第4話 生きがい

 東京都下の製造工場で働く大西さんから伺った、今からもう十五年ほど前の話しだそうだ。

 大西さんの働く工場は二交代制で早番と遅番に分かれている。

 十五時から二十四時の遅番勤務の時によく顔を合わせる神谷さんという五十代の日雇い派遣の男性がいた。

 この神谷さん、昼間は中小の運送会社の社員として事務作業をしているが、その仕事と掛け持ちで、工場で十九時から二十四時まで働いていた。

 私立高校に進学した息子さんが神谷さんにはいるそうで、運送会社の給料だけでは学費が払えそうもないということで掛け持ちで働いているという事だった。

 神谷さんは派遣だからと言って仕事の手を抜くということはなかった。勤務態度はとても真面目で、仕事の覚えも早く、大西さんは神谷さんをとても頼りにしていた。

 大西さんはそんな頑張り屋の神谷さんを気遣い、「掛け持ちなんて大変でしょう。あんまり無理はしないでくださいね」と声を掛けた事があった。

 神谷さんは優しく穏やかな微笑みを浮かべながらこう言ったそうだ。

「息子の顔を思い浮かべたらいくらでも頑張れちゃうんですよ」

 

 身に堪えるほど寒い冬の日だった。

 作業をしている神谷さんの様子が明らかにおかしい。

 いつものきびきびとした動きがなく、力なくフラフラしている。

 大西さんが声を掛けると「風邪ひいちゃったみたいで。吐き気がすごくて」と弱々しく神谷さんは答えた。

 大西さんは神谷さんに早退するよう勧めた。こんな状態で働いてたら事故を起こすかもしれない。そう言うと神谷さんは素直に従い、「すいません」と力なく謝りながら作業場を後にした。

 そんなやり取りがあった数時間後、工場に救急車がやってきた。

 誰かが駐車場で意識なく倒れているのが発見されたのだという。

 倒れていたのは神谷さんだった。

 発見されるまでに時間が掛かってしまったからだろうか、神谷さんは搬送された病院で亡くなった。

 くも膜下出血だったそうだ。

 もっと早く異変に気付いて救急車を呼んでいれば。大西さんは悔やんだ。


 工場で働いていた人が工場内で亡くなる。そんな事があっても工場は休むことなく稼働を続ける。

 翌日、大西さんもいつも通り出勤した。

 作業着に着替えるためにロッカールームに入る。

 するとそこには、もうここに来るはずのない神谷さんの姿があった。生きていた時よりもだいぶ色褪せて見えた。

 部屋の隅、作業着姿でぼんやりと棒立ちで立ち尽くしていた。

 それを見た大西さんの胸に宿ったのは、なんとも言えないやるせなさと、神谷さんに対する同情の思いだった。

「神谷さん、あんたもう死んだんだから働かなくてもいいんだ。こんな所もう来なくていいんだよ。だからもうゆっくり休みなよ。息子さんはきっと大丈夫だよ」

 大西さんがそう語りかけると、神谷さんは寂しげな笑みを浮かべながらゆっくりとその姿を消した。


 大西さんは毎年、命日に神谷さんのお墓参りに行っている。

 一度だけ神谷さんの息子さんと墓地で顔を合わせ話す機会があった。

 私立高校は無事卒業して、奨学金で大学に通っているという事をその時話してくれたそうだ。

 礼儀正しい好青年だったそうである。

 だがガリガリに痩せていた。

 それ以来会っておらず、その後どうしてるかは知らないという。

 

 

 

 

 

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