4-3(-2).落下
地下から吹き上げた爆圧により、総ガラス張りの前面が木っ葉微塵に吹き飛んだ一階エントランス部。脱出口となりうるその
分厚くうごめく不気味な
――ず、どごおうっ!!
悠乃の
体液と肉片が雨のように飛び散る中、虹の眼光を
耳障りな音を立てて羽ばたく異形たちの機動はすさまじく、精密でありながら極めて素早い――無駄がない。
当然のことではある。連中の飛翔は翼を持たない俺たちが思う“空中移動”とはわけが違う。
地には地の、海には海のことわりがあるように、空にもまた、生きるため求められる
だが、悠乃の動きは更にその上を行った。
ぎゅいっ! ぎゅうっ、きゅうんっ!
陣形を組み、包囲からの抹殺を狙う警告色の
軌道の柔軟性においては比べるべくもない。だが、こと視覚において、悠乃七彩の右に出る存在はこの場にない。
わああんっ!
宙を駆ける獲物についに肉薄した群れの一端、その先頭個体が、骨肉を噛み千切ろうと大きく顎を開く。
真っ暗な食道へと続くその喉に、しかし突き立てられたのは
がががうんっ!!
“貫徹”の性質を増強された散弾が、戦慄するほどの範囲火力をもって異形の怪物群を穴だらけにした。命中を経ても“止まらない”それらが過ぎた後には、ミキサーにかけられたような怪物たちの残骸が残るばかり。
がちんっ!
背後から詰め寄った無数の大顎の攻撃軌道さえ、悠乃の眼は見切っている。曲芸のような身のこなしで靴の“踏破”を操り、時に鼻の先まで押し寄せる殺意を見事にかわしていく。回避の
千軍無数の蜂たちも、これほどの勢いで手数を削られれば不利を認識する。別の手をとろうとしたか、追う波の勢いが衰える。
その瞬間を見逃す悠乃ではなかった。
「コギト。相対座標一八-七地点にC装備の《
『
風切る黒衣をはためかせ、虹の眼は一際高く飛ぶ。見やる先に出現するのは、鉄塊としか呼びようのない巨大な筒型物体だ。
空洞の内部に刻まれた
『《
それは個人が扱うにはあまりにも大きすぎる銃砲、兵器だった。
大砲、艦砲。対集団、軍勢規模の攻撃を可能にする広域殲滅装備。
『弾頭、装填準備。完了』
がっしゃっ。
咆哮の用意を整えた無機の化け物、その砲塔が黒黄の群れの中心部に狙いを定める。
増設された
――そして。
おんっ!!
瞬間的に反応変成、炸裂した大容量火薬の爆圧が大気を震わせ、やがて生じた更に大きな衝撃が、一帯をくまなく塗り潰した。
後には何も残らない。爆風の残り火と、焦げた蜜の強い匂いが揺れるばかりだ。当たり前だ、こんな
いつからか詰めていた息を、安堵と共に吐き出しかける。
だが、空中に立つ悠乃から、コギトを介して声が飛んだ。
『まだ。本当のしょうぶはここから』
……びいいいいいん。
ぱちぱちと音を立て燃える
羽音……いや、あるいは、いななきか。
その響きは俺に、ある種の
危険を知らしめるため、退避を促すために広く鳴らされる
「!」
顔を上げる。気付けば前触れなく、それは現れ出でていた。
《…………》
びいいいいいいん。
縞模様を基調とする体躯、現実では到底生まれ得ない巨大さの威容、そして、一生物と見るにはあまりに攻撃的すぎる、変質を経た
既存の
だが、その有り様は、規模は著しく異なる。
体色は
どろっ、……ぼたっ。
ひび割れが浮くそれらの腹が
他方、焼け焦げた死骸群の腹からは白く濁った
それがある種の価値を帯びたものであることはすぐにわかった。
濃汁を吸収した大型個体の周辺空間が歪む。大気の流れがにわかに変質し、
だががががががうんっ!
悠乃の手元が
「!」
変わらぬ万色を湛えた悠乃の眼がかすかに細められる。
虹の瞳――あらゆる虚構を無に帰す魔眼の力は健在。にも関わらず、あの赤黒蜂は悠乃の攻撃に耐久してみせた。
理屈は俺には読み切れない。しかしそれが尋常の出来事ではあり得ないのはわかる。
『空想規模の測定が完了しました。
コギトの無機質な声が脳裏に響き、敵逸路の推定脅威度を告げた。
感じとった危険を裏打ちする評定に、背筋が冷える。強力であるほど若い値が冠される位格分類式――その中で“遭遇しうる最も大きな危険”を意味するBクラス。
『何とも
重苦しい預言者の一言とは対照的に、悠乃の応答は淡々。
「このくらいは予測のうち。問題ない」
『《
「それだけあれば、じゅうぶん」
びいん!
予兆も見せず猛速を発した女王蜂の突進を、しかし悠乃は紙一重で回避し、至近距離から銃撃を浴びせかける。
《ぎいいっ!》
女王蜂の吐き出す警戒音に苦鳴の色が混じる。一度目の連射は様子見――装甲の構成質、駆体の特性を見抜き、弾丸の性質と増幅するなすすべを最適化したのだ。
全弾を撃ち尽くしてなお、悠乃の射撃は止まらない。《
俺はその光景を、コギトによって増幅された感覚を通して観測していた。拭えない危機の感触を胸に抱えながら。
“制圧”と悠乃は言った。まさしくその通りの結果がもたらされつつある。悠乃はあの巨体の怪物すらも打ち倒し、この戦いに勝つだろう。――なのに、どうしてざわつきが消えてくれない?
上空の激戦から意識を引き剥がし、理由を探した。焼けただれた識域の外壁、干上がるように止まった蜜の流れ、侵蝕と破壊によってところどころに
「(……表、立って?)」
いつしか俺の注意は感覚に注がれ、その矛先は地上ではなく足下、識域の深部へと向かっていた。
深く、深く――水が土に染み入るように、音もなく感覚の網が伸びる。
その先端に何かが引っかかった。
はじめはかすかに、やがてはっきりと。
震動、感触。覚えのあるたぐいの。
力を受け、存在がその形を崩される……“壊される”時の。
『残り十秒』
「――――!」
《転送》の実行進捗を告げるコギトの声で、意識が地上へと引き戻される。
その頃には気配はもう、再び感覚を広げるまでもない地点にまで近づいていた。
「(まずい)」
心の内で悪態をつく。
激しい銃火と羽ばたき音は未だ交錯の最中。状況の変化を感知したのは恐らく俺一人。
その俺ですら完全には事態を掴めていない。悠乃や預言者に知らせようにも、何が起ころうとしているのか言葉で伝えられない。
『九、八、七』
始まったカウントダウンがひどく遅く、もどかしいものに感じられる。
瓦礫の破片がかすかに震え始める。間違いない、何かが俺たちに狙いを定め、行動している。張り詰めた感覚を揺さぶる“それ”の速度は信じがたいほどに著しい。
にわかに直感する。
「(間に合わない。このまま何もしないでいたら、風原たちが間違いなくやられる!)」
視界の端のカウントが五秒を切る。もう一刻の猶予もない。
動くべきか、否か。俺が自分で決めるしかない。
「(俺には悠乃みたいな力はない。戦ったら死ぬかもしれない。俺のやろうとしていることは、事態を悪化させる出しゃばりかもしれない)」
でも。
“やれることをやる”
最後によぎったその感情が、俺を突き動かした。
「コギト!!」
――めきっ!
宣告を命じるべく声を張り上げた瞬間、地下フロア一帯の地盤が悲鳴を上げた。
瞬間、悠乃がこちらに視線を向ける。コギトが繋ぐ回線越しに、息をのむ悠乃の戦慄が伝わったような気がした。
確信は持てない。俺はその時にはもう、行動を開始していたからだ。
きりいっ!
右手の甲に姿を見せた紋がいななき、足下より数メートル分の土を削り壊し、《転送》の効果が及んでいる小領域を地面から隔離する。
その作業が完了するのとほとんど同時。“それ”が来た。
ばぎゃあああっ!!
砕き潰されるように地面が液状化し、一瞬で生じた大穴の暗黒が、あぎとのように俺をのみ込む。
ぞわりと肌が粟立つ。明らかに階層の異なる、違う場所に引き込まれたという感覚があった。
寸秒遅れて《転送》のカウントダウンがゼロを示し、頭上、風原たちの気配が消える。直感が正しかったことを悟る――このまま一緒に“引き込まれ”ていたら、恐らく《転送》は完全には機能しなかった。
「――佑!」
らしくもない、叫ぶような悠乃の声が耳を打つ。
しかしそれも、今や全方位を包む暗闇と落下の感触に遮られ、すぐに聞こえなくなる。
わあん。わああん。
反響する羽音に包まれながら、十数秒をかけて辿り着いたのは、正気を侵すような一面の黄色に囲まれた巣穴の中心。
そう、中心だ。この識域は表層と深層に分かれている。そしてその両方に、恐らくは集団をつかさどるための存在がいる。
――ぶううううう。
無数に開いた
現れたのは白濁した体色を持つ、針のない小柄な個体が一匹きり――けれど、安んじる気には欠片もなれない。
『空想規模の測定を完了。
「冗談きついな」
表層のあれより更に上――恐らくは女王と対を成す雄個体。合流でもされた日には、流石の悠乃も勝つのは難しくなるはずだ。
俺がどれだけできるかなんて、考えるのも馬鹿らしい。それでもやる以外に選択肢はなかった。
『
きりいっ!
生命線の消耗開始を伝える機械音声をかき消すように、俺の空想が黄色の空間を切り裂き、命をかけた抵抗戦の火蓋を切って落とした。
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