7-4.無窮

 境界を越えた向こうには、懐かしい景色が広がっていた。

 抜けるような青空、大きく伸びる入道雲。遠く陽射しに光る高層ビル群と、そのふもと、水面みなもの照り返しを映して巡っていく、観覧車。

 息を吸うと、育つ緑と乾いた土、そしてかすかなしおの香りが鼻腔を刺激する。感覚を満たすのは匂いだけでなく、意識を向けると木陰から蝉の鳴く声が聞こえてくる。

 一つ一つには覚えがあっても、どこかが自分一人だけの記憶とは違っている風景。どれほど前に、どこで出会ったものなのかはまして思い出せない。

 恐らくは俺だけでなく、訪れた誰もが同じ思いを持つのだろう。

 多くの人の思い出、懐旧の合流地点のような場所――いつかの夏。

 強く吹くまぎれもない夏の風と、空を駆ける非現実……眩い星群のコントラストに、ひどく胸の渇きをかき立てられる。

 何か飲むものが要る、と感じた。

 少しの間考え、そして答えにたどり着く。

「……ラムネ、瓶入りの。よく冷えたやつがいい」

 コギトを経由せず、自分の口で空想を紡ぎ、形にした。あの夏の夜、連れだって大騒ぎしていたあいつらの横顔を思い出しながら。

 ややあって、指先に引っかかる重み。汗をかく透き通った瓶一つ。

 ビー玉を落とすと、一気に飲み干した。甘く冷たい炭酸を胸に落とすと、少しだけ渇きが押さえ込まれる。

 光る芝生を踏み、歩き出す。――指先でぶら下げるばかりになったびんは、照る陽射しと空の眩しさを一瞬だけ反射した後、光のちりと化して、音もなく消えた。

 海浜公園とおぼしいこちら側は、入り江状に貫入した海面を挟み、大橋で市街と接続されている。

 接続部の付近には舗装されたランニングコースが通っていて、由祈はそこにいた。

 市街と星がよく見える位置に陣取り、落下防止用のさくに足をかけ、ゆらゆらぶらつかせている。

「もうちょっとごちゃつくかと思ったけど、意外と綺麗にまとまるもんだね」

 回る観覧車を見上げながら、由祈が言った。

「会場の……私に“願い”を寄せてくれた人たちの空想が、集まって合成されてできてんの。ここ」

「基礎が頑固だからじゃないか」

 率直な感想を返す。

「土台とか核みたいなのをお前がやってるんなら、まあそうなるだろ」

「ガチガチの頑固モノな佑に言われたくないんですけど」

「そうか?」

「そうだよ」

 笑いながら由祈が振り向く。

 きらめく水面を背にしたその立ち姿は、変わらず眩しい。

「――で。決まったんだね。来たってことは」

「ああ」

「どっち?」

 返事の代わりに拳を突き出す。紋の走る、自分の意思一つを握りしめた拳を。

 由祈の口元の笑みが愉快げに深められる。

「一本勝負だ。白黒つくまでやるぞ。徹底的に」

勝者総取りオール・オア・ナッシングのガチンコ、賭けるのは世界、ってことか。――言っとくけど、降参なんてしないよ。私」

「融通きかない頑固者だからな」

「お互いね」

 歯を見せて応じる拳が突き出される。数メートルの距離を挟んで、しかし打ち合わせるように小突く仕草を向け合って、同時に口火を切る。

「「《我は我を鋳るリキャスト》」」

 瞬間、存在を組み換える閃光が走り、一帯を塗り潰した。

 呼び起こされた渇きが荒れ狂い、くべられた存在記憶を代償に空想を出力する。

 激突、衝撃。ぶつかり合いの余波を受け、砕けた大地が跡形もなく吹き飛び灰燼と化す。

 その向こうで、心からのかいさいを叫ぶ由祈の声を聞いた。

 こちらも叫び返した。腹の底から。

 俺の胸に渦巻くこの思いの丈が、少しでも伝わればいいと思いながら。

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