第11話

 このまま心臓を握り潰されて、俺が魔族としての隠された力を引き出すという話だったならば、分かり易くてテンプレートな筋書きだ。幽遊白書だ。

 しかし、俺が嫌いなのはまさしくそれなのだった。筋書。誰かの手によって決められた道を歩くような、自分の意思の外側で誰かがほくそ笑んでいるような、そういうものが大嫌いだった。


 だから俺は、否定する。


「ふむ、これは」


 驚いたように、長黒髪の女はつぶやく。己の手の感触をついぞ確かめ、そして俺の体からその手を引き抜いた。血の一滴もこぼれない。


「どうやら、俺の心臓は結構頑張れるらしい」


 心臓。それは血管を通して全身に血液を巡らせるためのポンプである。血液は人間の活動に必要なあらゆるものを各器官に届ける。俺は日ごろからその心拍を鍛えまくっている。人間の『本質』は、その心拍によって供給されるエネルギーだから。俺はあらゆる活動をするにおいて、その血流を重んじている。その結果、どうやら俺の心臓は人間の握力では握りつぶされないくらいにまで強固となっていたらしい。


「いや別に、これは物理的に心臓を潰そうとしたわけではない。言ってなかったかのぉ、ここは飽くまで精神世界的なものじゃ。心臓というのも比喩よ」


 心臓じゃなかった。結構自慢だったのだけれど。そんな落胆はいざ知らず彼女は続ける。


「故に我が握り潰せなかったのは、心臓にあらず、心であり、ハートであり、魂じゃ」


 精神世界なのだからそういうふんわりとしたものが出てくるのはまぁいいとして、何故この人はそんなものを潰そうとする? 俺の心を聞き取ったのか、続ける。


「わしは求めていたのじゃよ、お主のような魂の持ち主を。芯ある者を」


「求めていた?」


「そう、わしは揺れ動かぬ信念ある者を待っていた。精神世界という「魔」そのもののような世界に追いやられた今の今まで、それしか対抗する手段が思いつかんでの。そして貴様のような信念ある者が、このような深淵に足を踏み入れてくれた。我は今喜びに打ち震えておるわ」


 彼女は笑ったけれど、その黒々とした笑い方は悪者そのもののようにも思えてならなかった。邪悪に笑う。しかし、邪悪に笑っているように見えるだけで、それは別に彼女そのものが邪悪というわけではないし、邪悪というのも主観でしかない。逆もまた然り。


「もうそういうのいいからさ、どうすれば出られるのか教えてくれない? そろそろこの世界も飽きてきた」


「まぁまぁ落ち着け、話はすぐ終わる」


 そういうと、笑うのを止めて顔を真剣なものいした。


「今この世界の者達は、何かによって操られておる。全てではないが、ここら一帯じゃ。わしはその力によって、人類を皆殺しにしようとしたんじゃ」


 何かに操られている。薄々感じていたことではあるのだが、『何か』と言うのが気がかりだった。しかし話の腰を折っては時間がかかるだろうから、続きを沈黙で待つ。


「そして勇者という者に返り討ちにされて、魂のみがこうして湖の水にしみ込んでおる。ちなみに湖に潜るとわしの死体が沈んどるよ」


 思いどころか、怨念が籠っていた。さっき俺その水を浴びてしまったんだけど。変なバクテリアが媒介していなければいいが。


「沈む最中、わしは気づいた。あの湖は時空が歪んでおるからの。その影響なのか、自我を取り戻すことに成功したんじゃ。何故わしは人類を殺めようとしたのか、何故魔族の世界にしようともくろんでいたのか。それに――」


 ――それに理由がないことに気づいた。


「何の理由もない、しかし理由はなくとも目指し始めた時の事を思い出した。この湖とは違う、また別の場所に時空の歪みを観測したことがあったのじゃ。それから自然と、無意識に人類を滅亡させたいと思うようになった」


「きなくさいな、その時空の歪みってのが特に」


「貴様も同じなんじゃがのぉ」


 同じ。そう言われて何かに気づく。その気づいた何かを答えるいとまもなく、彼女は言う。


「そう、時空の歪みによって、別の世界から導かれた者。お主にはそ奴を滅してほしいのじゃ。これ以上祖先が人類と無駄な血を流さぬために」


 悲しそうに言う。ダイレクトにその悲しさが伝わった。精神世界だからだろうか、嘘偽りのない感情が俺の魂を揺さぶる。

 あの時、魔王が自分の死に躊躇いを持っていなかったことを知った時みたいに。


「で?」


「で? って、え、同情誘ったじゃろ? もうわかるじゃろ?」


「魂を揺さぶろうとなんだろうと、知ったことじゃないな。自分の嫌なことは自分で解決すべきだ。俺は誰の甘えも許さない。願う奴に願いを叶える資格はねぇ」


 迷いはなかった。確かにそういう世界っぽいとは思っていたし、俺はそれに少なからず反発を覚えた。

 皆そうだから。

 皆やってるから。

 そういう同調圧力と似たような感じがしたから。こんな生温い安心感、吐き気がする。


「厳しいの、では、契約じゃ」


 俺の心中を見透かしたように、彼女は笑んだ。それでこそと言わんばかりに。


「わしは願わん、しかし投資はしよう」


「過半数の株は俺が持つがな」


「株、というのはよくわからんが、まぁよい。わしの見込んだ信念よ」


 日本の会社は株の過半数を所有する者に最終決定権があるのだが、そういう共通認識はないらしい。

 苦笑いする彼女は俺の頬を綺麗な手で撫でると、顔をグイっと近づけた。


「投資するのは、我が魔力。存分に使え」


 柔らかな口づけに、抵抗はしなかった。

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