第9話 賞賛と
穏やかな眠りの木々、それを照らす光芒。
冷気の光芒が、峻厳な伸びた難路を晒し者にする。
その難路の果てに、ユートピアはある。
ユートピアへの道は、難苦の様相を当然の様に取り戻した。
反対、片やの道は消沈した緘黙を貫く、道と言われたそれを食い終えた様相のまま。
冷気が伊吹を適当に遇らう。敗者の伊吹は靡く早苗、勝者の泥や木は涅槃仏の様。
虚な目が、開いたままの濁り目を覗く。
若輩者は口を開いた。
「煌、帰ろう」
愚か者は手で煌の体を掬い、抱き上げる。
煌の頭と手は地から浮き上がった後、だらんと垂れ下がった。
人殺しが目の合わない煌へ漸くの強い抱擁。
惨めな歌唄いは言葉では無い泣き音を唄った。
泣き虫が涙の温もりを分け与えても、目の濁りは消えない。
泥の水面は、冷笑を堪える童の様に僅かに振動し、溜め息の止まらない貧乏人の様に、風はだらしなく冷気を散在させる。
閉幕後の劇場と化したこの道に、暫く経っても燦爛たる何かの気配はしなかった。もしくは永遠に来ない事を、見る者全てに知らしめるかの様で。
そんな事を悟ってか、岩の上の弱虫は立ち上がり、光芒に背を向け、煌を腕に歩み始めた。
躊躇い無くの二歩目。
悲しみと憂いを引きちぎる三、四歩目。
全てを受け止めたつもりの五歩目を地につけた。
醜い諦めが足跡と成って現れ、その泥の底の方に埋もれたままの掬えない悲しみを置き去りにした印として残る。
鋭利な光芒が伊吹の背に触れる。光色の懺悔ならば、神話では天使が迎えに来るだろう。
奇しくも、伊吹の足は泥濘に抱き抱えられ、下へと降りていた。
それも良いと惜しみなく、甘い匂いを感じながらのくたばりを受け入れる事も出来ただろう。
伊吹は煌を優しく抱き寄せた。
胸と胸を一つにするかの様に、再会の希望をも抱いて、命の鎮まりを待つ。
──もう、無理だ。勉、煌、本当にごめん。
足から腰を飲み込んで行く泥達。
──あの頃は幸せだったな、ユートピア。何もかもが安心に満ちていて、そこにはお前達も居て。
腰から腹と次々に欲張る。
──何でこんな事になったんだっけ。何か無性に、ユートピアを出てみたくなったんだっけ。馬鹿野郎だ。何の意味があったんだ。
伊吹の胸らへんにある煌の顎に泥が触れる。
──意味。そういや、煌が言ってたな。結局聞けず終い。あの世で聞くか。
落蝉は騒ぐ。短命が尽きるまで。
決してあの頃の様に逞しく鳴く事が叶わずとも、鳴く事を忘れはしない。木には既にその腕や足が届かなくとも、動けるまでもがく。
落蝉はそうして、泥にもがいた。もがいて泥を跳ね上げる。そうして出来た泥の隙を見て、己の事を顧みず煌を上へ押し上げる。
やがて、煌が泥から剥き出しになった。
決して上品とは言えない、貪欲さをただただ放つ伊吹の眼光は、まだ潰れておらず、泥の上の煌ただ一点を見つめていた。
殻を破った雛の様に、伊吹は無様に少しずつ這い出る。
生まれ出ると、安定していた泥の上に力無く倒れ込んだ。
──まだ、生きたいのか。俺は。
横たわる煌の目が奇しくも、伊吹の目を見つめている様に。
──ああ。意味な。どうせお前の事だから、聞いた所で、自分で探せって言うだろうな。
伊吹は手の泥を拭い去りゆっくりと、煌の頬を撫でる。
──このままくたばっても、馬鹿にするだろうな。
頭を撫で、目を少しだけ閉じさせた。そうして煌の額に、ゆっくりと唇を触れさせた。
──償いなんて出来ないけど、煌が喜ぶ、勉が喜ぶ土産話を探してくるから。それだけ見つけたら、とっととそっち行くからさ。待っててな。
伊吹は止まらない涙を無視して笑ってみせた。
煌をどこかへ埋葬するべくだろう、伊吹は歩きだした。
「おめでとう、伊吹」
伊吹の肩越しに、異物がそう囁いた。
暗闇よりも黒い空間に、伊吹は抗う隙も無く再び飲み込まれた。
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