第12話 湖 葬頭湖ダイビング
日曜日だ。今の俺は当分の間、毎日が実質日曜日だが、いつ再就職が決まってもいいよう生活ルーチンはなるべく変えたくない。よって今日を、今まで日曜日に回していた作業をやる日として扱う。
具体的には先月までに放送した実況動画から、ウケのよかった部分を切り抜く作業だ。その時々の視聴者さん達とのやり取りは本当に楽しい。俺も頑張っているが、まだまだ視聴者さん達のコメントに助けられていることの方が多い。
この時プレイしていたのは『ヘルヘイム・サーガ』、北欧神話の同名の神々と同じく勇敢な戦死者の魂をヴァルハラに運ぶ役目を持つヴァルキューレの主人公レギンレイヴが、地獄に相当する場所であるヘルヘイムの各地に連れ去られてしまった戦士達の魂を取り返しに行くゲームだ。入る度に構造の変わるマス移動式の2Dマップやそこをうろつくモンスター、各所の床に落ちているアイテムや仕掛けられた罠等の特徴から、プレイヤーの間では『ヴァルキリー・風来ファイル』という愛称で呼ばれていたりもする。クリア後の高難易度ダンジョンは運を天に任せるしかない所も多々あり、配信中にどうしようもない展開に陥ってしまったりもする。(狙ってプレイしてはいないが、プレイヤーが焦っている時の方が視聴者さんにはウケるのだ。)
登場キャラクターの中ではビルギッタという狩人の女性が特に好きで、半ば自分用に彼女が登場するイベントの切り抜き集も投稿した。といっても俺は別にこの子と付き合いたいわけでもないが……仮によーちゃんと出会っていなかったら? いや、それでもまずビルギッタの方にブラッドという想い人がいるので、俺の出る幕はないな。(俺は登場人物同士の恋愛を眺める方が好きだ。)
ここで俺はふと思い立って、配信はしないが機材だけ同じように整えた。そして、『ヘルヘイム・サーガ』をセットしてゲーム機のスイッチを押した。スタート画面で「続きから」を選び、ロード完了を待ち、難易度の低いダンジョンにも行ってみた。
しかし、俺の精神はゲームの中に入ることはなかった。ちょっとビルギッタや、その次に気に入ってる登場人物であるヴァイキングの少年エイリークと喋ってみたかったが……。仕方ないのでとりあえず最下層まで進み、クリアしたところでやめた。これも後で妻夫木と話をする時に役立つ情報かもしれない。
完成した切り抜き動画も公開し、配信の準備も整った。今日は昼からの配信だ。やるか。
「皆さん、こんにちは。『未知体験のプレイゾーン』第十二回目を始めます。今日のゲームは『クルスキトゥル』、マリモになって湖を転げまわるゲームとのことです。マリモって、なんと日本どころか全世界でもほぼ北海道の阿寒湖にしかいないらしいですね。あとちょっとだけ青森にもいるらしいです。俺も修学旅行先だった北海道の博物館で見たんですが、命があるんだか無いんだかわからない感じが妙に心に残りました」
北海道といえば、よーちゃん、元気かな。この配信が終わったら電話するか。
そんな事を考えていると、視聴者さんから訂正のコメントが入った。
「『マー』さん、コメントありがとうございます。『実は十数年前まではアイスランドにもそこそこいた。このゲームのデベロッパーもアイスランドの企業』。へー、北欧にもいるんだ。勉強になります。ありがとうございます」
俺はそう言いながら点・棒・丸などで簡略化された顔の書かれた緑色の球体が積み上がったタイトル画面の「はじめから」を選んだ。
このゲームのオープニングは、くたびれた様子の男が湖畔に佇んでいるシーンから始まった。北欧人の一般的なイメージどおりの金髪の大男だ。この男は本格的なキャンプに来たのか、手には斧を持っている。
と、男はいきなり持った斧を大きく振り上げ、そして自分の首に向かって振り下ろした。
「ええええええーーーーーー!?」
そう叫びながら、俺の意識は遠ざかっていった。
意識を取り戻すと、そこは湖の中だった。周りを見回すと遠くに藻の塊が幾つも転がっている。
「これは見るからにマリモですね。ゲームなので現実のマリモとは違い自発的に動くようですが」
俺はそう呟き、片目を閉じた。画面の左下に操作ガイドのグラフィックが表示されている。
「この湖底を好きなようにゴロゴロ転がって、サイズを成長させることが一応の目的ですが、肩の力を抜いてゆるく遊ぶゲームということなので、早速ゴロゴロします」
俺はそう言いながら転がった。湖底の石が頭の各所にぶつかる。現実より痛覚はだいぶ鈍いらしく、小さい石に当たる程度では殆ど何も感じない。
【大きすぎる障害物に当たると分裂して小さくなるから気をつけて】
「『殷周村の孫張』さん、コメントありがとうございます。気をつけて行ってきます」
今日は誰かの声は聞こえてこない。俺がどんな状態で画面の中に入るかに、法則性は多分なさそうだ。逆に登場人物が現実にいる俺と話した日もあれば、全く話さなかった日もあったし。
画面には自分のマリモを大きくする方法が表示されている。成長手段は光合成であるらしい。俺の目指すべきものは不明だが、とりあえずガイドどおり光の届きやすい場所まで転がっていくか。
転がっているうちに、偶々こちらに転がってくる別のマリモがいた、と言いたいところだが……相手はほぼ人間の生首そのものだった。ただしその表面には、びっしりと短い藻が生えている。四日目に実況した『Blossom for him』のラースさんを思い出させる姿だ。生首マリモとでも呼べばいいのだろうか。
「やあ! 君もこっちに来たばっかりなのか? 短い付き合いだが仲良くやろう」
フレンドリーな口調の生首マリモは、大きく口をあけて笑った。良い人そうだ。俺は即座に画面を確認した。二つの球形のマリモが映し出されている。多分、これも四日目のゲームと同じく、なんらかのフィルターが自動的に適用されている。
「えーと、これは他のマリモですね。こんにちはー」
「光のある場所ならあっちだ、手前のカニに気を付けながら進まないといけないよ」
お互い手が無いので、「あっち」という方向の指示は首を傾けることで行う。この生首マリモが示した先には、確かに光が差している。さっさと進んでいく生首マリモ(仮に「先輩」と呼ぶことにする。)の後を、俺も追いかけた。
そうやって進んで行くと、異様なものが目の前に現れた。
「……カニ?」
それはやたら長く細い脚で湖底をのし歩く、マリモから見れば巨大なカニであった。多分だが、甲羅の部分だけで一メートルはある。
【実際には同じ湖にいるはずがないタイプのカニだが、このゲームではマリモを掴まえて食べる。数少ないゲームオーバー要素】
【上から足を振り下ろしてくるので、足の届かない距離を取って通り抜ける必要がある】
「コメントありがとうございます。そっか、気をつけて進みます」
俺はそう言いながら、カニを迂回する形で進んだ……つもりだった。しかし、急に湖の水が大きく動いたかと思った瞬間、俺のすぐ後ろにカニが降り立った。
「ええええええ!?」
思わず叫んでしまった。本日二度目だ。そうだな、何故かマリモと同化する人の生首を食べる、奇怪なカニだもんな。本来あり得ない動きをしてもおかしくないよな。突拍子も無かったり、説明をよく読めば読む程理屈がわからなかったり、状況を文字に起こすと間抜けだったり、そういうのもまたゲームだ。一々突っ込むのは無粋だ。
と、感心しているわけにもいかない。逃げなければ。まだ入り込んだゲームの世界でゲームオーバーを迎えたことは無いが、万一にもそのまま死んでしまったら恐ろしいので、この先も試す気はない。
俺はとにかく前へ進んだ。通常であれば、カニは縦に進むのが下手だ。逃げるなら縦方向が良い。ついさっき言ったように、相手は通常のカニではないが……
そこから先は、しばらくカニとの追いかけっこだった。俺がある程度距離を取ると、カニの奴は縦方向にノロノロ進むのを止めてジャンプで追いかけてくる。そこで、ある程度距離を開けるまでは息切れしない程度の速度で転がり、カニが跳ねたら全力を出す。
「これ結構焦りますよ!」
【そのうち自分が大きくなると、逆にカニを潰せるようになる】
「えぇ!? このマリモそんなにでかくなるの? まあ、そういう世界観ならそうなんでしょうね!」
逃げ回りながら視聴者さんのコメントにも叫ぶように返事をする。人の首が、この巨大カニを重みで潰せるほどのサイズまで成長するのか……。
そうこうしているうちに、俺はようやく光の射す場所に辿り着いた。ここでカニの奴の縄張りから外れたらしく、相手は引き下がっていった。ただ、背後で悲鳴が聞こえたのが気がかりだ。あれは別の生首マリモがカニに襲われた声ではないか。
「無事辿り着いたみたいだね!」
俺に気づいた「先輩」が近くに転がって来てくれた。見渡すと、既に他の生首マリモ達も集まっている。生首マリモ達の姿は様々だ。どうやら、転がっているうちに首が擦り減って完全な球に近くなるらしい。やがて顔も口も藻に埋もれるのか、タイトル画面のマリモに近くなっている者もいる。
「どうなることかと思いましたが、カニは居なくなったので、多分これで安全なんでしょう。では試しに光合成してみましょう」
俺は「先輩」に返すようにも、また視聴者さんに対して話すようにも喋った。そういえば、今日までにゲームの中で出会った人々は俺が「実況者です」と説明すれば結構素直に「ゲームの外にはそういう仕事がある」と納得してくれた。昨日の綾野さんは個人による動画配信の普及以前の時期にいた人なので、もし俺が説明する流れになったとしてもよく伝わらないかもしれないが……。
さて光合成である。俺は両目共に閉じてゲーム画面を見た。チュートリアルによれば、光の強く指すエリアで暫くじっとしていると、マリモの体が一定程度大きくなる。勿論それだけで無限に大きくなるのでは面白くないので、一定程度成長したら、次は転がりながら水中のミネラルを吸収する必要があるらしい。基本的にはこの流れを繰り返していくようだ。
説明どおりに動かずいると、なんとなくだが確かに顔が膨れた気がする。
「もっと勢いよく成長したいなら、あんな風に小さいマリモにぶつかって吸収するといい」
「先輩」が示す先では、おそらく直径五十センチほどの、完全に普通のマリモに近い個体が、その四分の一ほどの大きさのまだ首らしさの残るマリモに乗り上げ、そして押しつぶしている。小さいマリモは悲鳴一つ上げずバラバラの藻になり、そして大きい方へと取り込まれていった。
へー。……だけど、ここのマリモ達は元々人の首の形をしているということは、吸収されるというのは即ち死ではないのか。俺はふと不安になった。
「あの小さいほうのマリモって、要するに食われたんですか?」
【見た目はゆるいけど、意外と弱肉強食だったりする。自分より大きいマリモからは離れた方が良い】
「そうだよ。だけど、ここではその内、食われることは気にならなくなる。湖で転がっているうちに自分が元は何者だったか、どうしてここに来たかを忘れていくから。誰もが増えたり減ったりする。石にぶつかって千切れて増え、カニに食われて減り、吸収すると二つが一つになる」
『殷周村の孫張』さんのコメントと、「先輩」の返事はほぼ同時だった。「先輩」の言葉で、俺はこのゲームのオープニングを思い出した。湖の岸で、唐突に自分の首を切り落とした男。彼の首は湖に落ちたはずだ。そして元は生首だったと思しき幾つものマリモ達。すると、ここは一風変わった死後の世界として作られているのか。
「そうなんだ……俺はまだ消えたくないな」
「君も焦らず、気が済むまでいればいいよ。ここは当分の間、自由に転がっているための場所だから。もう満足したと感じたら、次へ進んで行けばいい」
「先輩」はいずれ消えることが当然だと考えているようだ。ここの価値観はそうなのかもしれないが、俺にはひとまず、生きてやるべき事がある。転がっているだけで徐々に記憶が消えるなら、長居しない方が良さそうだ。
さて、どうやったらこのゲームはクリアになるんだろうか? じっと動かずそう考えていると、急に視界が狭まり……
俺は無事、現実に戻ってきた。画面には「四十五センチに成長したため、体験版は修了です」の表示がある。なるほど、そういう終わらせ方なのか。
「危険はありましたが、基本的には肩の力を抜いて遊べるなんでもありの世界でしたね。普段こういう感じのゲームはプレイしないので、新鮮でした」
ここで視聴者さんからのコメントだ。
「『厚底軍艦チョベリバージニア』さん、コメントありがとうございます。『ゲームに設定された目的が少ないから飽きそう』。確かに。ただ、他の人の作品で、フィールドに徘徊するモンスターを町の中まで誘き寄せるお遊び動画とか凄い再生数ですよね。細かいルールのないものは、そういう面白いやり方を自分で探すコツさえみつかれば、それなりに楽しめると思います。今プレイして見た内容だけでも、他のマリモをとにかく食いまくる殺伐プレイにするか、光合成だけで大きくなる穏健プレイにするかの選択肢はあるわけですし」
かく言う俺の強みは、プレイヤーに俊敏性の要らないタイプのやり込み動画だと自分では思っている。最近撮ってないけど、近い内にまた作ろうかな。
更に訂正のコメントも来た。この『殷周村の孫張』さん、結構やり込んでいるのか。
「補足コメントしてもらえるの助かります。『ある程度マリモが大きくなると、カニに踏まれても一発でゲームオーバーにはならないが、カニの方も逃げ場が無いよう複数体で隊列を組んで一斉に脚を振り下ろしてきたりする。あと、湖から転がり出て他の湖に移住できたりもする』カンカンダンスならぬカニカニダンスか……それは見てみたいですね。そっか、序盤だけだとわからないけど、このゲームは途中からどんどん面白くなるタイプか。見せ方って難しいですね」
続いて「マリモ巨大化RTAの可能性もある」というコメントもある。視聴者さん達は、このソフトも悪くはないかもと思ってくれているようで何よりだ。ただ、皆が自分でプレイしてくれるかどうかは定かではない。強欲なようだが、「
「そうですね、オンラインでワイワイするのに向いてるかもしれません。俺も巨大化RTA見たいかも。『投稿主の頑張って褒めようとするところすき』、ありがとうございます。とりあえず褒める努力、多分これはネット上で知り合った皆さんとか、高校大学の友達の影響が大きいですね。後はまあ、俺の母親が人を悪く言うのに対して厳しかったので、親の影響もあるとは言えると思います」
話が長くなってきたので、一旦マイクをミュートにして水を飲んだ。
「中学時代に一時期いたバドミントン部に、凄い性格が嫌な奴がいて、俺はそいつを勝負で負かしたいんだけどどうしても勝てない。そこで色々あって母親に話したんです。それで、悔しくなった時こそ相手を悪く言わずに、自分の今まで来た道と進みたい先を思い出せと言われたのを今でも偶に思い出します。その後どうなったかというと、どうしようもなく嫌いだった筈のそいつのフルネームも今の俺は思い出せないので、悪いアドバイスではなかったように思います」
話しながら俺は、昨日考えていたことを思い出した。例えば青木辰之介の父や母は、息子が幼馴染にチャンバラで負けるのを責めていたのだろうか。青木辰之介の生きた時代の武士は確かにまず武芸だったかもしれないが、刀や弓の腕が劣ることを気に病まないで済む生き方は無かったのだろうか。
俺は時計を見た。17時前か。そろそろ良い時間になってきたな。
「今日はこの辺りで失礼します。次回もまた見てくれると嬉しいです。それでは!」
ところで、今回は用があって俺を呼んだ相手はいなかったようだ。
* * *
「——次回もまた見てくれると嬉しいです。それでは!」
蝋燭の明かりだけの薄暗い部屋で、三人の人物が壁掛けスクリーンに映し出される動画を眺めていた。その内の一人の、長机に頬杖をついて見ていた男は、手元のメモ帳に何事かを書きつけていた。
「今日は三十人ほどが食われたのか」
男がそう呟くと、三人の中で唯一の女性がその脇の壁に掛かったカレンダーを見た。
「『夢の国の王子』の出番まで、あと六日ですね。これで『世界の淵』の先が少しでも掴めると良いのですが」
「あれは間違いなく奴らの目を引くに違いない。食われるだけで終わるにせよ、優秀な寄せ餌になるだろう」
男はそう言って動画サイトを閉じ、ノートパソコンの電源を落とすと、そのままパソコンをもって部屋を出た。続く廊下から見える窓の外は、澄んだ水で満ちていた。
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