第14話 ニューフェイス
塚原さんの三歳年上の姉、ティナさんが自ら命を絶ったのは五年前、塚原さんが高校二年の時だった。
ティナさんは当時大学に通う傍ら、音楽活動をしていた。
ギターの弾き語りをするソロアーティストで、自ら作詞作曲した曲を小さなライブハウスや路上で歌っていた。
塚原さんも一度ライブハウスでティナさんが歌う姿を観たことがある。
いつも隣の部屋から鼻歌で聴こえてきていた素朴なメロディが、ライブハウスの迫力ある音響で聴くと、魔法が掛かったように美しかった。
ティナさんの歌声は女性にしては中低音がしっかりと豊かに響くタイプで聴いていて心地良かったそうだ。
塚原さん以外のお客さんはティナさんの友人が三人と、他の出演者のお客さんを含めても十数人ほどしかいなかった。
それでも塚原さんはティナさんの事が誇らしかったし、いつも優しく、そしてステージでも輝くティナさんの事が本当に大好きだった。
ティナさんは大きなステージで、広い会場でいつか歌いたいという夢を、ことあるごとに塚原さんに語っていた。
そんな夢を追いかけて前向きに頑張っていたように見えたティナさんが、自ら死を選んだのは本当に何かの間違いじゃないかと塚原さんはまったく信じることが出来なかった。
ティナさんに自死の兆候は、少なくとも塚原さんには無かったように見えた。
自死した日の様子も、今にして思えば確かにいつもより心なしか元気がなかったような気もするが、当時は普段通りのティナさんに見えた。
その日ティナさんは路上ライブをすると言って出掛け、帰ってきたのは夕方頃で、両親、ティナさん、塚原さんの四人でいつも通り夕食を取った。
夕食後しばらくリビングでテレビを観ていたティナさんは二十時頃に入浴し、その後はそのまま自室へ行った。
塚原さんが自室に行ったのはティナさんの後に入浴した二十一時半頃で、そこから就寝する二十三時まで、隣のティナさんの部屋から大きな物音などは聞こえず、とても静かだった。
翌朝、いつもならば三十秒ほどで鳴り止むティナさんの部屋から聴こえる目覚まし時計の音が、その日は数分鳴り止まなかった。
不審に思った母親がティナさんの部屋に様子を見に行った。
母親が悲鳴を上げた。
塚原さんが様子を見に行くとそこには舌筆に尽くしがたい、あまりにも凄惨な光景が広がっていた。
塚原さんも悲鳴を上げ、そして膝から崩れ落ちた。
フローリングの床には、赤色と肌色が入り混じった細かい〈欠片〉がそこら中に散らばっていた。
後から分かった事だが、それはティナさん自らハサミで切り刻んだ、ティナさんの顔の皮膚と肉だった。
ティナさんは左手首から大量の出血をしており、右手には血まみれの果物ナイフが握られていて、顔は〈デコボコ〉だった。さらに左目には、眼球をくりぬこうとしたのかマイナスドライバーが突き刺さった状態だった。
そんなあまりにも酷い状態でティナさんは息絶えていた。
塚原さんも母親もただただ泣き叫ぶことしか出来なかった。
なんとか平静を保つ父親が警察を呼んだ。
当初は遺書らしき物もなかったため、第三者による殺人事件の線も疑われたが、誰かが部屋に侵入した形跡は見つからず、顔を傷つけるために使用されたと思わしき、ハサミ、ナイフ、マイナスドライバーからはティナさんの指紋だけが付着していたということで、警察は自殺だと結論付けたそうだ。
なぜティナさんはこんな事をしたのだろう。
塚原さんには考えても考えても分からなかった。
知りたい。どうしても知りたい。あの凄惨な行為の動機を。
初七日を迎えた日、塚原さんはティナさんの部屋に入り、何かヒントになる物はないか探してみることにした。
小さい時から、ティナさんが見られたくない物、日記や彼氏から貰ったラブレターを隠す場所を塚原さんは知っていた。
ベッドの下に置いてある衣装ケースの中だ。
塚原さんがそこを物色すると、楽譜やぬいぐるみなどに混じって、埋もれるように置いてあった一冊のノートを発見した。
開いて中を見てみた。
そこには、まったく想像もしなかったティナさんの激しい胸の内の叫びが文字で書き殴られていた。
〈歌も上手くない!曲も普通!でも顔がかわいいあの子がデビュー!嘘だ嘘だ嘘だ!〉
〈どんなに良い曲を書いても、歌が上手くても、顔がかわいくなければ用なしの存在!それが私!〉
〈私は私の顔が嫌い!嫌い!大嫌い!〉
〈こんな顔はいや!新しい顔が欲しい!〉
姉がこんなにも自分の容姿にコンプレックスを持っていたなんて。そしてそれが姉にとって、とてつもない苦しみになっていたなんて。だからあんな凄惨なやり方で自分の顔を痛めつけたのか。なんで気づいてあげられなかったのか。
塚原さんの全身に後悔とやりきれなさが鉛のようにのし掛かり、自然と涙が溢れ出ていた。
ノートにはこんなページもあった。
〈私の理想の顔はこれ!今度生まれ変わったらこんな顔になりたい!〉
そう書かれた文字の下に、数年前に自ら命を絶った若い女性タレントの写真が貼り付けられていた。
選んだのが自死した女性タレントという所、そしてティナさん自身も同じような行動を取ってしまった所に、ティナさんの深い心の闇を見たようで、塚原さんの悲しみはより深まった。
塚原さんはノートを閉じ、衣装ケースに戻した。
秘密のままにしておいた方が良い。そう思ったそうだ。
そんな事があってから一週間ほどたった頃。
部屋で寝ていた塚原さんは、夜中に目を覚ました。
体が動かない。人生で初めての金縛りだった。
部屋のドアの前に誰かが立っている気配を感じた。
その気配が寝ている塚原さんにゆっくり近づいて来る。
目を閉じたいのに、目を閉じる事が出来ない。
部屋の照明がひとりでに明るくなった。
気配はベッドの横まで来ると、塚原さんの顔を覗き込んできた。
塚原さんの目に飛び込んできたのは、ティナさんがあのノートに、自分の理想の顔だと書いていた、数年前に自ら命を絶った若い女性タレントの顔だった。
信じられなかった。夢でも見ているに違いない。
そう思った塚原さんを見透かしたのかのように、自死した若い女性タレントの顔が「夢じゃないよ」そう言った。
その声に塚原さんは聞き覚えがあった。いや聞き覚えなどというレベルではない。毎日聴いていたあの声。美しい歌声を聴かせてくれたあの声。
ティナさんの声だった。
いつのまにか金縛りは解けていた。
体をベットから起こすと塚原さんは「お姉ちゃん?」そう聞いた。
「そうだよお姉ちゃんだよ。びっくりした?新しい顔になれたんだ。いいでしょこの顔!嬉しい!一緒に喜んでよ!」
新しい顔のティナさんはそう言って、嬉しそうに鼻歌を口ずさみながら、部屋の中をくるくると走り回った。
そんなティナさんの姿を見て、塚原さんはとても悲しい気持ちになった。
確かに容姿にコンプレックスを持っていて、それが死ぬほど苦しかったのは分かる。自分だって自分の顔は好きではないし、もっと綺麗になりたい。でも、こんな事になるのは何か違う気がした。上手く言葉にする事は出来ないが、こんな事一緒に喜べるはずがないじゃないか。そんな思いが胸に沸き上がった。
「こんなのお姉ちゃんじゃない!一緒に喜べるわけない!こんなお姉ちゃん好きじゃない!早く消えて!」
塚原さんはそう叫んだ。
するとティナさんは鬼のような表情で「偽善者!」そう言って消えた。
叫び声を聞きつけた両親が塚原さんの部屋に入ってきた。
涙を流す塚原さんを母親が抱きしめてくれた。
新しい顔のティナさんが塚原さんの前に姿を見せたのはそれっきりだという。
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