか能の無い者が守護将軍として取り立てられ持国天と名乗っておる。
——うーん、それはちょっと賛同できないな。
俺は思わずそう言ってしまった。俺達が生きている現実とは違い、この世界の国には軍隊だけがあればいいのかもしれないが、それでも戦闘面での強者のみを支配層に据えるのは下々の者にとってきっと不幸な事だ。それが神の「悪徳」なら、そのままでいい。
第一、その理屈なら結局神々がこの世界を支配するのが正しくなるじゃないか。どれだけ弱そうな者を将軍に据えていようと、今のところ戦争に勝ち続け強さを証明しているんだから。
さて、俺は片目を閉じ主人公ジャヤンタ太子の様子を見た。画面に表示される操作説明と同時に、剣で阿修羅を倒している。
「このゲームでは一般敵の阿修羅は三面六臂っていう手足胴が三セットの姿じゃなく、人型なんですね。で、宙に浮いてる手や足だけの敵キャラクターもいる。……って、指一本の長さが主人公よりちょっと小さいくらいって、本体めちゃくちゃデカくないか?」
なるほど部屋が小さいんじゃない、羅睺があまりにも大きいんだ。流石に天体としての月そのものを食べ尽くせるほどではないが。
ここで主人公の台詞が流れた。このバラバラになった身体の一部は「
【計都はインド天文学における彗星及び流星を指す。】
「『
こんな風に今回も俺は、正体不明の他人の操作を実況している。我ながら、よく異変に気付かれないものだ。(俺の実況は一挙一動を見つめるほどの価値があるものじゃないってことなのかもしれないが……。)
——お前も、遥か彼方より驕った考えでお前の運命を縛る者に抗おうとは思わないのか。
驚いた。それに困惑した。これまでにも、入り込んだキャラクター達は俺がゲームの外からやって来たことを知っていたようだったが、羅睺は俺の事情まで知っているのか? どうやって知り得たんだ。
——工藤の祟りのこと? なんで俺が江戸時代の先祖の責任を背負わなきゃいけないのかって? それはそうだよ。ただ、そう言ったって相手は生きてた時代が違うし、怨念とは対話もできないのかもしれない。それなら、ただ俺に取れる解決方法を頑張るしかない。父さんの命も掛かってるしな。……というわけで、羅睺さんには悪いけど俺が喋るべきことを優先させてもらうよ。
「このステージのボス、羅睺と戦う為には三十二体の計都を探し出して倒す必要があるとのことですが、そろそろ二十体を越えたんじゃないかな。『探す』といいつつオブジェの中に隠れたりしないで自分から向かって来てくれるので、今のところ割と迷わずに進めてます。それぞれに目の生えた足と手と胴はともかく、ちぎれた内臓とかは若干グロテスクですね。不完全な不死身って残酷だな」
【不老不死ものは悲惨な話の方がウケがいいからな】
「『つねつねマグネット』さん、ありがとうございます。確かに、不死身なのを利用して悪事をやらかし続けた主人公が最終的に殺人狂に捕まって延々と殺され続ける、ってホラー小説を読んだ事があります。あれは滅茶苦茶気持ち悪くて怖かった」
今日のプレイヤーは結構ゲームが上手いようだ。それ程ダメージも負わず、現れた敵を残さず倒してボスの部屋の前に辿り着いた。俺達の出番だ。
——やるか。と言っても、俺に積極的な援護はできないけど。
おそらく
——お前の援けなど元より不要だ。
羅睺がこういう幾らか独善的な性格で、俺の共感を求めていないのには助かった。(可哀想じゃなければやられちゃってもいい、という理屈も好きじゃないが。)
「ボスの羅睺は仏教の設定どおり首だけですね。お……」
俺が喋っているのもお構いなしに、羅睺はジャヤンタに向かって毒の息を吐きかけた。しかし、息の進みはゆっくりとしており、主人公は難なく回避した。
「流石にまだ2面ですから、ボスの攻撃もそう激しくはないですね」
【と、思ってると意外とダメージを受ける】
視聴者さんのコメントの理由は直ぐにわかった。毒の息には勢いがないが、空中に長く留まるのだ。何も考えず剣だけで倒そうと毒の中に突っ込んで行くと、確かにHPを消耗するだろう。
プレイヤーも二度毒にぶつかってそれに気づいたらしい。金剛杵で安全な位置から攻撃をする作戦に切り替えた。堅実だなあ。なお、顔面に金属がバシバシ刺さるので俺はそこそこに痛い。……ところで、流石に俺はゲームの中で死なないよな?
ある程度刺されたところで、羅睺は口を大きく開けて主人公に噛みつこうとした。太子は逆方向に進んで回避した。プレイヤーが驚いているのがよくわかる動きだ。同時に、金剛杵が当たっても痛くなくなった。俺は画面を見た。そういうことか。
「危なかった、でもって体力の減った相手の行動が変わりましたね。ここからは直接剣で斬らないとダメージが与えられないようですが、ど……おっ」
羅睺はまた話の途中で俺の意思に反して突っ込んで行った。せめて喋り終わるまで待ってほしいけど、羅睺には俺に合わせる理由なんてなさそうだからな。じゃあなんで俺、こいつと同化してるんだろう。
次の瞬間、舌に尖った物が刺さる感触と共に、激しい痛みが走った。そうか、こうやって倒すんだな。理不尽だけど心を無にして攻撃を受けるしかない。現実に帰った時、俺の体に影響がないかどうかだけが心配だ。
結局、更に2回ほど痛い思いをしてこのボス戦は終了となった。俺も現実に帰って来た。試しに軽く口を開けてみた。舌に異常はない。
画面の中では撤退前の羅睺が主人公と会話している。
『ジャヤンタ太子よ、其方は何故帝釈天を父と呼べるのだ。あの男は其方の母
「どういう意味? 太子は舎脂の子ではあるけど、実は帝釈天と血が繋がってないってこと?」
俺は羅睺の台詞からそう考えたのだが、視聴者さんのコメントを見るとどうやら違うらしい。
【間違いなく実の親子。阿修羅族の方が家父長制の度合いが強い所為でこういう物言いになってる。製品版でステージ3以降まで見ると事情がわかる】
【ググればわかるけど、できれば敢えて検索せず製品版の阿修羅編を見て衝撃を受けてほしい】
「『ヴィオちゃん先生』さん、『マー』さん、ありがとうございます。真相はこの先のステージか、続きに興味を持たせるの上手いなぁ」
画面の中ではジャヤンタ太子が困惑している。
『何を言っている? 私の母がお前達と同族、即ち阿修羅族であるのは確かだが、天界にそれを笑う者などいない。水天殿と毘沙門天殿もそれぞれ阿修羅族と夜叉族の出だ。お前達が先に攻めてこなければ、父上も神々も阿修羅族を打破しようとは考えなかった筈だ』
「毘沙門天はさっき出てきたけど、確かに帝釈天と信頼関係がありそうでしたね。一見、構成員の出自を問わない神々の社会の方が良さそうに見えますが、何か裏があるんですかね。本当は先に神々が阿修羅を迫害してたとか、阿修羅には神々の国に攻め入らないと生きて行けない事情があるとか」
少なくとも羅睺にとっての真実の認識はそうだった。多分、俺を呼んだのはそれを伝えたかったからなのだろう。ただ、羅睺の価値観は少し聞いただけでは賛同できないものだったが……。
『真実を知りたくば、我らの長にして其方の祖父の
「ん? 敵の総大将は主人公から見ればおじいちゃんなんだ。本来なら親族の争いだけど、侍や貴族なら郎等を引き連れて戦い、更に王族となると国を挙げた戦争になるんだな……そこまで規模が大きくなると、お互いの体面の所為で和解するのも難しいんだろうな。と、いうわけで今回はここまでです。視聴ありがとうございました」
両親仲良しで父方の祖父母が割と早くに亡くなった俺には実感が沸かないので、実況では「王族って大変だな」みたいな結論になったが、この後ジャヤンタ太子はどうなるんだろう。俺がこのゲームの製品版を買ったら、この太子が母方と父方のどちらにつくか見届けられるわけだ。全部終わったら、買ってみるか。
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