第2話

 急いで着替えを済ませて集合場所のグラウンドに着いた瞬間、授業開始のチャイムが鳴った。すでに体育教師は来ていて、本当に遅刻ギリギリだった。


「先生、鍵を……」

「おう。ご苦労」


 『2年A組』とクラスナンバーを記したキーホルダーがついた教室の鍵と貴重品ボックスの鍵を渡し、整列した集団の所定の位置に入る。


「今日は持久走のタイムを計るからなー。準備体操が終わったら出席番号の前半と後半で分けて計測するから準備しろよ」

「えぇ……」


 一斉に湧いた不満そうなざわめきの中で、リリが一番大きく落胆の声を上げていた。

 とにかく疲れることをするのが嫌だという超インドア派だし、出席番号の関係で私と一緒に走れない(私のサポートを期待できない)ので思わず口をついて出てしまったのだろう。


「せんせー」

「なんだ、神前かんざき?」

「今すぐミコと結婚して那須野なすの姓になりますから、ミコと同じ班にしてください」

「何を言ってるんだ? 班を同じにしても、走るのはお前だぞ?」

「ミコと一緒なら頑張れる気がするのですよ」

「一緒じゃなくても頑張れ」


 教師は問答無用の一刀両断でリリの戯言ざれごとを斬って捨てた。

 結婚のくだりにツッコミが入らないのは、もはや慣れてしまっているからだろう。この女子中学では百合カップル発生率が高いので気にも留めないらしい。

 とはいえ、いつもいつもウチのリリがくだらないことを言って申し訳ありません、先生。リリに代わって心の中で謝罪します。

 そんな小芝居を経て、準備体操を終わらせた私たちは持久走のタイム計測に入った。

 前半グループが走り出し、後半グループがタイムを記録していく。私は後半組で周回数のカウントを担当していた。

 一周二百メートルのトラックを十周する前半組の様子をじっと目で追い――でゴールラインを越えたリリに駆け寄る。


「お疲れさま」

「ミコ、周回カウントは疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ……」

「陸上部を差し置いてトップで戻って来るからそういうことになるのよ。それに眠いのはいつものことでしょうが。むしろ授業中も寝てるのになんでいつも睡眠不足なの?」

「いろいろあるんだよ」


 現役陸上部を半周遅れにして二千メートルを完走したリリは、トラック内に大の字になって寝転がった。ささやかな盛り上がりを見せる成長途上の胸が普段と変わらずゆっくりと上下している。走り終わったばかりだというのにまったく呼吸が乱れておらず、まだまだ体力に余裕がありそうな気配だ。

 ちなみに、トコトンやる気がなさそうなのにトップで戻ってきた理由は「さっさと終わらせてゆっくり休みたいから」だそうだ。超インドア派のくせにデタラメな運動能力を有しているのがなんだかムカつく。


「もう少しだ、頑張れ鹿瀬かのせ!」


 教師が声を張り上げる。

 大型犬と一緒に天に召されそうな体力オバケからトラックに目を向けると、まだ数人が息を切らしながら走っていた。

 声をかけられた鹿瀬さんは特に走るのが遅く、上体をゆらゆらさせて覚束おぼつかない足取りでゴールへ向かっている。今にも倒れそうで見ていてハラハラしたが……前走者に遅れること一分弱、なんとかゴールラインを越えた。

 その直後、つま先を地面に引っかけて倒れてしまった。鹿瀬さんと仲のいい子が二人、慌てて駆け寄る。


「大丈夫か、鹿瀬。よく頑張ったな。……おい、このクラスの保健委員は誰だ?」


 心配そうに教師も駆け寄り、鹿瀬さんの膝にすりむいてできた傷があるのを見ると、私たちのほうを振り向いて声を上げた。


「あたしー」


 問いかけに応えたのは、前半組で走り終えたばかりの小波渡こばとさんだった。くじ引きで委員になったという経緯いきさつなのでやる気の欠片も見当たらない。


「小波渡、鹿瀬を保健室に連れて行ってくれるか。頼んだぞ」

「えー……まー、しゃーないか。立てる? しずく

「うん……なんとか……」


 嫌そうにしながらも鹿瀬さんに肩を貸し、小波渡さんたちは校舎に入っていった。

 それを見送ると、後半組の計測が始まった。

 私は運動が嫌いというわけではないけど、体力があるほうでもない。足も遅いし、持久走は苦手だ。

 現に、まだ三周目なのに梁川やながわさんに周回遅れにされた。

 小波渡さんと同じグループのボス的存在で、女王様気質のある人だ。他人に劣ることを極端に嫌うので、成績も運動も容姿もトップでなければ気が済まないし、そのための努力を惜しまない。反面、努力しない人や自分に劣る人を平気で見下すというなんな人でもある。親や祖父が政治家という家のお嬢様の典型という感じだ。

 そんな体の九割くらいが負けず嫌いでできている彼女は自分のベストタイムより速くゴールしたリリを目の敵にしているらしく、とんでもないペースで走っているのだ。それを可能にする彼女もリリに劣らぬ体力オバケらしい。

 結果、私を二周半遅れにして梁川さんがゴールした。タイムはリリより速かったようで、思い切り肩で息をしながら満足気に勝利宣言をしていた。

 しかしリリはまったく相手にせずに私を応援していたので、無視された梁川さんは怒り心頭という様相ようそうだった。まあ、だ。


「よーし、少し早いが今日の授業はここまでだ。整列!」


 全員ゴールし、記録が済むと、教師の合図で体育の授業は終了した。

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