6-3.幕開け
「悲歌。……“差し込み”という手を使ってまで叶えようとする、あなたの“願い”はなに」
巻き上がる風と音色の中、変わらず通る鈴の音が葬送者へと問う。
《増援の時間を稼ぐための
しかるべき代償を支払うならばな。
そう告げながら、葬送者は指を一つ打ち鳴らす。
「!」
次の瞬間、跳ね上がった悠乃の二丁拳銃が迫る何かの群れを撃ち、風穴を開けながら吹き飛ばす。
黒い、
だが、それは発生した異変のほんの一部に過ぎない。
ずぬり。
ずぬり。
舞い飛ぶ音、その輝きが及ばない暗がりから生じ、立ち上がったのは、黒く塗られた泥人形のごとき姿を持つ幾つもの人型。
その形、まとっていると思われる衣服の輪郭は様々。おとぎ話の中でしか聞かないような鎧や威容を備えたものもあれば、ありきたりのビジネススーツ、見慣れた現代的な私服、時代を問わない困窮を感じさせるものまで多種多様だ。
共通している点は二つ。まず目につくのは、身体のどこか一部以上が著しく損傷した死者であるという点。程度の差はあれ、天寿をまっとうしたとおぼしい有りようを持つものは一つとしてない。そしてもう一つは、そのまなざし。黒く塗り潰された瞳にはもちろん意思の光など見られない。なのに感じる――熱を、明かりを求めて飛ぶ走光性の虫たちにも似た、“何か”を求め追う強い一念を。
「わたしのそばからはなれないで」
傷を引きずり、しかし明確にこちらを目指して歩み寄ってくる影を次々と撃ち倒しながら悠乃が言う。
その様を見下ろし満足げに口角を上げると、怪物は演説者を思わせる口調で語り出した。
《悲歌とは! この世に奏でられるあらゆる音楽の内で、もっとも根源的な“願い”を秘めた構成物である!》
葬送者の言葉を指揮の合図としたかのように、群れる人影の幾つかが唐突に速度を獲得し、こちらへと迫る。
悠乃の拳銃から放たれる弾丸がそれらの胴、心肺に当たる位置に吸い込まれ、肉をえぐって大きく爆ぜる。弾体の膨張炸裂によって高い対人制圧・制動力を発揮する
だが、影たちは止まらない。肩口から腕が大きくちぎれても、傷を負っていた足が砕け地を這うばかりとなっても、なお俺たちの方へと向かってくる。――まるで、そこに自分の命よりも大切な“何か”が賭けられているかのように。
《人間は弱い。その質のゆえに“願い”を抱くが、ほとんど多くの“願い”はしかし、まるで成就せぬままに終わる》
指揮者が語る。音色のさなか、
その響きを、絶え間ない血肉の炸裂音の中で捉える俺の感覚がぐらりと揺れる。歌われようとしている事柄が何であるのか、俺はもうなかば悟りつつある。もちろん、きっと、悠乃も。
それを察したか、口元を歪めるようにして怪物が深く笑い、そして告げる。
知らせる。この影たちが何であるのかを。
《悲歌とは“嘆き”である! “願い”叶わず果てる無数の弱者、その断末魔をもって鳴る
影の群れが力尽きる。強者による容赦ない力の発揮、弾丸の斉射によって。
声も発さない絶命は、血と落涙に濡れた骨肉の破砕音をかえって際立たせる。行動停止にともなう転倒、落着、そして二度と起き上がらない敗死の沈黙を、俺の感覚に明瞭に伝達する。
《――我が“願い”は
厳かな声音でそれは言う。
《力なき
ゆえに我が名は
閉じられた語り――その余韻を引くように声なき断末魔が連続し、そして絶えた。
その音色を紡いだのは悠乃だ。銃把を握る手は、引き金にかかった指は止まらず、層を成して迫る影、そのことごとくを傷つけ、損ない、踏みにじっていた。機械のように正確に。人形のようにためらいなく。
俺はそれに加担できなかった。できずに、ただ悠乃がもたらした安全だけを
最後の接近のおり、すぐそばまで迫った影が散らした
《――ふん。小娘、どうやら貴様はそれなりの覚悟を備えているようだな》
盤面全体を見下ろしていた葬送者の目が、興味を持ったように視線を悠乃へと向ける。虹の瞳はそれを真っ向から受けとめ返す。
《そこな少年の
「こたえるぎりはない」
掲げた銃口、その光の反射と並ぶほど、悠乃のまなざしは冷え切っている。
劣らず鋭い宣言が、その在り方をこれ以上ないほどはっきりと伝える。
「どちらであろうと結果はおなじ。わたしはおまえに屈しない。たったいま成した撃ち殺しとなにひとつ
《はっ! よかろう!》
怪物が笑い、愉快げに首を巡らせる。
《なればこの儀において! 汝に束の間の
両手を広げ、息を吸い込み、その体躯が一際大きく膨れる。
ぎらぎらと光る目をぎょろりと動かし、たった一人向き合う黒衣の少女を見据えると、次の瞬間、怪物は宣言する。
疑うことを許さない上位君臨者として。覇を唱えるかのように、己の絶対を誇るかのように。
《“
瞬間、大気が破裂を強いられたかのように激しく荒れ狂い、焼き焦がすほどの
「ぐ、うっ……!」
反射的に目を閉じ、風圧に飛ばされないよう身を低くし、耳をふさぐ。
それはまさに、爆発的に生じた一瞬の大嵐だった。
駆け巡る風はわだかまる影の痕跡をのきなみ吹き消し、一帯を暴威の下に覆い尽くす。空間を一つの存在のしるしでもって染め上げ、その存在宣告を高らかに刻み付けて回る。
そして――その果てに、それは姿を現す。
他を圧する厳粛さ、
最初に抱く印象は一種
次に生じるのは音色への感情。通奏低音のようにそれがともなう調べは、まさしく哀悼歌の質を持つ重々しいもの。
音楽を編み示す芸術楽器のたぐいと親和した、半
それが一つ、二つ、命令を思わせる短音を発すると同時、空間に黒と赤の二色からなる暗幕が走る。
それは俺と悠乃を分断し、覚悟持つ資格者――悠乃ただ一人を、無色の壁で仕切られた
《娘よ! 貴様がどこまで耐え、生き延び、己が“願い”を守り続けるか、見せてもらおう!》
舞台に影が立ち上がる。武器を、殺意を、死してなお捨てられない“願い”と共に構え、立ち上がる。
それを俺は舞台の外で見ているしかなかった。資格――戦うための選択を成すことができず、ただ見上げるしか。
「…………」
悠乃が無言でこちらを一瞥し、銃を構える。
猛獣の檻に等しいきらめく舞台の上で、一人の少女をなぶり殺すための、殺戮の宴が幕を開けようとしていた。
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