第20話 子供部屋おじさん

 北関東に住む三十代後半の独身男性、能代さんはいわゆる「子供部屋おじさん」である。

 だいぶ浸透してきている言葉ではあるが、念のため「子供部屋おじさん」という言葉を知らない人のために説明すると、実家で両親と同居し、子供部屋に住み続ける社会人の独身中年男性の事を指したインターネットスラングである。

 良い歳をして独立していない事に対して、自立心がないだとか、経済的に困窮しているというイメージを持たれ、半ば蔑称として使われている言葉である。

 とはいえ、子供部屋おじさんと言っても千差万別。

 そういった状況になっている理由も人それぞれである。

 

 能代さんの場合は映画監督を目指すために東京の専門学校に入学したのだが、その時に一度実家を出て都内で一人暮らしを始め、専門学校を卒業した後に入社した映像製作会社を三十二歳で辞めるまでずっと都内での一人暮らしを続けていた。

 ある日住んでいたアパートが火事で半焼し、引っ越しを余儀なくされたのだが、当時の能代さんの貯金はゼロに近く、引っ越しのための資金がなかった。

 資金が貯まるまで友人の家に居候させて貰おうかと一時は思案したのだが、能代さんの思慮深い性格が結局その選択をさせなかった。

 そういった状況に加え、映画監督の夢を持って東京に出てきてたはずが、気づけばやりたかった事とは程遠い、やりがいも見いだせない日々の業務を、ただこなすだけの毎日になっている事に嫌気が差していた時期でもあった。

 それならばいっそ会社を辞め、住む所がないならば実家に帰ればいい。そう思ったそうである。

 実家に帰ってからは心機一転、地元にある物流倉庫で働き始めた。

 映像とはまったく関係のない仕事だが、むしろその方が中途半端に夢にしがみつかなくても良くなって、きっぱりと新しい生活を始める踏ん切りがつくだろうとも考えた。

 始めた当初は体を使う肉体労働が新鮮で楽しくもあったし、それなりの充実感も持てたそうだ。

 そしてなにより実家での生活は、母親がまだ元気で家事の全てをやってくれるし、快適そのものであった。

 ショッピングモールも近く、映画館もあれば本屋もある。買い物には困らないし、田舎の生活でもそれなりに充実した余暇を過ごせそうだ。

 地元で骨を埋めてもいいと思えた。

 

 しかしそんな実家での生活の中で一点、気になる事が能代さんにはあった。

 それは、どうも自分の部屋のベランダに面した窓のカーテンがひとりでに開閉されるという事だ。

 

 ある日会社から帰ってきた能代さんが、庭に停めた車から降りて何気なく二階の自分の部屋の窓を見ると、出掛ける時に開けたはずの緑色のカーテンが、ぴっしゃっと閉められる瞬間が目に入った。

 当然カーテンを閉めるには人の力が必要だが、その姿はなく、薄暗い時間だったのではっきりとはしないが、ひとりでに閉まったように見えた。

 家に入り一階のリビングでテレビを見ていた両親に、部屋に入りカーテンを閉めたかどうかを聞いたが、二人ともそんな事はしていないと言う。

 恐る恐る自分の部屋に入ると、やはりカーテンは閉められていた。

 朝、出かける時にカーテンは開けて出てきたつもりだったが勘違いで、閉めたまま出掛けたのだろう。

 ひとりでに閉まったように見えたのは錯覚か。

 その日はそう納得させた。

 しかし、それからも幾度となく開けて出かけたはずのカーテンがひとりでに閉まる瞬間を能代さんは目撃する事になる。

 決まって、仕事や買い物などからの外出から帰ってきて二階の自分の部屋を見上げた瞬間にそれは起きるのだという。

 逆に閉めたはずのカーテンが開けられる事もあるそうだ。

 なんとなく気持ち悪いが、カーテンがひとりでに開閉される事以外に怖い現象が起きる訳ではないので、能代さんはそのまま特に特別なことはせずにしばらくやり過ごしていた。

 しかしやたらと頻繁に起こるので、段々と気になって仕方がなくなり、とうとう居ても立ってもいられなくなった能代さんは原因を究明する事にした。

 

 しばらく使ってなかったビデオカメラを引っ張りだし三脚を立て、部屋の中からベランダ側の窓に向かってカーテンが映るようにカメラを固定し、録画ボタンを押して、そのままの状態で出かけて何か映るか試してみる事にした。

 

 撮影を開始したその日の夕方、能代さんが会社から帰宅し、庭に停めた車から降りて二階の自分の部屋の窓を見ると、ぴしゃっとカーテンが閉まるのが見えた。

 急いで二階に上がり、部屋に入る。

 いつも通りカーテンが閉められている以外に変化は何もない。

 能代さんはすぐに録画された映像を確認した。

 

 能代さんの乗った車が庭の砂利を踏みしめる音とエンジンの音が微かに聴こえた瞬間、薄明かりが差し込む部屋の床に何かが浮かび上がってきた。

 それが瞬く間にはっきりとした姿を現した。

 カメラには背を向けた状態で、ベランダ側の窓の方を見つめながら体育座りをする子供の後ろ姿だった。

 小学校低学年くらいの男の子に見えた。

 その男の子は座ったままズルズルとお尻を床に擦りながら前に進むと、四つん這いになり手をカーテンに伸ばしてそれを掴むと、ぴしゃっと横に勢い良くスライドさせた。

 カーテンが閉まり部屋が暗くなる。

 男の子は立ち上がり、振り返ると、悪戯っぽく笑いながらカメラに向かってヨタヨタと走って来た。

 このまま行けばカメラにぶつかる。そう思った瞬間に男の子はスパッとその姿を消した。

 カメラに向かってくる男の子の顔がはっきりと見えた。

 能代さんはその顔に、着ていたTシャツに見覚えがあった。

 幼くして事故で亡くなった六歳下の弟だった。

 

 能代さんの脳裏に、悪戯好きで自分にちょっかいを出してきてはケラケラと笑う生前の弟の姿が浮かび上がって来た。

 かわいくてかわいくてしかたなかった姿だ。

 

 弟さんが亡くなったのは能代さんが中学二年の時だった。

 小学校からの帰り道に車に跳ねられ亡くなったのだ。

 中学の入学祝いに買ってもらったビデオカメラで弟をよく撮影していた。

 カメラを向けると弟はおどけたポーズを取ってはしゃいでいた。

 忘れかけていた、いや、どこかで忘れようと努力して重い蓋で閉じていた記憶たちが一気に甦ってきた。

 能代さんは気づくと顔を両手で覆い号泣していた。

 

 翌日、弟さんのお墓参りに行った。

 命日でもないのに何故急にお墓参りに行くのかと訝しがる両親に、実家に帰ってきてからの出来事を全て正直に話した。

 すると母親が「お兄ちゃんが帰ってきてくれて嬉しいのよ」そう言って泣き崩れた。

 それまでお墓参りにあまり行ってなかった能代さんだが、今では命日はもちろんのこと、それ以外の日にも定期的にお墓参りに行っているという。

 仏壇にも毎日手を合わせている。

 

「実家に帰ってきて本当に良かったと心の底から思ってます。弟が大切な事に気づかせてくれたんですから」

 

 そう言う能代さんは専門学校時代の仲間と共に短編映画を作る予定だという。

 再びカメラを手に撮る。

 どこにも公開する予定のない内輪の物だが、楽しく仲間とワイワイ出来ればそれでいいそうだ。

 ちなみに婚活はしているが焦ってはいない。

 

 そして我々としては気になる、弟さんの幽霊が悪戯する所が映った映像だが、それは消去してしまったという。

 

 今でもたまに能代さんの子供部屋のカーテンはひとりでに閉まる。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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