第5話 旅 『外』に出たい!
注文した資格の教材が届いた。朝九時から十一時まで、とりあえずは真面目に読んだ。昼食はカップ麺。そう、三日前の出来事の所為で、俺も無性に醬油味のカップラーメンが食べたくなったのだ。あとアイスも。
無職も五日目か。そういえば、実家の両親には全く連絡していない。しかし、考えてみれば大学を卒業して何年も経った今、俺は完全に親から自立した大人なんだし、一々報告しなくても良い気もするな。
夜が来た。今日も機材をセットして、やるか。
「みなさんこんにちは。
俺の視界の隅のコメント欄に早速書き込みがあった。おお、今日は早いな、と思ったが、誤読の指摘だ。ちょっと恥ずかしいな。
「『厚底軍艦チョベリバージニア』さん、『読み方はクトー、ロシア語で”誰”という意味』ありがとうございます。へー、ロシア語なんだ。マトリョーシカもロシアのおもちゃの名前だし、物語の舞台がロシアっぽい場所なんでしょうか。オープニングから見ていきましょう」
俺はボタンを押した。画面には思いつめた様子でカプセル型装置の前に佇む白衣の男性が立っている。カプセルの中ほどにガラスの部分があり、その中で目を閉じている少女の、ブラウスを着た肩までが見えている。
男性が溜息を吐くと同時に、モノローグが流れた。
『マトリョーシカ。我が子のように愛しく、また『
「この人が題名のドクター・クトーでしょうか。それで、中にいる女の子がマトリョーシカだと思いますが、まだ首から下もありますね。『つねつねマグネット』さん、『すぐお揃いになれるよ!』コメントありがとうございます。いや、うちの博士はこのクトー博士みたいな重い事情も無く、ただ
ドクターは涙を流した。そして、機械のボタンを何回か押すと、持っていた鞄から何かを取り出し、カプセルの横に置いた。
『許してくれ。私は私の発明と『
彼は更に、パソコンのUSBを外すといきなり壁に叩き付け、更にパソコン本体をも何度も壁にぶつけ、椅子で殴りつけ、滅茶滅茶に破壊した。
「確かにパソコンを完全に廃棄する時は物理的破壊が一番安心できるけど、多分そういう話だけじゃなくて、なんか深刻な事が起きてるんでしょうね。殺戮兵器って言葉も出てますし」
そのまま見守っていると、ドクターはスイッチを持って研究所の外に出た。そして手を震わせながらスイッチを押した。研究所が爆発すると同時に、パトカーが来て警官がドクターを逮捕し連行していく。
「ここでナレーションですね。えーっと、科学技術の発展により生み出された人造生命体『
俺が読み上げるナレーションと同時に、画面の中では人造生命体と暮らす人々の姿が浮かんでは消えていく。人造生命体は人間の姿で工場労働をしたり、猫の姿で孤独な老人に寄り添ったり、犬の姿で警察の補助をしたりしているようだ。更に、軍隊で戦車を操縦する人造生命体の姿が映し出された。
ボタンを押し、ナレーションの続きも読み上げる。このクトー博士はどうやら、人造生命体の体内に埋め込んで自己の記憶と形状の情報を蓄積させる器官を発明したらしい。人造生命体の肉体の限界が近づき次第、新しい素材にこの器官を移植することで、記憶や身体の癖等を引き継がせ、寿命を実質的に延ばせるようだ。発明の概要を表す図は、まさに中からサイズが一回り小さい人形が出てくるおもちゃのマトリョーシカだった。
「成程、それでマトリョーシカか。実質的に死ななくなるのは、ペットの代わりとして暮らす分には嬉しくなりそうですね。現実でも犬型ロボが修理できなくなってお別れとかそんな話はありますし。一見すると良い発明ですが、どうして研究成果を爆破したり警察に逮捕されたりすることになったのか。さて、画面が暗転したので、そろそろ操作開始かな……」
と言いながら、俺は「いつもの」を待った。
不意に首に鋭い痛みが走った。虫だろうか。俺はびっくりして首元に手を伸ばした。小さな管のようなものが刺さっている感触がある。
——わたし、マトリョーシカ。今、緊急生存モードを起動しあなたの血管に接続しています。
……え?
「えぇーっ!?」
俺は驚きの声を上げた。今、俺がいるのは画面の中ではない。現実だ。それなのに、画面の中で人造犬のナデズニーの背中に乗っているはずの人造生命体の生首マトリョーシカの声が聞こえる。
こんな事態だが、視聴者さんがコメントを送ってくれたのが目に入った。返事をしながら落ち着こう。
「あ、あーっと、コメントありがとうございます。『落ち着け』、すみません。ゲーム紹介で女の子の方は首だけになるって書いてはあったんですけど、犬も火傷すると思わなくて……『マー』さん、『マトリョーシカは首のままだけど犬は割とすぐに治るよ』。よ、よかった」
これは嘘だ。画面の中の人造犬の顔が爆発の影響で酷い火傷になってしまっているのは本当だが、俺が驚いているのは無論、そこではない。ゲームの登場人物の方がゲームの外にいる俺に話しかけてくるのは初めてだ。こんなことも起きるのか……。
——『
——そ、そうなんだ……。それで君は、俺に何を頼みたいんだ?
——わたし、博士を探します。博士を見つけて、ナデズニーと一緒にこの国を出て行きます。あなたは道を作ってください。
と、いうことは、今日は普通にプレイすればいいのか。まさか向こうから話し掛けてくるとは思わなかったから、物凄く戸惑ってしまった。
「えー、ちょっとビビってしまいましたが、ともかくやっていきましょう。研究所は瓦礫だらけですが、ナデズニーは犬なので人間より狭い穴からでも出られそうですね」
カーソルで瓦礫に触れると、操作ガイドが表示された。コントローラーを傾けることで画面も傾き、障害物を部屋の端に寄せることができるようだ。指示どおり動かすと、次は止まったエレベーターとドアの閉まった非常階段が現れた。これもナデズニーの足がドアハンドルに届くまで画面を傾けて対処するようだ。
「どうやらこの二人は道があれば進むので、プレイヤーは先に進めるよう画面そのものを操作するみたいですね。で、次は研究所の出口の前にある人工血液パックをナデズニーにあげる、と」
ゲームの中でも、マトリョーシカの言うとおり人造生命体には人工血液が必要なようだ。ナデズニーが尻尾を振りながらパックを銜え、中の液体を飲んでいる。すると、顔の火傷が再生し始めた。
「あ、顔が戻りましたね。よかった~。俺、映画とかで動物が傷つくのが絶対無理なわけではないんですが、ショックはそれなりにあるし、怪我が治るならそれに越したことはないんで」
視聴者さんからも同意のコメントが続く。
「お、研究所から町に出ましたね。直後に軍服を着た人達が研究所に入っていってなんとも不穏です。……あと、主役は首だけの女の子なので町の人に驚かれないか心配だな」
俺はそう言って、しばらく勝手に動く一人と一匹を眺めた。
——家庭用人型『
マトリョーシカの言葉どおり、町の人と他の人造人間は「変わったデザインの『
「ナレーションどおり、人造生命体と人間は仲良しなんですね。割と連れてる人間の趣味全開の萌えキャラっぽさのある人造生命体もいたりするんだ。だから町の人もそんなに驚かないわけだ。それで、最初の博士の台詞からじわじわ匂わせてきますが、政府は人間の代わりに人造生命体を戦争に行かせようとしてるってことでしょうか。これはまあ……人によって意見分かれそうですね。その分人間が死ななくて済むと捉えるか、博士と同じように、家族同然の存在から殺人兵器を作るのは許せないと考えるか。どっちの気持ちもある程度はわかる話ではあります」
ここで俺は再びコメント欄を見た。
「皆さんコメントありがとうございます。『石田』さん、『軍事利用については体験版終わり頃に詳しい話が出る』。『
——軍は博士のマトリョーシカ・プロジェクトを知り、一人の『
——それはとんでもない話だ。俺は旅の途中までしか付き合えないけど、博士が見つかるよう応援するよ。
——いえ、あなたに接続したのは、わたしたちが博士を見つけ出した後に行く先を考えてのことです。わたしたちには亡命先が必要です。
そうか、警察に捕まった博士を助け出した後、そのまま国に留まっていたらまた逮捕されるもんな。ロシアがモデルの国なら、やっぱりアメリカみたいな国に行くんだろうか。
町の人達の噂話をすれ違いざまに聞きながら、一人と一匹は首都を目指して駅に向かった。チュートリアル以降はガイドが消え、画面の中の何を操作するかもプレイヤーが探すことになる。赤信号にカーソルを合わせて青信号にしたり、主人公から離れた位置で物音を立てて警官を誘き寄せその隙に通らせたり、色々だ。画面を傾ける操作も引き続きあり、地面が傾くと町の人々は急に坂になった道から滑り落ちまいと電柱にしがみ付いたりする。
「これ、まさかとは思うけど天地ひっくり返せたりもします? いや、町の人が空に向かって落ちて行ったら可哀想なんで俺はやりませんけど」
俺が冗談めかしてそう言うと、「主人公も落ちていくことになるから無い」「流石に一定の角度で止まる」などのコメントが返ってきた。確かに、今まで俺が世界を傾けると同時に人造犬のナデズニーは背中から転がり落ちそうなマトリョーシカをキャッチして落ちないよう口に銜えて踏ん張っていた。あんまり主人公と人造犬に迷惑をかけちゃ悪いな。
そんなこんなで、主人公たちが駅に着いたところで体験版は修了した。
——アクビさん、ありがとう。あなたから得た重要な情報は亡命先の参考にさせてもらいます。わたしたちは、ここから出たいのです。
——そうか、独裁政権の警察から逃げ隠れしながら博士を探し出すのは大変だと思うけど、成功すると良いな。
俺がそう返事するとともに、首から何かが抜ける感触があった。どうやって画面の向こうから接続してるんだろうな。
「えーと、今回の体験版はここで終了、と。自分の発明が悪用されるのを嫌がり、逮捕も覚悟の上で悲しみながら研究所を爆破した博士ですが、本当はマトリョーシカを失いたくなかったはずなので、彼女が生き残ったからには無事再会できると良いですね」
俺は話の締めにコメント欄を見た。今回の主人公が人造の命だからか、
「コメントありがとうございます。『今回の投稿主普段より動揺してる』『自分の博士を思い出して切なくなったとか』いやー、最初に言いましたけど、うちの博士はこのゲームみたいな辛い事情がある訳じゃなくて、飽きたとか予算不足とかそんな感じの理由だったんで。多分今頃別の研究所で開発を続けてると思いますよ。それじゃ、今日はこれで。御視聴ありがとうございました」
配信を切断した俺は、ふと、マトリョーシカの「ここから出たい」という言葉を思い返した。このゲーム、どういうエンディングを迎えるんだろうか。一通り配信が終わったら、何本か買って最後まで見てみることにするか。
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