2-4(-2).空想世界講義

『まずは歴史を語ることから始めよう。直衛君、天地開闢かいびゃくの神話は知っているかい? どこの地域のものでもいい』

「開闢……ええと、世界がどう出来たかの話ってことですよね」

 日本だとイザナギ、イザナミの国産みとか、その辺が該当するはずだ。

「確か、最初は天も地もなくて、神様がそれらを固めたり、生み出したり、元になったりして、世界が生まれた……とか、そういうのであってますか」

『十分な理解だ』

 預言者が頷く。

『広く共有されている伝承によれば、識域とは創造主たちが開闢の際に用いた“可能性の泥”、その残滓が堆積した空間だとされる』

 暗雲に似たもやの映像が拡大し、俺たちの周囲を包みこむ立体映像となって再生される。

 悪天候を飛ぶ飛行機の眺めがこれに似るだろうか。奥行きは測りがたく、広がる風景は限りあるもののようにも、際限がないようにも見える。

『人間などの知性体はしばしば創造主を模した存在と語られるが、識域ではもっぱら感覚的な理由でこの考えが採用されている。識域に満ちる“可能性”は知性体の思考と認識に対応し、様々な存在モノへと姿を変えるからだ。道具物体一般に始まり、大規模なものとしてはそれこそ“異説イフ”――現実そのものと等価な似姿にまで、識域はたやすく変容する。まるで、神話の創造主が成した御業なるものを再現するかのように』

 映像の再生が進み、形成された天と地に無数の山野や海、建造物群が生じる目まぐるしい光景が展開される。

 肌を撫でる風――飛ぶ鳥の羽ばたく感触、地を駆ける獣たちから伝わる激しい心拍。削られた木石の匂いになる建屋の近しさから、文物の蓄積が磨き築いた営為の高層の威容まで、通り過ぎる全ての刺激が五感を圧倒していく。

 これらが全てちっぽけな個人の記憶と空想によって成り立つなら、雲を掴むような神話、壮大すぎる仮説のたぐいも、ことごとくが説得力を持つことだろう。

『だが、そうなると――識域が起源において現実と同じものであり、かつ個々の知性存在の手で加工可能だということになると――そこからは極めて厄介にして迷惑な発想が浮上することになる』

 ぴたりと立体映像が止まり、景色が白紙のそれへと巻き戻る。

 わかるかい? と問われ、どう返すべきか戸惑った。

 自信がなかったからではない。問う必要すらないような、極めて明白かつ自然な思考ことを尋ねられているように感じたからだ。

「……“上書き”」

 そんなことが出来るのか、と問い返すような思いで口にした。

 識域から、現実への。異説イフによる、正史への、上書き。

「まる。それは、大枠ではそのように言い表すことができる」

 そばに立つ悠乃が頷いて言った。手を振る仕草と共に、居並ぶ映像の一つが再生される。

は“差し込みアップロード”と呼ばれている。“願い”をもって識域に立ち上げた異説イフを解析し、抽出した異同要諦ディファレンスを指標に分岐事象へ限局干渉をなし、もって正史を改竄かいざんする手法。……ひらたくいえば、費用コスト被害ダメージをしぼった歴史のピンポイントなかきかえ」

 真っ直ぐ伸びていた大きな矢印が針先ほどの点群を突かれて波打ち、やがて軌道までもを含めた大きな変容を起こす様が描かれる。

『“歴史に生じた矛盾が世界そのものを破綻させる”という考えはタイムパラドックスの名で知られるが、実際の世界はその想定よりも少しだけ柔軟でね。多少の不整合エラー程度なら辻褄つじつまを合わせて吸収してしまう性質があるんだよ。つまり困った事にこの世界は、んだ』

 変化する矢印は、最早もはやただの単一記号ではなくなっていた。

 それは無数の、無視出来ない意向ベクトルが寄り集まった、大きな流れの集合体。

 うごめく個人がそれぞれの願望エゴを通そうと割拠し――そして本当にそれを矢印へと反映させてしまえる、あまりにも危険な世界の略画と化していた。

 危険、そう、危険だ。無数の存在を内包する枠組み、土台を名乗るには、それはあまりに不安定で移ろいやすく、そしてもろい。

 なのに、俺は映像から目を離せない。恐れる、いとう、というよりも、むしろ――。

かれるかい?』

 静かに尋ねる声で初めて正気に返った。

「だいじょうぶ。わたしもそう」

 否定して誤魔化すことなど出来るはずもなく、視線を伏せた俺に、悠乃が言った。

「あなたとわたしは、覚徒だから。“願い”の成就に惹かれるのは、とうぜん」

 顔を上げる。おもてに感情が出ていたのだろう、それを受け止めんとするかのように、灰晶の眼が俺を見つめていた。

 同じような柔らかさで、預言者が続ける。

『“差し込み”は極例だが、せんめれば識域とはそのような場所だ。現実のようには生存にきゅうせず、故に知性体の多くは“願い”を自身の第一欲求、ひいてはアイデンティティとして捉えるようになる。そうなると、起こるのは競争と淘汰とうた、そして洗練だ』

 第三の映像が立体となって起動。幾つもの幻想的な小世界が眼下のあちこちに発生し拡大、他の世界と接触するに至って火花を散らし、激烈な相互侵食を開始する。

『両立叶わぬ無数の“願い”が衝突する闘争の日々が、初めにあったとされている。その果てに識域の住人たちは武器を置き、現実への不干渉を原則とする盟約の下で生きる道を選んだ。空想の扱いに長けた強い“願い”の持ち主たち――すなわち覚徒を、約定の守り手に据えてね』

 戦乱の土煙が収まった先に現れたのは、高く壮麗な城壁を持つ、姿形が異なる幾つもの都市の姿。

『覚徒とは“まことの願いに覚めたるもの”の意だ。莫大な報償を糧に“願い”の成就へ身命を賭す姿からそう呼ばれる。他方、盟約を侵犯する願望追求者は“みちいっしたるもの”、すなわち逸路と名指されるようになった』

 都市の中央で日を浴びる一対の存在を表した彫像。牙を剥く異形に向き合うのは王でも騎士でもなく、古びた外套を纏う求道者ぐどうしゃ然とした旅人だ。

 風景が遠ざかる。視点は高度を増し、光景はもやと風に巻かれ薄れ始める。

「覚徒の務めは、逸路の“差し込み”を筆頭とする企みを阻止し、世界を維持すること。強硬な“願い”に世界が塗り潰されるのを防ぎ、もって“願い”が成就するみちを保つ」

 そのために、わたしはここにいる。

 かすむ景色の只中、吹き荒れる高空の風に銀髪を揺らしながら、悠乃が静かに口にした。

「それは果たされるべきものだと思うから。そして、それを果たし続けることが、わたしの“願い”だから」

 そう告げた鈴の音に、かすかに、しかしはっきりとした意志の響きがにじむのを、感覚が捉えた。

 ――本当にそう思ってるんだ、こいつは。

 はがねに触れた、と感じた。

 人の本質を地金じがねと表すなら、今感触した悠乃七彩のそれは錬鉄れんてつ、玉の鋼とでも評すべきものだった。

 激しい熱の内より発し、幾たびもの洗練にられ強靱さを得た、しなやかな一塊の力。

 その有り様に魅せられる。人形のようにいで精緻な横顔を、しかし今まで一度も、血の通わない作り物だとは感じていなかったことに気付かされる。

「(――まぶしい)」

 けれど、だから、感覚していたい。

 その感情は、どうしてかひどく懐かしいもので。同時に何故か、胸をざわつかせもする。

 “願い”に拘泥する同じ身の上のせいだろうか?

 答えが出ないでいる内に、映像の再生が終わった。慌てて注意を引き剥がし、視線を預言者の方へと向ける。

『――まあ、とは言ってもだ。腹が減っては戦ができぬ、という大原則は例え識域でもしっかりはたらく。元の数が限られている上、神ならぬ集団が作り出すままならぬ仕組みにも邪魔されて、理想通り元気にやっていけている覚徒はとても少ない。君に協力を依頼し、こんな風に事情を伝えたのも、いかんともしがたい事情と制限故のことだと理解してほしいのさ』

 用済みとなった映像枠を教鞭でぺちぺち叩き消去しながら、預言者。

「さくしゅろうどう、おまんまのくいあげ。円卓は一度ちゃぶ台返しでも食らって出直すべき」

 脇で頷く悠乃のジト目には、年季の入った怨嗟えんさの色がもろに出ている。激しいな落差。

『さて、基礎的な話はここまでとなるが、尋ねておきたいことはあるかい? 特になければ、次は実践的な話――緊急時の身の振り方、避難対応の教習に移るけれど』

「…………。一つ、いいですか」

 胸に湧いた思いをどう伝えるか、少し考えてから口にする。

「戦い方を教わることは出来ますか」

 ヘルメット、そして避難袋をどこからか取り出しかけていた二人の動きが、ぴたりと止まった。

『ほう。そう来たか』

 どことなく愉快げに見返す預言者。

「だめ」

 対照的に硬く返答する悠乃。

「どんな弱者でも、武器を握れば攻撃の対象にされる」

「その分、少しは役に立てるかもしれないだろ」

 切って捨てる調子の悠乃の言葉に、静かに食いかかった。

「本職並の仕事をしようだなんて思ってない。ただ、出来ることがあるかもしれない、あるならしたいと思った。それだけだ」

 攻撃の対象になるなら、何かがあった時、的散らし程度は務められるかもしれない。それが無理でも、全く無力な人間でいるよりはしぶとくなれるはずだ。時間稼ぎが必要になる局面だって、来ないとも限らない。

 無意味な考えでないことは反応からわかった。

 けれど、悠乃は首を縦に振ろうとはしない。

「付け焼き刃は判断を誤らせる。事態をより悪い方向に導く可能性もある」

 けんの色を増しながら、鈴の音が重ねる。

「勝手には動かないって約束する。もしもの時にしか戦わない」

 応じて、言葉が揺れないように努めながら、なおも切り返す。

 わかっている。悠乃はいたずらに強い感情を見せるような人間じゃない。俺の出しゃばりは、悠乃がそう返さざるを得ないくらいには迷惑になっている。

 それでも、引き下がる気は起きなかった。

 消えてくれない胸のざわつき――昨日抱いた怒りにどこか似た感情が、俺を駆り立てていた。

 存在ものは壊れる。悠乃も、由祈も、俺なんかよりずっと強いだろうし、守りの内にだっていることだろう。けれどそれでも、何かがあれば壊れることは避けられない。

 悠乃や由祈がそうなる時に、もしまだ俺が生きていて、その場に立ち会っているなんてことがあったとしたら――その時俺は、何も出来ない自分ではいたくない。

「預言者」

 俺のかたくなとも言える内心を察したのか、悠乃が傍らの預言者に加勢を求める。

『ふむ。平行線だね』

 返る穏やかな声。

『どちらかの言い分の肩を持つことは難しくないが……。理屈で負かしたところで、上手く収まる話とも思えないね』

 そう言うと預言者は考える素振りを見せ、たっぷり数秒沈黙してから口を開く。

 そして告げた内容は、俺は勿論、どうやら悠乃にとっても、予想外のものであったらしかった。

『ここは一つ、ケンカと行こう。勝った方が言い分を通す、本気の実力行使』

 すなわち、決闘タイマンだ。

 言葉を失う俺たち二人の前で、小動物はひげを揺らし、愛嬌たっぷりに口角を上げてみせた。

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