第15話 猫(前編) 話は巻き戻る
去年の正月以来、久しぶりの実家だ。人によっては帰省すると自分の部屋が別の家族の部屋になっていたりして寂しくなることもあるらしい。俺の家は元々引っ越しが多かったから、就職して初めての帰省で二階にあった自分の部屋が無くなっていたのも、引っ越しの一種のようでそれ程戸惑わなかった。
それはさておき、父さんは手術までは家にいるつもりのようだ。母さんは気落ちしているものの、病気に罹った当人は普段どおりといった様子で、リビングでだらだらとテレビを見ている。
やがて母さんは夕食の準備のために一人で買い物に行った。子供の頃から、母さんは何故か夕食の材料の買い出しだけは手伝わせてくれなかった。小学生の頃はそれが不満だったのだが、少なくとも今日は父さんと二人だけで話す時間として利用させてもらおう。
「父さんさ、腫瘍って痛くないのか?」
俺は恐る恐る尋ねた。父さんはどう答えるべきかといった様子で眼鏡の両縁を両手で挟み、かけ直した。
「痛み止めを飲めば止まる痛みだが、首の腫瘍だしなぁ。医者からは、まだ命には係わらないと言われたけども、これから歳を取っていけばどのみち……ん?」
不意にガラス戸の先から、猫の鳴き声がした。父さんは立ち上がり、戸を開けて庭の水道に繋いだホースの先を持って蛇口を捻った。猫はすぐに驚いて走って行った。父さんはその様子を見送り、ガラス戸を締めて鍵をかけた。
「可愛いけど、居着いちゃったらご近所の迷惑になるからなぁ。そうそう、猫といったら……久弥斗は志智祖父ちゃんのことは覚えてるか? 幼稚園まで一緒に住んでたろ」
俺は言われるままに志智祖父ちゃん、つまり父方の祖父を思い返した。土木作業員だった祖父は工事中の事故で、クレーン車で吊られていた鉄骨が滑り落ち、その日偶々ヘルメットの締めが緩かった所為で頭を守り切れず亡くなった。
「確か、俺が小学校三年の頃に仕事中の事故で死んじゃったよな。遊びに行くとお菓子とか買ってくれたんだけど、ちょっと……その、痴呆入ってた?」
祖父のことで真っ先に思い出すのは、よく俺の服を買ってくれようとするのだが、何故かそれが決まって女の子の服だったことだ。毎回父さんが店の人に謝りながら返品に行っていた。
さっき「痴呆」とは言ったが、それ以外の点で言動にとぼけたところはあまりなく、また毎日肉体労働もしていたわけだし、当時の俺は「自分には実は死んだ姉がいて、祖父は彼女の死を受け入れられないあまり俺を姉と混同しているのだ」と幼いなりに理由を推測していた。
「小学校の入学祝に、祖父ちゃんが赤いランドセルを買ったのは覚えてるか? 久弥斗が小学生の頃は、今時と違って『赤が女の子で黒が男の子』だったろ。あれがきっかけで父さんは祖父ちゃんと大喧嘩して、母さんと久弥斗を連れて実家から出て引っ越したんだが、祖父ちゃんがどうしてそんなことをしたかというと……」
父さんはそう切り出した。話を聞くに、祖父ちゃんも父さんも工藤の祟りについて知っていたらしい。ただ、俺が小さいの頃の二人の反応は真逆だった。祖父ちゃんは俺が生まれてからというものの、祟りを本気で恐れるようになった。一方の父さんは祟りを迷信だとしか思えず、祖父ちゃんに対しては母さんに負担をかけたくないから話は口止めしていたらしい。
「発端はお前が幼稚園児の頃だった。切断された野良猫の首が幼稚園や小学校の入口に置かれる事件が起きたんだよ。ニュースで話題になった虐待事件の模倣犯の仕業だと思うんだが、祖父ちゃんは『これも祟りだ』と思い込んでしまって、とうとうお前に女の子の服を買ってくるようになったんだ。昔の西洋には魔除けの為に男の子を女装させる風習があったそうで、それを真似したと言ってたけど、当時はいい迷惑だったよ」
そういうことだったのか。俺は理由を聞いて、祖父の行動に納得した。青木の家の九代目には女の子しかいないと怨霊に思い込ませたかったのだ。
「若い頃は昭和平成にもなってそんな迷信、と思っていたのにな。自分が歳を取って仕事も退職して、その上病気も見つかって死ぬかもなあ、と考えると、急に怖くなってきたんだよ。祟りは本当にあったのかもしれないって」
父さんは深い溜息を吐いた。
「ただ、言い伝えでは祟りは九代目までだった。つまり、久弥斗で最後だから、もし子供ができても祟られることはないだろうな。親父と違って、その心配をしなくていい分ずっとましだと思ってるよ。……はぁ、未だ若いのにこんな話、嫌だよなあ。彼女さんとも結婚の相談してるんだろ? 人生で一番未来が楽しみな時期なのに、ごめんな」
「俺は大丈夫だよ」
一部始終を語る間、父さんの目はあちこちに動いた。俺は生まれて初めて、自分の父親が怖がる様子を見た。可哀想だと思うと同時に、ショックでもあった。やっぱり俺が、何としても祟りを解かなきゃいけない。
その日の夜は一階のリビングに布団を敷いて寝ることになった。まだ時期は少し早いが、小さい頃はどの家に住んでいても、冬になるとよく炬燵で寝てしまったのを思い出す。折角だから隣の仏間で仏壇に手を合わせてから、俺は布団に入った。
うつらうつらし始めて暫く経った頃、外から猫の鳴き声がした。昼間の野良猫がまたやって来たのだろう。父さんの言うとおり、我が家で責任もって引き取るのでもない限り構うべきではないが、ちょっと様子を見るだけならいいか。俺はそう思ってカーテンを開けた。
そこには猫を抱きかかえる人間がいた。見なかったことにしたいが、完全に目が合ってしまった。中学生くらいの女の子だ。どことなく見た目に違和感はあるものの、よく見ると、この前コンビニで出会ってお守りをくれた子じゃないか? 一体、どうしてこんなところに?
「こんばんはー」
彼女はガラス戸を叩いてそう言った。反応すべきだろうか。お守りをくれたのだから悪意がある子ではないような気がする。俺は少しだけ待ってガラス戸を開けた。
「えっと、こんばんは」
「何から話そうかな。私の事は知らないよね。だけど、私達は二週間と少し前から、貴方をずっと見ていたの」
「ということは、
きっとあのお坊さんと同じく、この子も工藤の祟りについて知っていて、何らかの関りがあるんだろう。例えば巫女装束や和服とかじゃなく、ありふれたジーンズジャケットの下に膝までのスカートの所為か、霊能力者のようには見えないが。俺はそう思いながら言った。
「残念ながらそうなの」
おお、きっぱりとした返事だ。わかっていてもちょっと寂しい。
「でも、応援はしてる。貴方があのゲームをクリアして、中の命を行くべき場所に送ってくれないと私も困るから」
「中の、命? プログラムじゃないとは感じてたけど、俺は一体なにをやってるんだ?」
「そう。あの人達、生きてるよ。いや……世間の感覚で言うなら、『ずっと死にっぱなし』になるかな。精神の奥底では生前の未練が強い割に、記憶は壊れてしまっている者達をどうにか次の肉体に宿らせるために、私達があの空間に放り込むことにした。彼らが貴方と関わって、ゲームがクリアされる必要があるの」
つまり、体験版だけのゲームの世界に最近の言葉で言う「転生」をしてしまった幽霊の彼らに、元々の意味としての転生をさせるために、俺は毎回色々なゲームの中に入り込んでいるらしい。ええと……わかる、けどわからなくなって来たぞ。
「ちょっと待って。俺は自分の先祖のやらかしの所為で、祟りを解く為に工藤の無念を晴らすような話を……」
話しながら、一つの推測が浮かんだ。お坊さんの話を聞いた時、まさかゲームの中に引きずり込まれると思っていなかった俺は、視聴者に向かって喋るものだとばかり思っていた。だが、ひょっとすると。
「もしかして工藤もあのゲームの何処かにいるのか?」
「うーん、今話せる限りで言えば、そんなところかな。流石にまだ全てを話すことはできないけど」
「そうか。ありがとう、君……えっと、名前を知らないと呼びづらいな。名前は?」
「ファン・テンジン……じゃなかった、今の私は
古文漢文ができれば歴史もできそうなもんだけどな。いやそんな細かいことはいいか。
「あと十五日あるし、私達のことはその内に話すわ。それじゃ今日も頑張ってね」
要はそう言うと俺に背を向けた。また会いに来る気でいるようだし、今の俺に引き止める理由はない。あ、真夜中に中学生一人で帰すのはまずい。
「待って。うちから駅まで結構あるけど、タクシーとか呼ばなくても、大丈夫?」
俺がそう言うと、彼女は振り向いて嗤った。
「大丈夫よ。ありがとう」
猫も抱えて行ってしまったけど、飼うあてはあるんだろうか。と……今更俺は最初の違和感の理由に気づいた。
彼女の見た目じゃない。抱えていた猫に、首から下が無かったんだ。ひょっとしてあれも、「ずっと死にっぱなし」の命だろうか。
Trial of NAMA ~どのゲームにも生首が出る~ ミド @UR-30351ns-Ws
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