消えた皇子のゆくえ

皇子の失踪

らい皇子が消えた?」

 木蓮は隣を歩く男の顔をまじまじと見つめる。

「僕もついさっき、刑部の次官から聞いたとこなんだけどね」

 そう木蓮に返すのは理部長官、孫幺そんよう。ごま塩頭の、中肉中背中年の男だ。

 木蓮は礼部との打ち合わせを終え理部殿に帰ろうとしていたところを、その孫幺そんように呼びとめられたのだった。

 普段、孫幺そんようは、のほほんと穏やかな空気を纏う男なのだが、そんな彼の顔は今ひどく険しいものになっていた。

 らい皇子は、現皇帝の十二番目の皇子で、今年七つになったばかりである。その齢の皇子ならば、必ず侍女や乳母が張り付いているはずなのだ。その姿がみえないとなれば、ことは一大事。

 残念ながら厳重な警備がなされている後宮であっても、誘拐や拉致というものは起こり得るのである。

らい皇子は、いつから行方が分からないのですか?」

「今朝、朝餉を召し上がられたところまでは乳母が確認してるそうだよ。そのあと、ほんの少し目を離した隙にいなくなられたみたいだね」

「他に侍女たちも大勢いたでしょう? なのに誰も皇子が消えたことに気づかなかったのですか?」

「それが、その少し前に侍女の一人が急に倒れたみたいでね。皆がその侍女の対応に気を取られたわずかな間にいなくなられたそうだ」

 単純に考えれば、その倒れた侍女が疑わしい。誰かと結託して皇子をかどわかした可能性も考えられる。

「今、刑部は大騒ぎだったよ。十五年前のことがあるからね。どうしても皆、あの恐ろしい事件のことが頭によぎってしまうんだろう」

 孫幺そんようはそう言いながら、木蓮を気遣うように見やった。

 孫幺そんようの言う恐ろしい事件というのは、今から十五年前に起きた後宮での皇子・公主失踪事件のことだった。

 失踪したのはその二人だけにとどまらず、官吏が宿舎に連れて来ていた子息令嬢たちまでも巻き込む、大きな事件へと発展した。

 最終的に失踪者はのべ八人に上り、いずれも十歳未満の幼い子どもたちばかりだった。

 そのうち七名の死亡が確認されたが、遺体はみつからなかった。

「あの事件は過去のことです。犯人だって、もうこの世にはいないんですから」

「そう思っている人ばかりではないんだよ、さい君。彼女の、李羽蘭りうらんの呪いを信じて、いまだ怯えている者もいるんだ」

 皇子・公主失踪事件の首謀者とされたのが、当時、現皇帝の妃であった李羽蘭りうらんという女だった。

「呪いですか……」

 木蓮は遠い記憶に思いを馳せる。

 皆そうやって面白がっているのだ。呪いなど余興と同じである。当事者でなければ恐怖だって、つまらない日常に刺激を与える娯楽にしかすぎない。

「蔡君、本来なら君に頼むべきことではないと思うんだけど、今日これから冷宮ランゴンに行って来てくれないかな」

 申し訳なさそうに眉尻を下げて言う孫幺そんようを、木蓮は驚いた表情で見つめた。

「なぜですか? まさか本当に彼女の呪いのせいで皇子が消えたと?」

「僕も十五年前の事件とは関係ないと思うんだけど、刑部がね、調査したがっているんだ」

「なら刑部の官吏が行くべきでは? なぜ私なのです?」

 孫幺そんようは気まずそうな表情で答える。

「刑部のものたちは、らい皇子の足取りを追って方々走り回っていて手が足りないらしくてね。それに……皆行きたがらないそうなんだ。李羽蘭りうらんの冷宮には」

「つまり、刑部のものたちは調査したいけれど、呪いが怖くて近寄れない。だから私に見てこいと?」

「そう、なんだ。うち結構、刑部に借りがあるでしょう? 無下に断れなくてさ。よりによって蔡君に頼むのは気が引けるんだけど。……皇子のことはあまり下の者に話せる内容じゃないから」

 木蓮は呆れ気味に肩を落とした。

「分かりました。要は『見てきた』という事実があればいいのですね」

「うん。ごめんね。誰か他にも一緒に行かせようか?」

「いや一人で十分です。見てまわるだけですから」

 木蓮は朱門の前で孫幺そんようと別れ、さっそく冷宮らんごんへと向かった。

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