第7話

 休み時間が終わり、六限目が始まった。引き続き自習ということで、担任と本来この時間に国語を担当している教師が来て監督している。

 今ごろ、役職持ちの教師たちは今後の対応について会議を開いているのだろうが、さっさと方針を決めてもらいたいと思っている。でなけりゃいつまでも教室に待機しなきゃならなくなるし。


「…………」


 小波こばさんは六限開始と同時に自分の席に戻っている。

 無人になった私の前の席の主――リリはまだ戻ってきていない。

 六限が始まって三十分ほど経過しているのに、どこで何をしているのやら。

 と、思っていると。


「すみません、遅れました」


 教室の前側の引き戸が開き、保健室で休んでいた鹿瀬かのせさんが入ってきた。表情が暗く、顔色もあまりよくないように見えるが……大丈夫なのだろうか。


「話は聞いている。もう具合はいいのか?」

「はい。それで……」


 担任が声をかけると、鹿瀬さんはうつむいて手元に視線を落とした。その手には、体操着を入れているらしいトートバッグと――


「えええぇぇえぇえぇッ⁉」


 思わずビックリして声を上げてしまった。

 何事? とクラス中の視線が私に集まる。

 鹿瀬さんも「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。


「な、何だ那須野なすの! 急に大声を!」

「いや、先生、鹿瀬さんが持ってるやつ!」

「はあ?」


 何言ってんだこいつ、と言いたげにけんにシワを寄せて、担任は鹿瀬さんの手元に目をやって――硬直した。


「あの、これ、貴重品袋……ですよね?」


 鹿瀬さんが遠慮がちに差し出したのは、

 ハッと我に返った担任が袋を受け取り、中身を覗き込む。


「廊下側の席から一人ずつ来て確認してくれ」


 ほどなくして、それらは持ち主の手に戻り、教室内に安堵の空気があふれた。

 だが――まだだ。まだ安心するのは早い。

 そう思っていた私は、スマートフォンのロックを解除してキャッシュレス決済アプリの残高を確かめる。


「無事だ……」


 ここでやっと全身の力が抜けるほど安心して息をついた。財布の中身も変わっていない。

 周りの被害者の子たちも一様いちように安堵の表情をしていた。

 そうして安心すると――次に気になるのは鹿瀬さんのことだ。私と同じく容疑者扱いされていた小波渡さんなんて、顔色をなくすくらい驚いて彼女を見ているし、誰もが彼女に注目していた。

 どうして彼女が貴重品袋を持っていたのか――


「鹿瀬、これをどこで?」


 クラス全員が持っているであろう疑問を、担任が代表するように問いかけた。

 鹿瀬さんは一斉に集めてしまった視線に身をすくませながら、おずおずと話し始める。


「わたしは体育の授業で気分が悪くなって、保健室で休んでいました。少し眠って、チャイムの音で気がつくと、六限目が始まるところでした。体調はましになっていたので教室に戻ろうと、更衣室に着替えを取りにいこうとしたら、ベッドの足元にわたしの着替えとなくなったはずの貴重品袋が置いてあって……」

「保健室には誰もいなかったのか?」

「はい。わたしが目覚めたときは誰も。体育の授業中、小波渡さんに付き添ってもらって保健室に入ったときも誰もいなくて、小波渡さんが先生を探してくると出て行って……十分くらいで保健の先生が戻ってきて、膝の処置をしてもらったあと、ベッドで休んでいました。保健の先生がいつ部屋を出て行ったのかはわかりません」


 言って鹿瀬さんはうつむいた。あまり人前に出て目立つことを好まない大人しい子だし、さらし者のような状態に耐えられないのだろう。

 しかし、ここの保健の先生はどうしてこういつも保健室を留守にしているのだろうか。立入禁止になっている屋上でタバコを吸っているとかいう噂があるが、事実なのかもと思ってしまう。

 それはさておき、今までの話を総合すると、鹿瀬さんに犯行は不可能なので疑う余地はない。

 しかし、そうとわかっていても盗まれたと思われた袋を持って現れた以上、疑いの目を向けられてしまうのは避けられない。

 私や小波渡さんと同じで、とんだとばっちりだ。


「誰か、鹿瀬の着替えを届けた者はいるか?」


 担任の問いかけに、二人が手を挙げた。鹿瀬さんが転んだとき、真っ先に駆け寄った二人だ。

 体育が終わって、鹿瀬さんの制服を更衣室に放置するわけにもいかないからと、保健室に届けてから教室に戻ったらしい。そのとき鹿瀬さんは眠っていて、ベッドに貴重品袋はなかったと二人は証言した。

 つまり――貴重品袋はそれ以降に何者かが眠っている鹿瀬さんのベッドに置いたということになる。


 何のために?

 誰が?


 そんな疑問が教室内を満たしていく。


「ともかく」


 担任はそれをさんさせる勢いで声を上げた。


「全員の手元に貴重品が無事に戻ったことだし、これ以上余計なことを考えないように。今後のことは我々教師の仕事だ。いいな?」


 意味があるかわからない警告をして、ひとまずこの件は終わったことになった。

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