2-5(-1).今、一度死んだ

 ざく、ざく。

 砕けた街路舗装、ところどころ露出した砂石混じりの地面起伏の中を歩き、移動する。

 足元から起こる空気の震えは若干の間を置いて反響し、俺たちを取り巻く建造物群の頑強さと背丈の高さを感覚へと伝えてくる。

 顔を上げれば、目に映るのはそびえる廃墟で構成された街並みだ。

 材質も構造も、ガラスの向こうに覗く調度や備品の配置まで、現実で日々見るありきたりのそれとたがわない。仮定の話だけれど、国内のどこかの都市中枢が災害や戦争に巻き込まれ、著しい損壊を経たとしたらこんな風になるのだろう。相違点は二つ――高層建築からなる中央区画的な街並みがどこまでも真っ直ぐ続いていることと、人気が完全にないことだ。

「…………」

「…………」

 数メートルほどの距離を挟んで隣を行く悠乃は無言。俺も無言。軽い冷戦状態といったところか。

 会話の一つもなく指定を受けた位置で向き合うと、軌跡をいて胸元から光が飛び出し、二つに分裂。コンマ二桁までで構成される数列と、幾つかの数値表示を伴った棒型指標ゲージを描き出した。

 数列の方はデジタル表記のタイマーとおぼしい。指標ゲージの方はわからないが、見ると悠乃の近くにも同じものが浮き上がっている。

『それは損傷指標計ダメージレコーダと呼ばれる代物だ。お互いが受けた損傷ダメージの大きさを絶対・相対の両観点から示してくれる。総合的な耐久力を数値に変換して表したおよその目印――つまり体力ゲージだと思えばいい』

 コギトを介してか、脳裏で響く預言者の声。

 なるほど、指標ゲージは残りの割合を、数値は絶対量を表すのか。

 見比べて納得が行く。悠乃の数値は俺のそれよりも、文字通り桁違いに大きい。

『始める前に、改めて規定ルールを確認しよう』

 預言者の声が続ける。

『これから行うのは、識域での実戦を想定した一対一ワンオンワンの模擬戦闘。制限時間は五分、戦場特性ステージギミックは設けず、シンプルに単騎同士でぶつかり合うものとする』

 感覚を通して、設定された彼我の位置関係を確認する。距離の開きはおよそ十メートル、足場は悪いが障害物はなく、お互い視線が通っている。

 双方諸手もろて、悠乃は初めに会った時と同じ黒い外套にミリタリーブーツという出で立ちだが、他に特筆すべきものは何も装備していない。

『実力差を考慮して、七彩の方には出力制限をかけさせてもらった。その上で武器の使用は禁止とし、持ち込む道具も最低限と定めた。対して、直衛君には簡単だが僕からレクチャーを施してある。知識格差を埋めるための処置だね。一応聞くが、七彩。不服は?』

「ない」

 答える平淡な声はいつもより低温で、鋭い。

 感情を抑えていることがはっきりとわかる。出来るなら利用したいけれど、立ち姿に力みも緊張もないことを考えると期待は出来ないだろう。

『では最後に、勝敗について。経験がないことを踏まえ、直衛君には四つ予備の体力、つまり残機ストックを用意した。これらを全て失い、その上で体力がゼロとなったら、直衛君は敗北する。五回やられたら負け、ということだね。一方の七彩は、どんな形でも、直衛君由来の攻撃によってわずかでも損傷ダメージを負ったら敗北となる。どちらの条件も満たされず時間切れとなった場合も七彩の負けだ。これについても、異存はないね?』

 こくり、と無言で頷く悠乃。

 対して、俺は――。

『ふむ。思うところがあるかな、直衛君』

「……いえ」

 否定してみたものの、胸にわだかまった感情はまだ完全にはぬぐえていない。

 俺が言い出して、そして処遇を賭けてもいる勝負だ。条件は俺に有利なほど都合がいい。それはそうだ。

 でも。

『わかった。ではカウントを始めよう。ゼロになったらスタートだ』

「…………」

 タイマーが減少を開始する中、ふと目が合う。

 灰晶の目はそのまま俺を見つめてくる。その視線に真っ向から応じるには気まずく、視線をわずかに伏せる。

 すると、悠乃はおもむろに口を開き、告げた。

「遠慮はむよう。殺すつもりでかかってこないと、意味がない」

 思わず顔を上げる。さらりと投げられた言葉に面食らう。

 ここが訓練用に調整された場だということは聞いていた。痛みは薄く、例え本気で戦ったとしても、命に危険が及ぶことはないと。

 それでも、悠乃が選んだ言葉はいささか剣呑だと感じた。

 殺意――敵意、害意。それを自分に対して抱けと、そう言外に伝えているようにしか思えなかったからだ。

『そうだぞう。わざわざこの形式を選んだのは、直衛君の戦闘適性、実力と素質を見るためでもあるんだからね』

 言葉のニュアンスを一切解さなかったかのような気軽さで、預言者が付け足す。

「でも……!」

 つい声を上げたが、続く反論は出て来ず。代わり、預言者が口にした内容に言葉を奪われる。

『怪物の息の根すら止められる暴力を、同じ人間、それも女の子である七彩に向けて使うのは抵抗があるかい?』

「…………!」

 タイマーのカウントが減っていく。静かに悠乃が続ける。

「逸路は“願い”のためにどんな手段をも用いる。見かけに縛られて手をにぶらせたら、殺されるのはあなた。現実での常識あたりまえを捨てなければ、ここでは何も出来ない」

 残り五秒。

 身構えるべきだと理性が命じる。しかしそれでも何かを言い返したくて、言葉を探してしまう。

 そして。

『二、一』

 ゼロ。

 機械音声が刻限をしらせたその瞬間、俺は後悔することになった。

 時計タイマーの光色が緑から白へと変化し、残り時間五分ちょうどを指し示したのと、ほぼ同時。

 ――どっ!!

 大気を震わす激しい衝撃が、俺の胴体部を中心として前触れなく巻き起こった。

「――――!?」

 視界がぐらりと揺れ、色を失い緩慢スローに。モノクロに染まった意識の端で、俺の体力残量を示すゲージが急速に減少、底を突く。

 目の前に悠乃がいた。黒衣をひるがえした前傾ぜんけい姿勢で。

 静かにいだその瞳には、驚いたような表情を浮かべた――俺の間抜け面が映っていた。

 音すら聞こえない臨死のきわ、小さな唇がゆっくりと動き、告げる。

「今、一度死んだ」

 ばぎゅっ!

 素早く腕が引き抜かれると同時、再び衝撃。無防備な腹部に蹴りを食らった俺は、受け身も取れずに吹っ飛び瓦礫の壁へと激突した。

致命的な損傷フェイタルダメージの発生を確認。残機ストック減少、規定敗北ライン到達まで、残り四』

「う……げほっ」

 風穴の開いた胸、破裂した内臓、それらの傷が塞がる巻き戻しのような嫌な感覚にき込むと、喉元まで迫り上がっていた大量の血がこぼれ、地面を濡らす。

『ハンデ追加だね。五秒としようか』

「倍でいい。そのくらいは、よゆう」

「く……」

 会話を聞きながら、震える足で立ち上がり呼吸する。衝撃で麻痺していた感覚をどうにか復旧させる。

 本能が危険にわななき、ごうごうと血流を鳴らしていた。彼我の距離はそれなりにはある。だが、その程度は一息も要さず詰められるレベルのもの、つまりだと感覚が教えている。

『代理宣告を実行します』

 きりいっ!

 刻印を叩き起こし、足下のコンクリートを破壊、反動を使って跳躍。全速力でその場からの離脱を開始する。

 修復されたばかりの肋骨が速度にきしむのをこらえながら、心の内で思わず吐き捨てた。

「(馬鹿だ俺は。悠乃を!)」

 悠乃と預言者がわざわざ寄越してくれたヒントを、俺はふいにした。自分の感情に振り回されて、“見かけは飾り”――その言葉の意味するところを捉え損ねた。

 道具を扱う指先、体捌たいさばきを左右する重心管理、力を生む筋肉の質と量――存在もの可能性ポテンシャルは、現実ではかなりの程度見かけに現れる。頭の中で何を考えていようと、それを実行するための運動性能フィジカルが伴わなければ何も形には出来ないからだ。

 けれど識域では違う。それらは空想によって補うことが出来る。今しがた悠乃が俺に示して見せたように。

 だとすれば、捉えるべき重点は。識域において可能性ポテンシャルは、外見そとみではなく精神、感性の方にこそ現れる。相手の見ている世界がわからないなら、それは相手の力量、手札が全て隠蔽ブラインドされているのと同じなのだ。それがどれほど恐ろしく、警戒を要する状況であるか――今の俺は、敵の輪郭シルエットすら掴めず逃げ惑っている感覚封鎖者に等しい。

「(頭の中を一から組み直すしかない。さもなきゃ秒殺だ)」

 幸い、どう動くべきかの指針は得られた。与えられた猶予ですべきことは一つ。

 どくんっ!

 右手の刻印が鼓動を放ち、一帯の構造を走査スキャン。得られた情報を元に重なる瓦礫から幾つかを見繕い、底部を破壊して反動射出、撃ち放つ。

「(まずは探る――悠乃の手札を一枚でも切らせる!)」

 視界の彼方、たたずむ小さなシルエットに向け殺到する瓦礫の群れ。

 命中直前、音もなく悠乃の姿がかき消え、彼我距離の三分の一ほどを一気に詰めてきたのを感じ取る。連発の気配はなく、そのまま両脚を使った高速疾走へと移行。

「もう一撃!」

 こちらの攻撃射程に悠乃が踏み入った瞬間、地面に腕を突き立てて干渉を仕掛ける。

 地下地層の構造を探り、縦横を切り抜くように破壊。最後に底部を崩し、反動で地上へと強制射出。地鳴りと共に土の大壁が現れ、隆起して悠乃の進路を遮断する。

 厚さと質量を持った土壁に対し、悠乃は速度を維持しての跳躍を選択。宙におどり出た黒衣の影を狙い、俺は更に瓦礫の砲弾を撃ち込む。

 発動条件、使用間隔クールタイムのいずれかに抵触したか、空中の悠乃が瞬間移動を行う様子はない。

 しかし――。

「――“我は告げるキャスト”」

 銀の長髪を風になびかせながら、鈴の音が空にのたまう。

「“わたしの世界は色づく。鮮やかに”」

 ばしゅうっ!

 瞬間、悠乃の軌道が上書きされたかのように切り替わった。

 上昇する放物軌道を描いていたのが一転、下方――地上に向けて急降下。すれ違うような軌跡を刻み、瓦礫弾を回避してのけたのだ。

 悠乃の速度スピードは凄まじく、距離の利は瞬く間に消失。迎撃を試みる暇もなく、俺は半ば反射で身をひるがえす。

 どっぐぉっ!!

 振りかぶられたかかと落としが地面の舗装を砕き、下の土までをも打ち穿うがち、噴煙を巻き上げた。

 遮られる視界。生命の危機を前に再び加速したコマ送りの世界に、残影く刻印のまばゆい光が映り込む。

 またたき揺らめく――その色彩、乱反射する陽光に似た七透色レインボウ・セブンス

「(これが、悠乃の――)」

 巡らせかけた思考は全身に走った衝撃によって寸断される。

致命的な損傷フェイタルダメージの発生を確認』

 盛大に吹き飛ばされる俺の脳裏に、戦闘前に預言者から受けた講釈の記憶がひるがえる。

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