第14話 ニューフェイス

 塚原さんという女性の三歳年上の姉ティナさんが、ある日突然自ら命を絶ったのは塚原さんが高校二年の時だった。


 ティナさんは当時大学に通うかたわら、プロのアーティストを目指して音楽活動をしていた。

 ギターの弾き語りをするソロアーティストで、自ら作詞作曲した曲を小さなライブハウスや路上で歌っていた。

 塚原さんも一度ライブハウスでティナさんが歌う姿を観たことがある。

 いつも隣の部屋から、爪弾くギターと共に鼻歌で聴こえてきていた素朴なメロディが、ライブハウスの立体的で奥行きのある音響で聴くと、魔法が掛かったように美しかった。

 ティナさんの歌声は女性にしては中低音がしっかりと豊かに響くタイプで暖かみがあり、聴いていると、とても心地良かったそうだ。

 小さなライブハウスだったが照明設備は本格的で、曲調に合わせたきらびやかで色とりどりのライトにティナさんは照らされて歌っていた。

 そんなステージ上のティナさんを見てとても綺麗だと塚原さんは胸が踊った。

 そんな中で何より強烈に塚原さんの心を奪ったのは、最後の曲として歌われたバラード曲での、シンプルなピンスポットライトに照らされ目を閉じて熱唱するティナさんの表情だった。

 息を飲んだ。身近な存在だったティナさんがどこか別の世界にいる神秘的な人のように感じた。

 塚原さんは感動で涙を少し流した。

 

 塚原さん以外のお客さんはティナさんの友人が三人と、共演していた他の出演者のお客さんを含めても十数人ほどしかいなかった。

 テレビに出るような、CDショップに作品が並ぶような、武道館でライブをするような有名なアーティストではない。それどころか無名のアーティストの中でもお客さんが多い方ではないだろう。

 それでも塚原さんはティナさんの事が本当に誇らしかった。


 ライブが終わり、客席に降りてきたティナさんは塚原さんを見つけると、いつも通りの優しい笑顔で駆け寄ってきて「来てくれて嬉しいよ!どうだった?」と背中をポンと叩いてくれた。

 塚原さんはライブを観ての感動を興奮気味で捲し立てた。

 ティナさんは少し気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら「ありがとう!めっちゃ嬉しいよ!」と言って塚原さんをハグした。塚原さんはそのティナさんの反応に胸がいっぱいになった。

 いつも優しく、そしてステージでも輝くティナさんの事が本当に大好きだと、塚原さんはその時心の底から思った。


 ティナさんは大きなステージで、広い会場でいつか歌いたいという夢を、ことあるごとに活き活きとした表情で熱っぽく塚原さんに語っていた。

 そんな風に夢を追いかけて前向きに頑張っていたように見えたティナさんが、自ら死を選んだのは本当に何かの間違いじゃないのかと、塚原さんは当初まったく信じることが出来なかった。

 

 ティナさんに自死の兆候など、少なくとも塚原さんには無かったように見えた。

 自死した当日の様子も、今にして思えば確かにいつもより心なしか元気がなかったような気もするが、当時は普段通りのティナさんに見えたという。言葉のトーンも、表情も仕草も特段変わった所はなかったと塚原さんは記憶している。


 日曜日だった。

 その日ティナさんは路上ライブをすると言って出掛け、帰ってきたのは夕方頃で、十九時頃に両親、ティナさん、塚原さんの四人でいつも通り夕食を取った。

 夕食後しばらくリビングでテレビを観ていたティナさんは二十時頃に入浴し、その後はそのまま二階にある自室へと向かった。

 塚原さんが自室に行ったのはティナさんの後に入浴したあとの二十一時半頃で、そこから就寝する二十三時まで、隣のティナさんの部屋から大きな物音などは聞こえず、とても静かだったという。

 塚原さんがその日ティナさんと交わした会話はいつも通りのたわいもない物ばかりだったそうだ。

 

 翌朝、いつもならば三十秒ほどで鳴り止むティナさんの部屋から聴こえる目覚まし時計の音が、その日は数分鳴り止まなかった。

 不審に思った母親がティナさんの部屋に様子を見に行った。

 母親が悲鳴を上げるのが聞こえた。

 塚原さんが慌てて様子を見に行くと、そこには舌筆に尽くしがたい、あまりにも凄惨な光景が広がっていた。

 塚原さんも悲鳴を上げ、そして膝から崩れ落ちた。

 フローリングの床には、赤色とベージュが入り混じった細かい〈欠片〉がそこら中に散らばっていた。

 後から分かった事だが、それはティナさん自らハサミで切り刻んだ、ティナさんの顔の皮膚と肉だった。

 ティナさんは左手首から大量の出血をしており、右手には血まみれの果物ナイフが握られていて、顔は〈デコボコ〉だった。さらに左目には、眼球をくりぬこうとしたのだろうか、マイナスドライバーが突き刺さった状態だった。

 そんなあまりにも酷い状態でティナさんは息絶えていた。

 塚原さんも母親も床に座り込み、ただただ泣き叫ぶことしか出来なかった。

 なんとか平静を保つ父親が警察と救急を呼んだ。


 当初は遺書らしき物がなかったため、第三者による殺人事件の線も疑われた。しかし、誰かが部屋に侵入した形跡は見つからず、顔や手首を傷つけるために使用されたと思わしき、ハサミ、ナイフ、マイナスドライバーからはティナさんの指紋だけが付着していたということで、警察は自殺だと結論付けた。


 なぜティナさんはあんな事をしたのだろう。

 なぜあんなにも凄惨な形で自らに刃を向けたのだろう。

 正気だったとは思えない。何か悪い物に取り憑かれてしまったのだろうか。塚原さんはそんな考えも頭によぎった。しかしすぐにその考えは改めた。そんな事などあるわけがないじゃないかと。

 何かあるはずだ。きっと理由が……。

 しかし、塚原さんは考えても考えても分からなかった。

 知りたい。どうしても知りたい。あの凄惨な行為の動機を。気づくと塚原さんはそんな想いに取りつかれていた。

 

 葬儀が終わり、初七日を迎えた日、塚原さんはティナさんの部屋に入り、何かヒントになる物はないか探してみることにした。

 部屋では演奏する人を失ったアコースティックギターが寂しくスタンドに立て掛けられていた。

 

 塚原さんは子供の頃から、ティナさんが見られたくない物、日記や彼氏から貰ったラブレターを隠す場所を知っていた。

 ベッドの下に置いてある衣装ケースの中だ。

 ティナさんの部屋に遊びに行くと「そこだけは絶対に見ないでね」と釘を刺されていた。

 塚原さんが後ろめたい気持ちを押さえ込みながらそこを物色すると、楽譜やぬいぐるみなどに混じって、埋もれるように置いてあった一冊のノートを発見した。

 表紙には〈創作ノート〉と書いてあった。

 歌詞か何かを書いているノートだろうか?

 塚原さん開いて中を見てみた。

 そこには、まったく想像もしなかったティナさんの、激しい胸の内の叫びがページ一杯にサインペンで書き殴られていた。


〈私の歌が評価されないのはなぜ?なぜお客さんが増えないの?〉

〈実力で勝負したい!それなのにメイクをこうした方がいいとか、衣装をこうしたほうがいいとか、そんな見た目の事ばかりアドバイスされる。なぜ?〉

〈歌も上手くない!曲も普通!でも顔がかわいいあの子がデビューするらしい!嘘だ嘘だ嘘だ!〉

〈どんなに良い曲を書いても、歌が上手くても、顔がかわいくなければ用なしの存在!それが私!〉

〈私は私の顔が嫌い!嫌い!大嫌い!〉

〈こんな顔はいや!新しい顔が欲しい!〉

〈顔がかわいく生まれてたらデビューできたのかな?〉


 塚原さんは愕然とした。ノートを持っている手が震えた。

 姉がこんなにも自分の容姿にコンプレックスを持っていたなんて。そしてそれが姉にとって、とてつもない苦しみになっていたなんて。だからあんな凄惨なやり方で自分の顔を痛めつけたのか。あんなに毎日近くにいたのになぜ私はその苦悩に気づいてあげられなかったのか。

 塚原さんの全身に後悔とやりきれなさが鉛のようにのし掛かり、自然と涙が溢れ出ていた。

 

 ノートにはこんなページもあった。

〈私の理想の顔はこれ!今度生まれ変わったらこんな顔になりたい!〉

 そう書かれた文字の下に、数年前自ら命を絶った若い女性タレントの写真が貼り付けられていた。何かの雑誌から切り抜いた物だった。

 選んだのが自死した女性タレントという所、そしてティナさん自身も同じような行動を取ってしまった所に、ティナさんのとてつもない深い心の闇を見てしまったようで、塚原さんの悲しみはより深まった。

 塚原さんはノートを閉じ、衣装ケースに戻した。

 これは秘密のままにしておいた方が良い。そう思ったそうだ。


 そんな事があってから一週間ほどたった頃。

 部屋で寝ていた塚原さんは、夜中に目を覚ました。

 体が動かない。人生で初めて経験する金縛りだった。

 部屋のドアの前に誰かが立っている気配を感じた。

 その気配が、寝ている塚原さんへとゆっくりと近づいて来た。

 目を閉じたいのに、何故か目を閉じる事が出来なかった。

 部屋の照明がひとりでに明るくなった。

 気配はベッドの横まで来ると、塚原さんの顔を覗き込んできた。

 塚原さんの目に飛び込んできたのは、ティナさんがあのノートに、自分の理想の顔、生まれ変わったらなりたい顔だと書いていた、数年前に自ら命を絶った若い女性タレントの顔だった。

 信じられなかった。

 夢でも見ているに違いない。そう思った塚原さんを見透かしたのかのように、自死した若い女性タレントの顔が「夢じゃないよ」そう言った。

 その声に塚原さんは聞き覚えがあった。いや聞き覚えなどというレベルではない。毎日聴いていたあの声。ライブハウスで美しい歌声を聴かせてくれた暖かみのあるあの声──。


 ティナさんの声だった。

 いつのまにか金縛りは解けていた。

 体をベッドから起こすと塚原さんは「お姉ちゃん?」そう訊ねた。


「そうだよお姉ちゃんだよ!びっくりした?新しい顔になれたんだ。いいでしょこの顔!かわいいでしょ?嬉しい!ねぇ!一緒に喜んでよ!」


 新しい顔のティナさんはそう言うと、嬉しそうに鼻歌を口ずさみながら、部屋の中をくるくるとスキップしながら走り回った。

 鼻歌のメロディーは、ライブハウスでラストに歌われた、強烈に塚原さんの心を奪ったバラード曲の物だった。

 そんな新しい顔のティナさんの姿を見て、鼻歌のメロディーを聞いて塚原さんはとても悲しく、やりきれない気持ちになった。

 確かに容姿にコンプレックスを持っていて、それが死ぬほど苦しかったのは分かる。辛かったのはわかる。自分だって自分の顔は好きではないし、もっと綺麗にかわいくなりたい。お姉ちゃんの苦しみは痛いほど理解できる。でもこんな事になるのは何か違う気がした。これを認めるわけにはいかない。認めちゃだめだ。上手く言葉にする事は出来ないが、こんな事一緒に喜べるはずがないじゃないか。そんな思いが胸に沸き上がった。


「こんなのお姉ちゃんじゃない!一緒に喜べるわけなんてないよ!こんなお姉ちゃんなんて好きじゃない!こんなお姉ちゃんは嫌い!私の好きだったお姉ちゃんじゃない!早く消えて!」

 塚原さんはそう叫んだ。

 すると新しい顔のティナさんは走り回るのを止め、塚原さんの方に顔を向けた。そして鬼のような表情になって「偽善者……」そう一言だけ小さな声で言って消えた。

 叫び声を聞きつけた両親が塚原さんの部屋に入ってきた。

 顔を両手で覆って涙を流す塚原さんを母親が抱きしめてくれた。

 

 新しい顔のティナさんが塚原さんの前に姿を見せたのはそれっきりだという。


 そんな事があって以来、塚原さんは自分の顔を鏡で見たときに、顔の造形を以前にも増して事細かく観察しているという。

 自分の顔は姉に似ている。姉妹だから当たり前だが、その事実に触れるたびに姉の生前の苦悩が自分の心に乗り移ったように胸がとても苦しくなるというのだ。

 時々、その苦しさに心が押し潰されそうになる。


 塚原さんは性風俗店で働き始めた。整形手術の費用を稼ぐためだ。


「新しい顔のお姉ちゃんが現れたときに、あんな酷い事言っちゃったのを今は少し後悔してます。一緒に喜んであげれば良かったって。整形して、少しでも綺麗になる事がお姉ちゃんの供養になるような気がしてるんですよ。こんな事するなんて馬鹿げてますかね?」

 そう言って塚原さんは苦笑した。


 ライブハウスで見たティナさんの姿を塚原さんは今も時々思い出す。

 思い出の中の、目を閉じて歌っているティナさんの姿はいつでもどんな時でも息を飲むほど美しいという。

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