下僕とは幸福な立場
三鹿ショート
下僕とは幸福な立場
私は、自分で決定し、そして行動するということを、恐れていた。
何故なら、自分で決めたことならば、失敗した責任が全て自分に存在しているからである。
時間をかけながらも失敗した際には、目も当てられない。
だからこそ、私は他者の命令に従うということを望んでいた。
他者の言葉に従って行動していれば、たとえ何らかの問題が発生したとしても、私にそのような命令をしたことが原因であると、責任を転嫁することができるからだ。
ゆえに、最低限の生活を保障さえしてくれれば、給料などは不要で活動するということを宣言していた。
あまりにも都合が良い話に、多くの人間は私を訝っていたが、彼女だけは異なっていた。
彼女は最初から私のことを受け入れ、自身のための命令を私に告げ、私の生活を支えてくれたのである。
彼女と出会っていなければ、私は今頃、路上で支配者を探す日々を過ごしていただろう。
***
彼女の命令は、単純なものばかりだった。
食事の準備や洗濯、必要な物資の購入など、子どもでも出来るようなものがほとんどだったのだが、物足りなさを覚えたことはない。
私にとって重要なことは、私の意志が介在する必要が無いということなのである。
単純であろうと複雑であろうとも、命令され、それを実行するということで一日が終了すれば、それで良かったのだ。
***
ある日、常よりも帰宅の時間が遅かった彼女は、目に見えて怯えていた。
衣服が乱れ、顔面に土と思しき汚れが付着していたことから、彼女が何者かに襲われたのではないかということは、容易に想像することができる。
だが、私が彼女の代わりに報復を実行したり、然るべき機関に通報するなどといった行為に及ぶことはない。
勿論、彼女がそれを命令するのならば、その通りに行動するのだが、彼女はそのようなことを語らなかった。
ただ、自分を抱きしめ続けてほしいとだけ告げた。
その言葉通り、私は彼女を抱きしめた。
最初は震えていたが、やがてそれは止まり、気が付けば寝息を立てていた。
彼女を寝台まで運ぶと、私もまた、夢の世界へと旅立つことにした。
***
彼女の命令で買い物に出た帰り道に、私は数人の男性とすれ違った。
その際に聞こえてきた会話が、頭の中から消えることはなかった。
彼らは、彼女を襲ったときの感想をそれぞれ語っていたのである。
胸部の柔らかさや怯える表情についてなどを語るその声色は、愉しげだった。
そのような態度に対して、特段の感情を抱くことはなかったが、私は初めて、寄り道をした。
彼らの住んでいる場所を記憶し、自宅に戻ると、それらを近くに落ちていた紙切れに記載した。
眠ろうとした際に、紙切れが手元に無いことに気が付いたが、おそらく彼女の部屋に洗濯物を置きに行った際に落としてしまったのだろう。
その存在に気が付けば、彼女が何らかの行動をするだろうと考え、私はそのまま目を閉じた。
***
彼女に命令された通り、私は彼女を襲った人間たちを一人ずつ始末していった。
命令を実行した証として持ち帰った首を、彼女は嬉々として燃やしていた。
彼女がそこまで喜びを示しているのならば、私が行動した意味もあるというものである。
***
病気で痩せ細った彼女は、私に対して、謝罪の言葉を口にした。
自身の報復のために私の手を汚させたことに言及しているのだろう。
命令に従っただけだと告げると、彼女は私の手を握りしめながら、何故私のことを即座に受け入れたのかを語り始めた。
彼女は、孤独を嫌っていた。
それは、多忙な両親に相手をされることが無かったことが原因だったのだが、生来気弱で口下手な彼女は、両親以外の人間からも相手にされることがなかった。
孤独のままこの世から去って行くのだろうかと考えていた際に、私と出会った。
何でも命令を聞くという私の態度を、他の人間ならば訝しむところだったが、彼女は魅力的に感じたらしい。
ゆえに、これまでの私との日々に対しては、幸福を感じていたということだった。
それを告げたところで、彼女の生命活動は終焉を迎えた。
動くことがなくなった彼女を見下ろしながら、私が涙を流すなどということは、無かった。
大きく溜息を吐いた私を、医師などが驚いた表情で見つめてくるが、私は落ち込む一方である。
彼女がこの世から去ってしまったのならば、次なる支配者を探さなければならないのだが、彼女ほどの人間を発見することは困難だろうと考えたからだ。
これまでは彼女が安全であることは自身の生活が保障されるということになるために、彼女のために行動してきたのだが、それはもう、不要な行為である。
私は病室を出ると、多くの人間が行き交う駅前へと向かうことにした。
下僕とは幸福な立場 三鹿ショート @mijikashort
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