第2話 「食事」自販機
今日の午前中は資格講座サイトのWebカタログを眺めて過ごした。できることなら、嫌な思い出の多い今までの仕事からは離れた分野で再就職したい。同じ分野でも、遠く離れた他県でならやっていけるだろうか。幸い、俺は引っ越しは苦ではない。
ひとまず勉強しないことには始まらないため、俺は画面に並んだ資格の中から一つを選んで申し込んだ。前の職場は給与は悪くなかったから、こういう多分悠長であろうこともやっていられる。その点にはまだ感謝している。
今日は昼食、夕食共に自炊した。昼は冷凍豚と輪切りネギを乗せたうどん、晩は安い薄切りベーコンとフライドオニオンを入れたペペロンチーノだ。あと、両食とも目玉焼きを添えた。
気が付くと麺類ばっかりになってしまうが、こんな感じで、ある程度は節約することも考えた方が良いだろう。再就職先が直ぐに決まるとも限らない。俺の失業は会社で上司と揉めたことが理由だが、ここ数年は社会情勢の変化で退職を強要させられ、求職している人は幾らでもいる。俺は果たしてどうなるだろうか……。
今後の見通しは立たないが、元気が続く限り、実況は今まで通りに続けるつもりでいる。さあ、やるか。俺はカメラの前に立った。
「えー、皆さんこんばんは。
オープニングは主人公の少年が帽子を深めに被り直し、深呼吸してチケットを買うシーンから始まった。今のところ美術館自体には変わったところは無いが、少年は不安そうな表情だ。
「『断末音ミミック』さん、『大体色んなパズルと逃げ回りだった』とのことですが、さてさて美術館の中で一体何から逃げるんだろう。で、主人公のマコネンくんはこの美術館の何処かにあるひいおばあちゃんの作品を探しに来たんですね。……にしてはちょっと表情暗くないか? 仲が良くなかったとか?」
俺は思ったままを発言した。普通、家族の作品が展示されていると聞いた子供はもうちょっとわくわくした顔になるのではないのだろうか。ここで早速視聴者さんがコメントをくれた。
「『石田』さん、ありがとうございます。『ステージが進むとその辺の事情は分かるよ』まあそうですよね。次、『つねつねマグネット』さん、『薄々そんな気はしたけど重かった』あ、そうなんだ。民族差別・人種差別とかそういうのかな。毎月の新着ソフト一覧を眺めての印象だけなんですが、そういう社会問題系の話を題材にした欧米発のゲームも最近増えてる気がしますね。日本にだってコソボ紛争から着想を得たファンタジーSRPGとかありましたし、個人的には良いことなんじゃないかなと思います。ゲームって動きがあるし自分で動かして話を進めるものなんで、子供の記憶に残りやすいですからね」
ゲームは最早現代の子供にとって生活の一部だ。社会の勉強や市民運動さえもゲームになっても何もおかしくはないし、小学校の頃からずっとゲーム漬けだった俺はそれもまた愉快だと思う。とはいえ、かく言う俺はそういう真面目なテーマのゲームをあんまりやったことがないんだよな……。その内、まずは実況せずに一人でやってみてもいいかもしれないな。
そう考えながらマコネンくんを操作して美術館の中へと進んだ。いきなり無言でぶつかってくる男と遭遇した。マコネンくんはますます悲しそうだ。
「うわぁ、これは嫌な奴ですね。で、きっと主人公は気が弱いんだろうな。ショックを受けて椅子に座り込んでしまいました。そしてポケットから紙を取り出しましたね。多分ひいおばあちゃんの写真かな」
ここで画面が暗転した。きっと回想シーンだろう。暫く待って……
……待っているうちに、暗闇が晴れた。俺の目の前には自分の部屋のものではない壁と、ポセイドンやニケの石像がある。まさか、またゲームの世界に入り込んでしまったのか。
原理はわからない。現実は受け入れるしかない。さて、俺は今から暫くマコネンくんだ。
——違うわよ。
頭の中に響いたのは低めの女性の声だ。
——ええっ、じゃあ俺は誰なんだ?
——そこの鏡、見なよ。
俺は言われるままに、部屋の角に設置されたカーブミラー(なんで美術館にあるんだ。犯罪防止用だろうか?)を見た。色々な像があるけど、どれが俺だ? 試しに歩いてみようとしたが、足の感触がない。
——足が無いタイプの像ってことか。
——手もないよ。胴もね。
声は冷ややかだ。じゃあなんすか。この世界における俺くんの存在はまたしても首だけってことっすか。それでも昨日も動けたんだし、今日もなんらかの不思議な力で動けるだろう。俺は首の先に力を込めて……やっぱり浮いた!
改めて鏡を見た。ふわふわと浮いている。そして一目でわかった。この首はかの高名な……
——メデューサ?
——正解。あんたには暫く、あたしの代わりをしてもらうよ。
彼女がそう言うと、俺改めメデューサの首からは白い光が抜け出し、別の石像の中に入り込んだ。そして、今度はそちらの、兵馬俑の像が動き出した。
——大した使命でもないのに用立てて悪いんだけどさ、今夜だけあたしの代わりにあの坊やを追い回してほしいのよ。
距離が開いててもテレパシーできるんだ。便利だな……。
——よくわかりませんけど、とりあえずわかりました。じゃあシフト交代します。
——ありがとうね。一回、胴のある体になって食べてみたかったのよ。入口の自販機にあるカップ麺……。
昨日の赤鳥くんと比べてすごい軽い動機だな! そういう理由でプレイヤーがゲームの世界に呼ばれる事ってある!? でもまあ、自分の生きていた時代(メデューサが実在したかどうかは定かではないが、この場合像が作られた時代とでも言えばいいのか?)にはなかった謎の食べ物の存在を知ったら、気にはなるよな。味を知ってても、偶に無性に食べたくなるし。
——いってらっしゃい。お薦めは醤油味です。
——メデューサ、嬉しそうね。アクビさん、代わってくれてありがとう。
また別の声が頭の中に響いた。
——えーっと、貴方は?
——私はミネルヴァ。今貴方の後ろにいて、さっきまでメデューサを乗せていたの。
そう言われて、俺は深く考えずに振り向いた。
「わっ! すみません!」
目の前にあったのは、石像とはいえ女性の豊かな谷間。しかも至近距離。俺は思わず声に出して謝ってしまった。
【反応がリアル】
【おっ、ぶつかりおじさん2号か~?】
視聴者さんの声が痛い……と思いかけたが、よく考えれば視聴者さんの目に映っているのはゲームの画面のはずだ。じゃあ今彼らは何を見ているんだろうか。俺は目を閉じた。
配信されている動画の中ではマコネンくんが兵馬俑に謝っている。なるほど、視聴者さんが見ていたのは、たった今彼がぶつかったところか。そのまま見ていると、マコネンくんはダビデ像に追いかけられ始めた。画面左上には幾つかのハートマークがある。多分、像に攻撃されると、このハートが減るんだろう。
「あー、こんな感じで逃げ回りつつゴールを探していくんですね」
俺は普通に実況しているふりをして喋った。片目だけ開くと、半透明になった画面の下に俺の視界が現れた。(人間の目の仕組みとしては、本来こんなことはあり得ないのだが)本物のメデューサが帰ってくるまで、これで様子を見ながら実況していくか。
「とおせんぼうするだけの像もいるので、上手く避けないといけないわけか。ただ、最初は真っ直ぐ逃げるだけでよさそうですね」
俺は動き出して道を塞ぐ像を見ながら喋った。自分が動かしているわけではないキャラクターについて実況するのは斬新な気分だ。さて、主人公の動きがちょっと遅いな。ダッシュボタンとか回避ボタンとかありそうなものだが。そう思って見ていると、マコネンくんが喋り始めた。
「どうしよう、美術館で走っちゃ駄目なのに、走って逃げないと追いつかれるよ……クラスで一番お行儀よくなるって、先生と約束したのに……」
「え? 今までそんな理由で我慢してたの? この子滅茶苦茶真面目だな!」
うーん、悪い奴に目を付けられる前に、早く誰かがこの子に自分の身を守ることを教えてあげた方が良いぞ。
【は?】
【嫌な予感してきた】
【こんな感じで人間の嫌さがじわじわ染み出すんだよな】
「皆さんコメントありがとうございます。そうですね、今まで辛い目に遭ってそうな感じが伝わってきますね」
ともかく走る機能を手に入れた少年はダビデ像を引き離し、次の部屋への扉に近づいてきた。俺の耳にも彼の足音が聞こえてきた。そろそろメデューサの出番だな。
「わーっ!」
扉の向こうでマコネンくんが悲鳴を上げた。床に固いものが落ちる音がした。
【初見びっくりするけど考えたらダビデだからそうもなる】
【つい股間ばっかり見ちゃうけど、実物もちゃんと手に投石器持ってるんだよな】
【ググるまで巨人を石で倒した人だって知らなかった】
そうそうダビデといえば股間……いや、あれも確か元々は「人間の体は本来美しいものである」とかそういう、当時の最新の思想と理想のもとで作られた芸術なのであって、あんまり股間丸出しをいじるのは良いことではないんだろうな。
それはさておき、視聴者さん達のコメントで状況を把握した。一部の像には攻撃手段があるのか。この部屋のポセイドンの石像も槍を持ってるし、最初のステージとはいえそこそこのスリルはありそうだな。
——私達も行きましょう。貴方が追手、私が搦手よ。
——なるほど、メデューサが相手を石にできるのは、目が合った時だもんな。よし、やるか。
メデューサは俺の意思どおりに動き始めた。今日の首はふわふわと浮くタイプなんだな。開いた目からサーチライトのように光が出ているあたりが、如何にもゲームらしい。この光が石化技の有効範囲なのだろう。
まずはマコネンくんから少し離れた通路の角をゆっくりと横切り、存在感を出す。特に指示されたわけではないが、こういう予告があると良い感じに怖いはずだ。
「うわぁ、本に出てきた怪物だ……きっと、目が合ったら石になっちゃうんだ」
「メデューサはギリシャ神話の中でも超有名だし、小学生でも知ってるんですね。俺が初めて知ったのも小学生の時で、確かやってたRPGに出て来た一般モンスターだったかな。さて、目から出ている光を避けながら進んでいきましょう」
俺はさもゲームをプレイしているかのように喋った。メデューサは元々ギリシャ・ローマ神話に出てくる美しかったニンフで、蛇まみれの化け物の姿になった末に退治されるんだよな。あと、そんな背景は特に語られないまま、相手を石にする技を持つ髪と下半身が蛇の化け物になった後の姿がファンタジー系のRPGによく出てくる。今、俺が動かしてるような首だけの姿の時もある。
【この部屋にモブっぽい石像が幾つかあるの若干怖いな】
「うわっ、コメントでビビらせるのは勘弁してください」
あとは物陰でしばらく待ち伏せするか。主人公の姿は直に視界に入っている。彼は前の部屋より薄暗い室内を恐る恐る歩いていたが、ふと物音に気付き振り向いて息を呑んだ。
「背後からも石像が迫ってますね。槍と盾を持った女の人だ。えーと、ギリシャ・ローマのアテナ神又はミネルヴァ神でいいのか?」
【こんなところで仇敵同士が手を組むことないだろ】
【多分主人公が来る前に和解したんだろう】
【神 と 和 解 し た】
「コメントありがとうございます。そうそう、メデューサは元々美しかったんだけど、ミネルヴァ神殿でネプチューン神とまあその……エッした為にミネルヴァ神の怒りを受けて、今画面に出てるようなおっかない姿に変えられてしまったんですよね」
俺は喋りながらマコネンくんの足音を頼りに通路を回り込んだ。目から出る光を見た彼は大慌てで角を曲がった。いいぞ、この調子で追いかけっこだ。君には申し訳ないが、視聴者さんから面白そうに見せるために逃げ回ってもらう。
「子供の頃はフーンって感じでしたが、大人になった今考えると、神と妖精の身分の違いがあるとはいえメデューサだけ裁かれてネプチューン神の方は全くお咎めなしっていうの、なんだかなぁ」
トークを続けながらひたすら追い回す。徐々に出口に追い詰める。
ここでふと、あの住職から聞いた青木辰乃介の悪事について思い出した。住職は襲われた腰元のその後については言っていなかった。命があったのなら、彼女は犯人の正体を知っていたのだろうか。真犯人を知っていたところで、言い出せない事情があったのか、それとも聞き入れられなかったのか。
さて、マコネンくんはどうにか次の部屋の入口に足を踏み入れた。俺とメデューサの出番はここまでだ。
像が元あった位置に引き返すと、ミネルヴァ神像とメデューサの精神入り兵馬俑が待っていた。
——カップ麺、凄く美味しかった。ありがとね。
——そ、そりゃどうも。
——ついでにアイスも食べたんだけどさ、醬油味って甘い物にあうんだねえ!
メデューサは大層上機嫌だ。
——いいわね、今度私もこっそり自販機コーナーに行こうかしら。
——アイスだけでも試してみなよ。
——お二人、実は結構仲いいんですね。
俺は何気なく呟いた。
——神話の本物達はいがみ合っていたけれど、ここにいる私達は石像で、おまけにレプリカですから。
——どうせ作者が入れた魂のない偽物だから、好き勝手やっちゃおうってわけよ。
——ええ、偽物です。このフロアには誰一つ本物はいません。
ふーん。その言い方だと、もしかしてこの先は主人公が本物を探す話になるのかな? そう思っていると、兵馬俑から抜け出たメデューサの精神が本来の首に近づいてきた。俺の精神は玉突きのように追い出され、そのままふわふわと天井へ……
そして気が付くと、自分の部屋に戻っていた。コントローラーを握り、画面を見る。
「体験版はここまでのようです。このステージでは像から逃げ回りましたが、コメント見ると他のステージはパズルだったりするのかな?」
補足のコメントがついた。視聴者さんの中には結構既に製品版もプレイした人がいるらしい。
「『つねつねマグネット』さん、『製品版では奥にボスがいる』えっ、ボス? 一体どんな奴なんだ。というわけで、今日はここまでです。明日は祝日なんで昼間に配信しようかと思ってます。それではまた」
そう、明日は祝日で……夕方、恋人と会う約束がある。俺が失業したことを話さなきゃならなくなるかもしれない。揉めないと良いが……
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