第10話 来る 「来てるよ」
「これ、なんで全部言い終わる前から札がわかるの?」
「今のは同じ言葉で始まる札が一つしかない句だったからよ。大会に出る人は皆、区別がつくところまで聞こえたら直ぐに取るの」
「ふーん」
母と高校生の姉は映画を楽しんでいるようだが、九歳の歩武にとってはそもそもこの「百人ウィッシュという昔の人が作ったカルタ」は、昔の人の話なのに武将が一人も出てこないので退屈だった。本当はテレビの大画面で最近買ってもらったゲームをやりたいのだが、今日は母親から絶対にこの映画を見ると言われてしまったので、仕方なく我慢している。
テレビ画面でゲームができないのでは仕方がない。歩武は母のタブレットにイヤホンを繋ぎ、動画サイトを開いた。最近彼がハマっているのは、動画配信者「
歩武も最近彼が実況を始めたのと同じ、「未知体験のプレイゾーン」をダウンロードした。このゲームは全部体験版なのでタダでダウンロードできるから、お義父さんのお金を使い過ぎていると母に叱られることもない。
「十日目の今日は、『海から来るもの』をプレイしていきます。ホラーアドベンチャーか……流石に第一章だけならそこまでショッキングなシーンはないと思いますが、念の為、音をちょっと小さくしますね」
歩武はお化けなら全然怖くない。ただ、血が沢山出るゲームは駄目だ。隣にいる母が嫌な顔をするし、歩武自身も痛そうで気持ち悪くて仕方がない。特に女の人が殺される展開は、理由もわからないほど泣きたくなる。
「おっ、綺麗な海ですね。山も近くて、段々畑が広がっています。都会から来た主人公は、夏休みの二週間を使ってこの畑でアルバイトをするんですね。いいなぁ海と畑、夏になったら海に行きたいな——」
「真っ暗な海に青白く光る大量の首状の怪異、結構怖いですね。ミニ海坊主とでも言うべき外見ですが、生まれついての妖怪なのか、それとも人間の手に負える因果でこうなったのか。バイト先の農家の奥さんは何かを隠しているような様子でしたが……村ぐるみでの隠し事って、部外者から見れば本当に身勝手な動機だったりするんですよね。ただ、これはSNSで知り合った人の受け売りなんですが、そこで例えば俺達都会者が一方的に断罪するだけでは実は駄目で、もう少し寄り添って理解しないと本当の解決の糸口は見つからない。長い道のりなんですよね。それでは、今日はここまで。ご視聴ありがとうございました」
俺は配信を切断し、水を飲んでトイレに行った。今日はゲームの中に入ることは無かったが、主人公の夏休みアルバイト先に、低賃金で働かされていた前任者が突然失踪した痕跡があるなど、話のホラーとは直接関係ない部分が若干穏やかでなかったので緊張はした。
用を足せたところで、トイレットペーパーが丁度無くなった。予備も無い。参ったな……ちょっと遅いが、今から近くのコンビニまで買いに行くしかない。俺は上着を羽織って外に出た。
アパートの外は中々の寒さだ。街灯がまばらで暗い所為で、視覚にも「寒々しい」と感じる。これを今から十分ほど歩いてコンビニに向かう。
金曜日の所為か、まだ歩いている人もいる。飲み会の帰りらしき歩き方の人。袋に缶チューハイを詰めて誰かの家で二次会やるつもりっぽい学生さん。到着したコンビニも、酒とつまみを買っている人が二、三人並んでいる。
俺はトイレットペーパーとついでにチョコレートと飲み物を買って会計を済ませ、店を出た。そこで俺の足は止まった。自動ドアの正面に中学生くらいの女の子が立っている。その手に持っているものが、一瞬人の頭に見えた。が、大体それと同じ大きさの丸い鏡だ。螺鈿細工の鳥と花がコンビニの照明の光を反射して輝いている。装飾の豪華さから見て、高価な骨董品に違いない。特徴のない、週末のスーパーでよく見かける中学生らしい服装と比べ、鏡の強烈な存在感が少し不気味ですらある。
「来てるよ」
「え?」
少女から唐突にそう言われ、俺は思わず聞き返した。彼女は答えず、鏡を一旦脇に抱えるとポケットから何かを取り出し、俺に手渡した。有無を言わせない圧力を感じ、俺はつい受け取ってしまった。見ると、神社でよく売られているお守りだった。
「魔除けよ。頑張ってね」
少女はそれだけ言うと、コンビニに入っていった。
俺は暫くの間呆気に取られていた。そして気を取り直し、アパートに戻る道を急いだ。
今住んでいるアパートのすぐ近くには、それなりの幅の川がある。普段の流量はどうということはないのだが、入居した時に貰ったハザードマップによれば、集中豪雨が発生した際には氾濫の恐れがあるらしい。俺の部屋は三階なので浸水の恐れはないが、地上を走る諸々の配線がやられてしまえば暫くは生活が困難になるわけで、少し不安にはなる。
もっとも、この地域で集中豪雨が起きるのは大体夏だ。二、三日前もそれなりの雨は降ったが、そう心配することもないはずだ。俺はそう思いながら、今歩いている歩道橋の手すりから何気なく真っ暗な足下の川を見下ろした。
……川面から青白く光る球状のものが突き出ている。俺は慌てて川に背を向け、足早に、かつ足音が響き過ぎないように、自分のアパートを目指した。
「アーーーーウーーラアアアーーーーヒーーーーーミーーーー」
ほんの数十分前までプレイしていたゲーム『海から来るもの』に出てきたのと全く同じ奇怪な声、青白く光る首状の怪異が出す声が背後から聞こえた。一体どうなってるんだ。誰か自然科学の理論を用いて教えてくれ。ただ、今はこれが幻聴かどうか確かめるよりも、とにかく安全な場所に辿り着きたい。
「ウーーラアァーーーー」
アパートの階段を登り、部屋の鍵を開けて入り、しっかり施錠する。部屋の入口は川から見て反対側だ。俺がどの部屋に住んでいるかまではわからないはずだ。
手洗いうがいも、音が立たないようごく僅かに蛇口を捻った。そしてスマートフォンのライトだけを灯りとして真っ暗な部屋に座ると、一息ついて再び水を飲んだ。
ふと思い出して、先程の少女から受け取ってズボンのポケットに入れたお守りを取り出した。白い包み布に、金の糸で刺繍がされている。あの子は何者だったのだろう?
極力音を立てたくないので、シャワーも浴びずに着替えて布団に入ることにした。お守りも念の為枕元に置いた。布団に入ってスマホのライトも消した時、窓に何かがぶつかる音がした。確かめたくない。カーテンを開けたら、絶対にまた嫌なものを見る羽目になる。
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