怪しい裏通り

 木蓮と姫棋は化粧道具屋を後にし、今から宮城に戻るところであった。

 木蓮は表の目抜き通りではなく裏道を選んですすむ。

 なぜかというと、ある者たちに姫棋を連れているところを見られたくなかったのだ。

 それは姫棋を妃候補に選んだ、神官たちである。

 基本的に神官というのは宮城内のびょうに閉じこもっているものなのだが、祭日などは宮城から出て街の廟を訪れることがある。その際、神官は必ず馬車に乗って表通りを通るので、彼らに見つからないための道選びだった。

 彼らが姫棋の顔を知っているのかは定かではなかったが、用心するに越したことはないのである。それに今回は官吏であることを伏せて来ていたので自分たちが馬車に乗ることもできなかった。馬車は官吏か王族しか、市場や宮城を含めた城郭内での通行を許可されていない。

(ここは相変わらずだな)

 裏道には両側に小さな店が所狭しと並んでおり、人とすれ違うのもやっとだった。 

 朝通った時はまだどの店も閉まっていたが、裏通りは夜にその本領を発揮するのだ。明かりのつき始めた店頭には、出所を聞いてはいけないような怪しい物がうずたかく積み上げられており、頭上に張り渡された天幕も裏通りの陰気な雰囲気をよりいっそう澱ませていた。

(はたして彼らは、商品を売る気があるのか)

 店員というものは本来客を呼び込むのが仕事のはずだが、どうやらこの裏通りにはそんな常識は当てはまらないらしい。ここの店員たちは、道行く者に売り込みをかけるどころか、煙をふかしながら睨みをきかせてくる次第である。

 表からたった一本道を入っただけというのに、煌びやかな楼閣立ち並ぶ表通りとは雲泥の様相だった。

「おおっ! 何これ!?」

 姫棋は睨みをきかせてくる店員におくびれることもなく、店先に並ぶ珍妙な売り物に興味深々であった。

 そんな姫棋の隣で、木蓮は頭上に広がる天幕の隙間から空を覗く。

 陽が沈みきるには早い時刻だったが、分厚い雲が垂れ込めた空はすでに暗くなっていた。

(じきに降ってくるか)

 木蓮は空模様をうかがいながら、店の前で一々立ち止まる姫棋を引きずり先を急いだ。

 ぽつり。

 城壁が見えてきたところで、とうとう雨が降り始めてしまった。しかも雨足は瞬く間に強くなり、あっという間に土砂降りになる。これはもう天幕ごときではしのげない雨量だ。

 仕方なく二人は、近くにある木蓮の馴染みの店に入ることにした。

 丹丹タンタン

 その看板を掲げる店は、裏通りからさらに脇へそれた所にあった。

 木蓮は店の裏口から店内に声をかける。

 姫棋に付いてくるよう促し、従業員用の急な階段を登って三階にある個室に入った。

 部屋には簡素な卓と椅子が置かれ、その向こうには大きな丸窓が取り付けてあった。そこから賑やかな市場の様子が見渡せるようになっている。

 姫棋は部屋に入るなり、その丸窓に張り付いて外の様子を眺めていた。

「昼はあんなに晴れてたのにね」

 窓の外では、徐々に点き出した市場の赤い灯が、雨の降りしきる闇夜にぼんやりと浮かび上がっていた。

 降り出してすぐこの店に入れたのは幸いだったな、と思いながら木蓮が椅子に腰かけると、いつの間にか卓の横に腰の曲がった爺さんが立っていた。

 木蓮は不覚にも体がびくりと震える。

 向かいに座った姫棋も驚いたようで目を丸くしていた。

 ほぼ直角に曲がった腰に手を当て微笑んでいるこの爺さん。「丹丹」で昔から働いている店員なのだが、登場の仕方が神出鬼没というか気づいたらそこにいるような爺さんで、彼の登場にいつも驚かされてしまうのだ。

 たぶん向こうも狙ってわざとやっているようだ。

 証拠に、彼が一本残った歯をニカァと見せ笑う顔は、ひどく嬉しそうに見えた。

「ご注文は?」

「じゃあ適当に何品か持ってきてくれるかな。あと、香嘉カカも」

 爺さんはまたニカァと微笑むと、けむに巻かれるように消えた。


 爺さんがいなくなると、姫棋は懐から袋を取り出す。先ほど描いてきた絵の代金が入った袋である。

 それを卓上に広げながら、へっへ、と不気味にほくそ笑んだ。

(なんか、絵を描いている時と雰囲気が……)

 絵を描いているときの姫棋は、時に神々しくさえ感じることもあった。

 先ほど化粧道具屋で貼り紙ポスターを描いていたときもそうだ。描き始めた瞬間、芸術の神が天から舞い降りてきたのではないかと思えた。

 が、今目の前にいる彼女は……。

「うひひ。今日も頑張った」

 そう言いながらやはり不気味に微笑んでいるその様子は、まるでぞくがかっぱらってきた金子を舌なめずりしながら眺めているがごとしである。

(いやいや。ちゃんと仕事をしてもらってきた金子だしな……)

 正当な報酬である。

 でも、なぜか人に見られたらまずい気がした。

 当の姫棋はというと、前に座る男がそんな失礼なことを考えているとは思ってもいないだろう。金子の一部をずいと木蓮の手元に差し出す。

「はい、これが今回の分け前ね」

「あ…うん、どうも」

(なんだろう)

 賊の子分にでもなった気分である。

 その時ふと、木蓮は姫棋の住んでいた屋敷を思いだした。ひどく荒れた様子で、あの時も最初、これは賊の住処かなのではと思ったのだった。

「君さあ、まさか匪賊ゴロツキの頭領だった。なんてことないよな?」

 思わず考えていたことが、そのまま口をついて出てしまった。

 それを聞いた姫棋は、失礼しちゃうわ、とでも言いたげな顔をする。

「わたし、名家の小姐おじょうさまなんですけど」

 予想外の返答に、木蓮は思わず笑ってしまった。

小姐おじょうさまって君、あんなボロ屋敷に住んでたのに?」

「なっ、別に最初からボロ屋敷だったわけじゃない」

「でも……初めて会った時なんか、木に登ってたじゃないか。小姐おじょうさまが木なんて普通登らないだろう」

「あれは、絵の題材を探してたんだよ。絵師は題材探しだって命がけなんだから」

 珍しく膨れ面の姫棋に、つい悪戯心が芽生えてしまったのがいけなかった。

 ここでやめればいいものを木蓮は余計なことを口走る。

「へえ、絵の題材を。私はてっきり、賊が縄張りを偵察しているのかとおも――」

 言い終わる前に、木蓮は卓に突っ伏していた。悶えながらつま先をおさえる。

 姫棋が、木蓮の足をむぎゅうと踏んづけたのだ。

 くぅ、と木蓮は目尻に涙をためる。

 確かに、女士じょせいに向かって少々失礼だったかもしれないが……。

(人の足を踏んづける小姐おじょうさまがどこにいるよ!)

 心の中で悪態をつく木蓮のすぐ横にはいつの間にか、ニカァと微笑む爺さんの顔があった。

「お待たせいたしました。お料理をお持ちしましたよ」




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