第10話

「おい木がその水ソムリエなんて聞いてないぞ! 先に言えよ!」


 報連相がなっていない全魔族の社長こと魔王様に苦情を入れると、きょとんと首を傾げた。


「伝わってなかったのか? お前も言ってただろうに。『地に足付いた奴なんだな』とかなんとか」


「モノローグから言質取ってんじゃねぇよ! それに見ろよあれ!」


 指をさした先には、木がグワングワンとうごめき、根っこや枝がぐにゃぐにゃとしている様子だった。その足下には、しっかりと地に根っこを埋めている。


「地に足ついたとは言ったけど、地に足埋めたとまでは言ってねぇ!」


 口論の最中、巨大な木が、人の胴ほどの太さはあろう枝や根っこを振り回した。無造作に動く枝々が周囲の木々をひっ叩き、まるで森全体が台風に見舞われたような騒乱を起こす。その狂った様子を見て、魔王は眉をひそめた。


「く、クスノ!? どうしたんじゃ!?」


 さっきまで部下を何の変哲もなく紹介していただけだったのだが、あまりにもな大暴れ具合に動揺していた。神官の女子は目を飛び出している。こいつらはこのクスノという木と面識があるらしいが、それでもこの驚き具合を見るに、今のこいつの状況は超絶なるイレギュラーであるらしい。


「お前ら逃げろ! あと骸骨は慎重に逃げるんだ! !」


 身振り手ぶりで、こぼさずに逃げることを指示する。シチュエーションを考えるに、何がイレギュラーなのかと言えば、まずは俺、そしてこの水だ。猿ではなく、木。木だということは、先ほど半分こぼしてしまった水を効率よく根っこから吸収したに違いない。それからの大暴れだ。この水が原因だと推定していいだろう。少なくとも、この緊急的状況で仮定するに値する考えだ。


 無造作に暴れる枝をギリギリでかわしながら、安全圏にまで退ける神官の女子。そして魔王は逃げながらも、クスノの動きを、というかその存在そのものを観察していた。いや、クスノの身を案じているのかもしれない。


 二人はなんとか動けるとして、問題は骸骨達だ。彼らが壺の水をこぼさずにどうやって逃げることができるのか。骸骨達は、ちょっと体がぶつかっただけでも転げてしまうほどふんばりが効かない。そんなアンバランスな彼らを守りつつ、十分な距離を取らなくてはならないのだ。俺が運ぶこともできなくはないが、間違いなく機動力が落ちる、そしてその間に攻撃され水をこぼしてしまうだろう。


 食料を確保しようと、ネゴシエートしようとしたらこれだ。やることなすことが空回る。


 逃げるにしても、あの根っこ、いたるところから生えてくる。ざっと概算、クスノから半径50メートルってところか。今はまだ20メートルくらいしか離れられていない。十分な射程圏内。


「仕方がない、おい骸骨ども! 絶対に振り向くな!」


 身振り手振りで説明し、骸骨達はうなずく。そしてゆっくりと壺の半身を、中身の水をこぼさずに後退する。

 だがそんな避難行動を待ってはくれず、眼前の地面から根っこが顔を出し、こちらに向かってきた! 魔王が叫ぶ。


「危ない!」


「ふんぬ!」


 それを俺は両手で掴んだ。まるでお相撲さんと押し相撲しているような、それほどまでの力が根っこに込められていた。足を踏ん張り、根っこの侵攻を食い止める。


 そしてもう一本、左側から骸骨目掛けて伸びてきた。左手を離し、その根っこを掴んで食い止める。


 さらにもう一本、右側からまたもや骸骨目掛けて根っこが伸びる。右手を離し、その根っこを掴んで食い止める。


 最初に掴んでいた根っこがフリーになったことで、まっすぐ、つまり俺の顔めがけて根っこが伸びる。俺はそれを、自慢の顎で、食い止めた。


「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……」


 根っこを噛むために顔を横にしたことで、骸骨の顔が窺えた。骨には表情なんてありもしないのだが、まるで泣いているようにも見えた。だが。


「ががぐぎげご(はやくにげろ)!」


 何のために俺がここまで体張ってると思ってんだ! そう怒りに任せ力を使っていると。


 ズドン。


 と、四本目の根っこが腹に突き刺さる。その鋭利な先端は針のようで。


「ははふほおほっはは(ささるとおもったか)!」


 しかし、貫かれることはなかった。伊達に鍛えてはいない。腹筋に超絶力を入れることでその根っこを抑えることに成功した。が。


 カクン。


「なっ!?」


 前方からの根っこには対応できても、流石に後方からの、ましてや。

 ましてや膝裏の根っこには対応できなかった。そのまま体勢を崩し、体が折りたたまれるように天を仰ぐ。そして、拘束から解かれた根っこたち吹っ飛ばされてしまった。それも骸骨ごと。


「がっはぁ!」


 近くの木に叩きつけられ、バラバラになった骨と共に倒れる。そして残っていた壺の水を被ってしまった。口や耳、鼻にも入り、プールで溺れた時のような感覚に襲われる。滴る水滴は地面にしみ込み、消えていく。



「まずいぃぃぃーーーーー!!!!」



 叫ぶクスノ。しかし、打ち所が悪かったようで、その大声すら届かないほど、俺の意識は遠くなっていった。


 遠く。

 

 遠く。


 …………。



「珍しいお客じゃな、誰じゃ貴様?」


 さては今までの物語は全部夢だったのではないかと錯覚する。意識が覚醒すると、しかしまだ錯覚に陥っているのではないかという感じがした。

 目の前には、見目麗しい女性が立っていたから。黒い漆のような光沢ある長い髪を伸ばし、髪の隙間から倒れる俺を覗いていたのだ。こんな世界、錯覚ではなくして何なのだ。


「誰だと聞いておるのじゃが? ここは言葉や声なんて概念ないんじゃから聞こえるじゃろ、いや伝わるじゃろ。鈍感系主人公じゃあるまいし」


 なんとか、意地とプライドと誇りと自棄で声を絞り出す。


「俺は、恋心を察しても、それを利用できる側の人間だぜ?」


「ガチのやべぇやつじゃなぁ、それを公言できるところが特に」


 苦笑いする長身の女性は、古風な口調でそう言うと俺の腕を掴んで無理やり立たせた。まだまだ体が痛いのに、怪我人に厳しいなとも思ったのだが、全然痛くない。何故起き上がらなかったのかが不思議なくらいだ。


「火事場の馬鹿力みたいなもんじゃよ、人間誰しも力を最大限発揮できずに死んでいく。そのリソースを無理やりお主から引き出しただけじゃ」


「だから立てたってか? で、あんた誰?」


 そう聞いたものの、何となく察しはつく。この古風な口調、黒髪はともかく、その髪の隙間からひょっこりと顔を出す角。これはもう、あいつだろう。ではなくともそれ関連の。


「さぁなぁ、わしはあやつの血縁だが、何世代前なのかはわからん。しかしわしと疎通できるということは、貴様も魔の者ということじゃろう?」


 魔の者かどうかは、そういえばつい最近確認がとれていたな。


「疎通できるからってのは分からんが、保護石には通れなかったな」


「だろうのぉ、じゃからお前さんはここにおる。しかし、力はないようじゃ。判定的には魔の者なのに、力がないとは哀れよの」


 じゃから、今から貴様を新の魔の者に覚醒させてやろう。


 そう言うと、今度は心臓に手を突っ込んだ。俺の腹は根っこでさえも食い止めることができる。しかし、綺麗な女性の柔らかそうな手が、まるで豆腐を崩すように突き刺さる。その手は俺の心臓を握ると、優しくなでた後。


 願うように、愛でるように、憂うように、憐れむように、ぐしゃりと、握りつぶした。

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