経験値 4

 そうしてついに決行の日がやってきた。

 黒崎は取り巻きの女子を引き連れて愛原の元へ向かう。彼女たちは『黒崎グループ』と言われている連中だ。

 黒崎曰く、この取り巻きは黒崎家の権力に従っているだけで、友達とは言えないらしい。

 確かに彼女らが見えない所で黒崎をブスと言っていたのを聞いた事がある。黒崎もそれを知って利用しているわけだ。


 それでも黒崎グループが教室でトップなのは間違いない。取り巻きもその座に居座りたいのだろう。

 少なくとも表向きでは彼女らも黒崎を立てている。歪んでいるが、利害の一致する関係なのだ。

 トップってのも大変だな。まあ、これを勉強するのもまた『経験値』か。

 そう考えたら、あいつにも本当の友達なんて、一人もいないんだな。


「ねえ、愛原ちゃん」


 誰もが心を奪われるような綺麗な笑みで、黒崎は愛原に話しかけた。


「え? く、黒崎さん?」


 当然、愛原は困惑している。今まで全く接点も無かったし、普通ならこの先も関わるはずの無い地位の二人だからだ。


「愛原ちゃんって可愛いよね。あたし、前から愛原ちゃんと仲良くしたいと思っていたんだ。よかったら、あたし達のグループに入らない? 一緒にご飯、食べようよ」


「わ、私が……黒崎さんと?」


 俺は今、黒崎瑠美の本当の恐ろしさを知った。一見すると、全く悪意など無いように見えたからだ。

 話しかけられた子はこう思う。『黒崎さん。怖そうだけど、いい人だ』と。

 だが、これは全て黒崎の罠。彼女の中では初めから『どうやって相手を屈服させるか』しかない。そのあまりの手際に恐怖すら覚えた。


 今の黒崎が蜘蛛のように見えた。完全な捕食者。そして愛原は蜘蛛の糸に絡められた獲物。

 愛原の顔は髪で隠れてよく見えないが、雰囲気から嬉しそうにしているのは分かる。

 自分みたいな人間も誘ってくれた。仲良くしてくれる。それが心から嬉しい……と。

 それを見た俺は、何故か恐ろしいほどの『吐き気』に襲われた。それがあまりにも酷くて、見ていられなくて、目を逸らしてしまった。


 ×××


 そうして愛原が黒崎グループに入ってから何日かが過ぎた。

 黒崎の話によると、いじめはある程度仲良くなってからの方が圧倒的に成功しやすいとの事だ。

 一見すると仲良しグループ。そう見えるからこそ、いじめがバレにくい。

 黒崎の手腕は完璧だった。愛原に優しくしつつも、気の小さい彼女に少しずつ『いらだち』を見せ始める。時間をかけて、ゆっくりと愛原への態度を冷たくしていく。


 あいつのいじめ理論ではターゲットが大事と言っていたが、もはやそれすら不要と思えた。黒崎の支配技術は既に相手を選ばず、誰にでも通用するのではないか?

 黒崎瑠美。やっぱり、お前は何をさせても天才だよ。

 そうして仕上げの日。愛原を人気の無い体育倉庫へ呼び出す。

 俺は見張りも兼ねて入り口の扉前で待機していた。中は見えないが、声は聞こえてくるので様子は分かる。

 少しでも経験値が欲しい。人を屈服させる瞬間と、その過程を勉強しなければならない。


「ねえ、愛原ちゃん。どうしていつもオドオドしているの? これじゃ、あたしたちのグループの空気が悪くなるんだけど、どう責任取ってくれる?」

「だよね~。正直、私も思ってた。愛原って空気読めないよね~」

「うん。キモいよね。きゃはは!」

「ご、ごめんなさい」


 始まった。何も悪くない愛原に全ての責任を押し付けるような口調。

 まるで本当に愛原に落ち度があるかのような演出。本当は、彼女に落ち度なんて一つも無いのに。

 愛原は、ずっと頑張っていた。勇気を出して話しを広げようとしていた。

 黒崎はそれを『空気を壊す』言動として、周りに誘導させていたのだ。


「キミのせいで、あたしたちのグループの『格』が落ちちゃったんだよ? グループの皆は凄く迷惑している。このままじゃ、キミを誘ったあたしが悪いって事になる。せっかくキミと友達になろうとしたのに、恩をあだで返すつもりなの?」


 愛原の嗚咽が聞こえてくる。責任を感じているのだろう。

 あいつの言っていた『真面目な人間』をターゲットにする優位性がようやく分かった。

 悪い所なんて無くても無理やり『悪』とできる。普通なら理不尽だと思えるその仕打ちも、真面目な人間なら『自分が悪い』と認めてしまう。愛原は、そういう子だ。

 だから、ターゲットが大事。そうやって相手を屈服させる。これがいじめの正しいやり方だ。


「ぐっ」


 また吐き気だ。なんだよ、これ。いじめが始まった日からずっとこうだ。


「それじゃあ、愛原ちゃん。土下座しようか。それで今までの事は勘弁してあげる。キミにはもう何もしないし、関わらない。約束してあげる」


 これで終わり。こんな事を言われたら、誰でも土下座するだろう。

 俺は口元を抑えてその場から逃げるように去った。もう、吐き気が限界だった。

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