愛と憎しみ 終
「愛原……最後の最後でミスをしたね。これであたしたちは、二人揃って消される」
「そんな事ないよ? 誰にも見つからないように逃げよう? 私、頑張るから」
頑張ってどうにかなる問題じゃないんだよ。相手が悪すぎた。愛原は父の恐ろしさを分かっていない。
あたしは結局、愛も憎しみも知らないまま死んでいくのか。
いや、待て。よく考えたら、現状のあたしは別に悪くないんじゃないか?
愛原が勝手に会社の金を盗んだだけで、あたしは無関係……というか、被害者だ。
むしろ今ここで犯人を父に報告すれば、会社に貢献できるのでは?
お父さん。どれだけ頑張っても、どんな成果を出しても、全く褒めてくれなかった。
それどころか、いつも酷い事ばかりされていた。でもこの事を伝えたら、生まれて初めて褒めてもらえるかもしれない。
ポケットの携帯に手を伸ばそうとしたその瞬間……
「待って!」
愛原に手を掴まれた。……一瞬で距離を詰められていた。
「お願い、よく考えて。あなたはそれでいいの?」
万力のような握力で手を押さえつけられて……
ん? いや、そこまで強くは無い?
思い切り振りほどけば、抜けられるような力加減だ。
「黒崎さんが本当にそれを望むのなら、私は受け入れるよ。でも、もう一度聞くけど、それでいいの? あんな最低な父親に従う人生で、あなたは満足?」
「それは……」
「ねえ、黒崎さん。あなたはいじめにのやり方についてやけに詳しかったけど、それってさ、自分が同じ事をされたからだよね」
「な、なにを……」
「酷い事をされてもそれを自分のせいにできる『まじめな子』がターゲットとして優秀なんだっけ? でも、それは満点じゃない。もっと適切な性格の子がいるよ」
なんで彼女がその話を……。でも、今はそれ以上にこの話から耳を離せない。
「例えば、どれだけ酷い事をされても『相手を憎めない』性格に無理やりしてしまえば、絶対に逆らわない人形の完成だ。やりたい放題だね♪ あれ? 『他人を憎めない』? どこかで聞いた事のある話だね」
「…………っ!」
そうだ。あたしは『そうなる』ように……育てられたんだ。便利な『道具』として。
「学校のみんなも、無意識でそれに気付いて暴走し始めている。もうあなたには、何をしてもいいと思っている。このままだと、取り返しの付かない事になるよ」
「そんな事ない。なんとか……してみせる。あたしなら、できる」
「今回はそうかもしれない。でも、この先はどうなるか分からない。あなたはそれを自分で分かっている。だから、無意識にずっと『救援信号』を送っている」
『死にたくない』……か。
「このままだと将来、あなたは好き放題されて、ボロ雑巾みたいに使い捨てられる。あなたはそれを憎いとも思わず、下手をすれば『楽しんで』受け入れる」
まるで預言者みたいに語る愛原。そしてあたしの直感がそれは真実だと述べている。
「そんなのは許せない。どうして大好きなあなたが、そんな終わり方をしなきゃいけないの?」
違う。『あたしだから』だ。空っぽで何もない人間に相応しすぎる最後。
「認めないよ。世界中の誰もが認めても、私だけは認めない。それに今のあなたはまだ空っぽじゃない。あなたは愛を知りたいんでしょ? きちんと意思がある」
あまりに綺麗な瞳が真っ直ぐあたしを見つめてくる。
「だからお願い! 本当の自分に気付いてよ! あなたが本当にやりたいことは、このままクズみたいな親に操られ続ける事なの!?」
熱い思いが伝わってくる。自分の中の何かが変わるような、そんな感覚。
そうだ! あたしが本当にやりたいこと。それは……
「…………うっ!」
瞬間、いきなり恐ろしいほどの『頭痛』に襲われた。そして『声』が聞こえる。
『戯言に耳を貸すな』『拒絶しろ』『それが正しい選択だ』
「……………………はい、お父様」
「え? く、黒崎さん?」
そうだ。理論的に考えてもそれが正解だ。
だってそうだろ? こんなちっぽけな小娘がお父様を出し抜けるはずがない。
確かにこのままだと、永遠に虐待されるだけの人生。でも、あたしはそれも『楽しめる』よう既に調教されている。手遅れだったんだ。
この女の手を取った場合、その先に待っているのは確実な『死』。
『死』と『虐待』なら、後者が正しい選択。だから……
「…………あ」
強引に愛原の手を振りほどいて、ポケットから携帯を取り出した。
ごめんね。あたし、死にたくないんだ。
キミは間違えた。あたしの『死にたくない』という気持ちを汲み取ることができなかった。
だから、さよならだ。あたしは死なない。死ぬのはキミだ。一人で、死んでね。
そうしてあたしは……
「えっ?」
それは愛原の声だったのか。それとも『自分』の声だったのか。
あたしは手に持った携帯を、屋上から『投げ捨てた』のだ。
「……………………あたし、なんで」
頭の声が正しかったのに。愛原を切るのが正解だったのに。
あたしは間違った選択をしてしまった。
「ああ、そっか」
あたし、『死んでもいい』と思ってしまったんだ。
あたしたちはきっと逃げ切れない。生き残る可能性は一パーセントにも満たない。
下手をすれば、明日には捕まって、二人揃って『行方不明』とされる。
でも、思ってしまったんだ。彼女と二人の逃避行がなんて『楽しそう』なんだろう、と。
死の恐怖よりも、それが勝ってしまった。あたしが十七年間ずっと植え付けられたマインドコントロールよりも、本能よりも、その気持ちの方が上だった。
たった一日でもいい。あたしらしく生きたい。二人でどこまで行けるか、試してみたい。
なんという愚かな選択。なんという馬鹿。あたしらしくも無い。
でも、絶対に後悔はしない。殺されて『行方不明』となる未来だとしても、それでもあたしは最後の最後まで自分らしく生きる。愛原と一緒に、笑って死んでやる。
そう決意した。
ああ、そうか。分かった。きっとこれが、この気持ちが……
「嬉しい……嬉しいよ! 黒崎さん!」
愛原があたしの胸に飛びついてきた。
「…………愛原」
「明希って呼んで」
「え?」
「愛原明希(アキ)。それが私の名前だよ」
「明希……」
「うん、『アキ』。いつか男の子と間違われたりして……ね。ふふ」
どうしてだろう。もうあたしに恐怖は無かった。それどころか逃げ切れる確信すらあった。
「大丈夫。私があなたを守ってあげる。ずっとずっと守ってあげる。それを邪魔する奴がいたら、消してあげる。知ってる? 私、本気を出したら凄いんだよ。恋する女の子は、いつだって無敵なんだ」
そうして彼女の宝石のような瞳が迫ってくる。
「ねえ、瑠美ちゃん。もし生き残る事ができて、敵も全て消したら、外国にある『愛の石碑』って所に行こう。そこで二人の『永遠の愛』を刻むんだ。どれだけかかるか分からない。十年くらいかかるかもしれない。それでも、きっと私たちは……」
気付けば唇が重なっていた。
父を始め、様々な人間から無理やりさせられてきた行為。あたしにとってただ男を喜ばせる有効な手段の一つというだけの無価値な作業工程。
でも、今回だけは違った。
体中から痺れるような感覚が溢れてくる。生まれて初めて知った言葉にもできない快感。
それこそあたしがずっと求めていた『愛』という感情だった。
空っぽ高校生たちの愛………終わり
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