持つ者と持たざる者 3

 作戦決行の日が来た。たった今、愛原さんが体育倉庫へと連れていかれた。


「いいか。くれぐれも黒崎を侮るなよ。あの女は勘が鋭い。できるだけ目立つように引き付けてくれ」


「うん。頑張るよ」


 そうして僕たちは二手に分かれた。赤川君は窓の外から動画を撮影する役。僕は黒崎グループを引き付ける役だ。

 僕は体育倉庫の前に立って、一度だけ深呼吸をする。

 そうして頭が冷えたのをしっかりと感じ取った僕は、意を決し体育倉庫の扉を開けた。

 バンッ! と音が鳴り、扉が開く。

 中にいる全員が目を見開いて僕に注目した。そう、『全員』だ。


 つまり、初手は成功だ。すかさず赤川君が窓の外の死角から動画を撮り始めた。

 たくさんの取り巻きに囲まれている黒崎。僕よりも背が高い彼女は、その中でも特に目立っている。

 愛原さんは壁に押し付けられていた。やっているのは黒崎本人だ。

 その冷たい氷のような目が僕を捉える。……なんて恐ろしい目だろう。


「あれ~? キミ、誰? こんな所に、何か用かな?」


 相変わらず不快な、それでいてよく通る声で黒崎が僕に話しかけてきた。

 黒崎との初めての会話。それだけで逃げたい衝動に駆られる。


「ねえ、瑠美ちゃん。こいつ、同じクラスの瀬戸だよ」


「あ、そうなの? クラスメイトだったんだ。ごめんね。あたし、人の名前とか覚えるの苦手だからさ」


 まったく悪びれない表情で話を続ける黒崎。謝っているつもりだろうが、悪意しか感じられない。


「ああ、『これ』なら気にしないでね? なんて言うのかな。教育ってヤツ? だよね? 愛原ちゃん♪」


 次の瞬間、黒崎が愛原さんに平手打ちをした。

 この時、僕は確信した。この女は『何か』がおかしい。人間として重大なものが欠落している。

 きっと黒崎瑠美は、人の痛みが分からないのだ。救いようのない邪悪な生物だ。


「ねえねえ、愛原ちゃん。嫌なら正直に言っていいんだよ?」


 顔は笑っているくせに、威圧的で脅すような口調で尋ねる黒崎。そんな言い方をされたら断れるわけがない。


「ほら。この子、何も言わないでしょ? つまり、あたしのやっている事は何の問題も無い。オーケー?」


 なんて腐った理屈だ。自分で言わせないようにしているくせに。


「というわけでさ。瀬田君だっけ? 黙って出て行ってもらえるかな?」


 瀬戸だよ。名前、間違えんな。


「あ、なに? もしかして、口止め料とか欲しい系? じゃあさ。キミが望むなら、気持ちいい事とか、してあげよっか?」


「ええっ!? 瑠美ちゃん、マジで言ってるの?」


「マジマジ。だってこれ見られたのはまずいでしょ? だったら、同じレベルのヤバい事をして、共犯にしておいた方がいいよ」


「へ、へえ。瑠美ちゃん、凄いね。モノ好きだわ~」


「ラッキーだね、ボク?」


 普通の男子なら骨抜きされるだろうあまりに妖艶で魅力的な提案。

 それを僕は……



「ごめんね。僕、ブスに興味は無いんだ」



 ぶった切ってやった。

 瞬間、ゲラゲラと笑っていた取り巻きの表情が一気に険しくなる。


「こ、こいつ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 更に詰め寄って来た。完全に僕だけしか目に見えていない状態だ。

 よし、成功だ。これは僕の『挑発』である。女どもは撮られているとも気付かず頭に血が上っている。

 特に黒崎は顔を真っ赤にして……



「あははは! キミ、面白いじゃん」



 え? 笑ってる?


 なんだこの女。頭がおかしいのか?

 まるで『怒り』の感情が存在しないような、そんな異質さを感じる。

 黒崎はその冷たい目で僕を真っ直ぐに見ていた。全身が凍るような恐ろしい目だ。

 でも、目を逸らしたら負けだ。正面から睨み返してやる。


「へえ? キミ、ひょっとして、何か企んでる?」


 う、嘘だろ? なんで分かった!? この女、相手の心が読めるのか?

 くそ! 何とかしてこの女の注意を引かなければ……そうだ!


「おい、黒崎。知ってるか? 愛原さんは、本気を出したら凄いんだぞ。本当はお前なんか、相手にもならない超スペックの持ち主なんだ」


「はあ?」


 笑顔のまま首を傾げる黒崎。これは挑発でもあるが、事実でもある。


「それ、本気で言ってる? いやいや、それはないでしょ」


 そうして、またしても愛原さんに平手打ちをする黒崎。


「ほら。この子、なにもできないじゃん。もっと試してみようか?」


 何度も殴る。

 愛原さん、本当にごめん! でも、こうする事で早く終わらせられるんだ。

 そうだろ、赤川君。これだけ殴っている場面を撮影できたんだ。完璧な証拠になるはずだ。

 僕の祈りが通じるように、赤坂君が窓から離れようとするのが見えた。撮影が終了したんだ。

 よし、これで役目も終わり。僕たちの勝利だ!

 しかし次の瞬間、黒崎の蛇みたいな目がギョロリと窓の方へ向いた。

 ま、まさか……撮影が気付かれた!?


「……………………ふ~ん」


 だが、黒崎は意味ありげな言葉を発しただけだ。ギリギリ見られてなかった?

 とにかく、これ以上ここにいる理由は無い。さっさと逃げてしまおう。

 僕は愛原さんの手を引いて、体育倉庫から飛び出した。


「あれ? 瀬古君? 急にどうしたの? 怖くなっちゃった?」


 瀬戸だよ。いいかげん、名前くらい覚えろ。バカ女。

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