愛と憎しみ 3

 それから、あたしに対するいじめは更にエスカレートしていった。

 それでも、あたしは彼女らを憎いと思えなかった。いよいよ憎しみを知るのは不可能な気がしてきた。


「あー楽しい!」「次はどんな事してやろうか」「そろそろ殺しちゃう?(笑)」


 そんな事を言いながら連中はトイレを出ていく。あたしも少し時間をおいて後に続く。

 死んだような目で廊下を歩いていると、周りから『心が壊れた』って目で見られた。

 ごめん。違うんだ。ただひたすら『退屈』なだけなんだ。


 大抵の事を楽しめるあたしだけど、これは本当に退屈。だって『家でされている事』とそう変わらないから。

 このいじめってのは確かにきついけど、あたしが受けた苦痛ランキングの中ではそこまで上位に来ない。こんなので自殺とか、やっぱり理解できない。

 もっと酷い事はたくさんされてきた。特に苦痛ランキング最上位は、このあたしが勘弁してほしいと思ったくらい吐き気がする内容だ。


 しかも、そのお相手が自分の『父』というのだから、余計に気色が悪い。

 それでも父を憎めない。怒れないし、悲しくも無い。あたしにその感情は存在しない。

 愛や憎しみどころか怒りも悲しみも無い。何が完璧美少女だか。

 あたしこそがこの世界で最も『空っぽ』の人間だったのだ。

 人の痛みすら理解できないあたしに、最初から救いなど無かった。


 ×××


 気付けば屋上へ来ていた。ここは彼の安寧の地だったらしいが、満たされた彼はもう二度とここへは来ないだろう。

 図らずとも、ここはあたしだけの場所となったわけだ。


「はあ~。なんだかな~」


 これからどうしよう。とりあえず、いじめに関してはそろそろ対策を考え始めなければならない。

 物騒な発言も出てきたし、彼女たちの『処理』も考えようと思う。

 空っぽのあたしだけど、一つだけ望む事がある。それは『死にたくない』だ。

 死ぬのだけは嫌だ。せめて、愛か憎しみを知るまでは死ねない。

 だから、悪いけど彼女たちに付き合うのもこれまでだ。

 その後の事は……まあ、その時に考えよう。

 結局あたしは何も変わらない。変われない。うん、こんなもんだ。

 これからもあたしはこんな毎日を『楽しんで』生きていくのだろう。



「みぃ~つけた。あはっ♪」



「え?」


 その時『聞いた事も無い声』が屋上の入り口から聞こえてきた。


「……………………愛原?」


 あたしがなぜ彼女の声を聞いた事も無いと思ったのか? それは愛原が普段は決して出さないはずの声だったからだ。

 声だけじゃない。歯をむき出して笑っている。こんな顔をした愛原を見るのも初めてだ。

 一瞬、三日月みたいに避けたその口が、まるで耳まで届いているような、そんな錯覚すら覚えた。


 愛原。あたしがいじめていた子。こいつは目が髪で隠れているので、ずっと何を考えているのか分からなかった。

 それを知るのもいじめを続けていた目的だったけど……


「っ!」


 あたしの直感が告げる。『やばい』。今のこいつは……『何か』やばい!

 同時に『落ち着け』ともう一人のあたしが告げている。こんな時、最も大事なのが落ち着く事だ。

 冷静に対処して、切り抜けるのだ。

 今、この場で少しでも焦って間違った選択をした瞬間、あたしは『終わる』。


「ねえ、黒崎さん。知ってる? 女の子が一人でこんな所にいるのは、とても危険なんだよ」


「ご忠告、ありがとう。これからは気を付けるね。で、そういう愛原ちゃんこそ、こんな所に一人で何の用かな?」


 よし、冷静になってきた。ここで自分の言葉を復唱してみる。

 『何の用か』……か。そんなのは聞くまでもない。馬鹿でも分かる。

 『復讐』だろう。愛原はあたしにいじめられた恨みを晴らしに来たのだ。

 いかに邪悪なあたしでも、愛原の復讐だけは論破できる自信はない。その復讐は、確実に正しい。

 だから、復讐したいというのなら、それを甘んじて受け入れる所存ではある。


 ただ、それはあくまで『目には目を歯には歯を』の範囲内での話だ。それ以上は、悪いけど受け入れるわけにはいかない。

 あたしが今まで愛原を殴ったのはジャスト十回。だから、彼女が『今からあなたを十回だけ殴ります』と言えば、あたしは嬉々として受け入れるつもりだ。

 右の頬を殴られたら、今度は笑顔で左の頬も差し出す。まるでどこぞの救世主が如く全てを受け入れよう。


 でも、この手のタイプは絶対にそれで済まそうとしない。間違いなく『倍返し』をしてくる。繰り返すけど、あたしはこの言葉が嫌いなんだ。

 まあ、倍くらいなら別にいいけど。確実に愛原は『その先』をやるつもりだ。

 はっきり言ってしまえば、愛原はあたしを『殺す』つもりだろう。

 相変わらず目は髪で隠れて考えをはっきり分からないけど、それくらい雰囲気で分かる。

 不気味な笑みを続けている愛原は、そのまま静かに口を開いた。


「黒崎さん。私の名前、憶えているんだね」

「ん? 名前?」

「そう。愛原って、私をそう呼んでたよね? 名前を覚えるの、苦手じゃなかったっけ?」

「まあ、自分がいじめた子の名前くらいは憶えておかないと、相手に失礼でしょ?」

「なにそれ。いじめ自体が失礼とは思わないの? やっぱり、あなたってそんな人なんだ。でも『だからいい』。もう遠慮する必要も無い。うけけけけけけけけけけけ!」


 …………あたしの目の前にいるのは誰だ? ひょっとして、人間じゃなくて『悪魔』ってやつじゃないのか?

 あたしは、触れてはいけない存在に、触れてしまった?

 いや、落ち着け。とにかく、落ち着くんだ。飲まれるな。相手を観察しろ。

 よく見ると、愛原は手に『紙袋』を持っていた。


 中身は……まあ、武器だろうな。包丁とかかな?

 ちなみにあたしは護身術の心得もある。習った話によれば、包丁などの凶器を持った相手に対して最も有効な対処法は『とにかく逃げる』だそうだ。

 護身術を極めたとしても……いや、護身術を極めているからこそ、凶器を持った相手を確実に制圧できる方法など存在しない。それが分かる。


 だから、逃走が最も生存率は高い。あたしが取るべき正解は『逃げ』だ。

 でも、先生。せっかく教えてくれたのに、ごめん。ここ、屋上なんだ。逃げ場、無いんだ。

 最良の手段は封じられた。ただ、それでも諦めるつもりは無い。

 じっくり観察した結果、あたしにも希望がある事も発見した。

 更によく見ると、愛原は『ボロボロ』だったのだ。衣服は激しく乱れており、まるで誰かに暴行でもされた後のようだった。


 ひょっとしたら、あたし以外にもお礼参りをしようとして、結果、彼女は返り討ちにあったのではないか?

 だとしたら、これは朗報だ。愛原は武器を持っていたにも関わらず、もう誰かに負けている。

 しかも、恐らく素人に……だ。


 恐ろしい威圧感はあるけど、護身術を習得しているあたしなら、冷静に対処すれば勝てる可能性は十分にある。

 希望はある。あたしは絶対に生き残って見せる。

 まだ死にたくない。愛か憎しみを知るまでは、死ねない。


 悪いね、愛原。キミにとってのあたしは、殺したいほど憎い存在かもしれない。でも、あたしは殺されるほど悪い事をしたとは思えない。

 あたしの理論をキミに押し付けるつもりは無い。でも、キミの理論で殺されるのもごめんだ。

 だから、戦わせてもらう。戦うしかない。戦争ってのは、そういうものだろ?


「あ、そうだ。私ったら『何の用か』を答えてなかったね。黒崎さん、私の用事を聞いてくれるかな?」

「……いいよ。言ってみなよ」


 ここは相手の出方を見る。今の愛原の脅威は『何を考えているのか分からない』部分だ。

 相手が何を思っているのか分かれば、こちらも動きやすくなる。

 正直、何を言われるのか、楽しみまである。だって今日、あたしは本当の『憎しみ』を知れるかもしれないんだ。


 なにこれ。自分が死ぬかもしれない状況でも楽しんでしまうとか、何でも楽しむあたしの性格は、長所などではなく、ただの欠点だったか。

 まあ、今更自分の性格を嘆いても仕方ない。自分がおかしいなんて、とっくに分かっていた。ここは前向きに考えよう。

 さあ、聞かせてよ。キミがどれほどあたしを恨んで、憎んでいるのか。


「あのね、私ね……」

「うん」




「ずっと前から、あなたが好きでしたっっ!」




「………………………………は?」


 そうしてあたしが耳にしたのは『告白』らしき言葉だった。

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