1-3(-1).何も要らない

「そういえばさ、動画」

 駅地下の食料品街にて。菓子やら惣菜やらを次々籠に放り込もうとする荷物持ちと戦いながら売り場を回っていると、当の精神年齢五歳児が思いついたように尋ねてきた。

「過去イチ伸びてるっぽいじゃん、最近。数字とか見た?」

「見てないけど、連絡はもらったな」

 きゅうりを袋に詰めながら返事をする。

 動画の編集や広報といったところは、由祈経由で渡りが付いた格安の運用代行にすべてお任せしている。

 そこからの最新の報告いわく、スポンサーやら視聴者やらの開拓が上手くいき、黒字が増えたとのことだった。相手は本職、報酬を支払えば相応の額が飛び、割合で言うとほとんど手元には残らないが、高校生が片手間にやる活動の稼ぎとしては十分破格だ。

 生活費に充てる予定で定めた目標ラインは突破して久しい。とはいえ根本的に不安定なものだろうから生活グレードを上げるというのもはばかられ、若干持て余しているところだ。

「何かに使ったりせんの?」

 三個入りの加糖ヨーグルトを手に取りながら由祈。

「貯金しか思いつかん」

 買わんぞ、と却下の視線を向けつつ俺。

「あんまりほいほい食事を贅沢なものにすると、姉さんが太るからな」

「あー。って、そうじゃなくて」

 納得の声が返ってきつつも、つっこみを食らう。

「ん?」

「普通自分用に何買うとか考えるでしょ。欲しいものとかないの」

 なるほど、そっちか。

 それについては簡単だ。

「ない」

「であるか」

 変わらんね、昔っから。

 即答すると、そんな風に言われた。

 確かにそうかもしれない。

 思い出すのは、姉さんと二人暮らしになってから迎えた最初の誕生日のやり取りだ。「プレゼントは何がいい?」という質問に「何も要らない」と答えてしまい、困らせたことがあった。

 あれこれと聞かれても欲しいものが思い浮かばず、文具か何かの名前を言ってお茶を濁した記憶がある。今使っているものが駄目になった時、出番が来るだろう、と。

 経済事情に配慮したのだと姉には思われてしまったが、そういうわけではない。本当に欲しいものがなかったのだ。

 当時は小学校の高学年。友達やクラスメイトはひっきりなしに色々なものを手に入れたがっていたけれど、よくわからなかった。

 手先が過敏で、あれこれの“もろさ”が頻繁に障る生活をしていたからかもしれない。

 ものはいずれ壊れる。壊れなくても、汚れもすれば傷もつくし、機能や性能だって、時間の経過と共に劣化していく。それが生き物なら、変化は必ずしも衰えを意味しはしないけれど、何かしらの危険と常に隣り合わせで、そしていつか死んでしまうことには変わりがない。

 宗教道徳では“永遠”というのはあって、生前の行い次第で辿り着けるものだと習った。けれど、俺にはあまりぴんと来ない。むしろ、、と言われた方がしっくり来る。何が在っても在らなくても、世界にとってはどうでもいい。“永遠”になれるのは、その“どうでもいい”の出発点から離れられたものだけなのだと。

 それなら要らない。「このこれはいつなくなるのだろう」と四六時中感じながら扱ったり、世話をしたりするのは、必需品や自分自身、親しい人たち相手だけで十分だ。

 小さい頃の俺はそんなことわかっていなかったと思うけれど、根っこは一緒だ。だから、今になっても大して変わらない返事が出てくるのだろう。

 そんな俺を見て、由祈は面白くなさそうな顔をする。

「そんなんだとつまんない人間になっちゃうぜ」

「まあ、わかるけど」

 自分でもどうかとは思う。でも、感じ方というのは動かしづらいものでもある。

 人のことならまだ動けるが、自分ごととなると、特別困りでもしなければ変えなくてもいいか、とつい考えてしまうのだ。

「私は困るけどな」

 すると、不意に真面目な調子で、由祈がそんなことを言った。

 振り返ると、目が合う。サングラスの下のクリア・ブラウンが、こちらを真っ直ぐに見つめていた。

 思わず買い物の手が止まる。その瞳から目が離せなくなる。

 一秒、二秒、と時間が過ぎ、雑踏の音が遠くなる。

「だってさ」

 その中で、首をわずかに傾げて。由祈は不意に破顔した。

「そうじゃないと、私と結婚ケッコンできんでしょ?」

「――――」

 その笑顔に、一瞬思考が停まる。

 そして、続く台詞で、動き出した。

「お門違いはナントカのもと、って言うじゃんね」

「……それを言うなら、“身分違いは不仲のもと”じゃないか?」

「あーそれ」

 いや、トップアイドルに釣り合う身分って何だ。宇宙飛行士とかか?

「ていうか、そのネタまだこするのかよ」

「はっはっは」

 遅ればせながらつっこみを返すと、何故か勝ち誇った顔をされた。腹立つな。

 が、事情があって噛み付きづらいネタなので何も言えず、渋い表情になる。

 いわく、小さい頃の俺がそんなようなことを由祈に言ったらしいのだ。しかしそれを、当の俺は全く一欠片も覚えていない。

 どれだけ聞いても思い出せないため目の前の適当女による捏造を疑っているのだが、それにしてはあまりに自信満々かつしつこい。俺が忘れているだけだったら悪いと思い、迂闊うかつに手が出せずにいるのだった。

「ま、ともあれ頑張んなよ。もったいないじゃん、折角色々出来るのに」

 ひとしきり煽った後、由祈はそう告げて屈託なく笑う。

 頑丈タフな無邪気さ、とでも言えそうな筋金がにじむ、透明な破顔。

「……一応、考えてみるよ。一応な」

 とっくに見慣れているはずの笑顔なのに、ひどく感情が揺れて、気付けばそんなことを口走っていた。

 適当でしょうがないところも多分にあるが、こういうものを見せられると、やはりこいつはすごいやつなのだと感じる。人を励まし、動かし、勇気づける。心の距離に関係なく、そんな難しいことをやってのける力があるから、仰木由祈という存在はアイドルとして強く支持されているのだろう。

「それはそれとして、その唐揚げは買わんぞ。お前それ全部一人で食うつもりか?」

「ええー。今ちょっといい雰囲気だったじゃん。救い代ってことで」

「もうちょっとましなものを選べ。体型維持も仕事の内だろうが」

 わらび餅買ってやるからそれで我慢しろ、と宣告し、会計を通る。

 二人がかりで運ぶ前提で食材も買い込んだし、由祈の分の夕食は多めにこしらえてやるか。

 そう思いながら袋詰めを済ませ、幾分かを持たせようと顔を上げると――。

「――由祈?」

 ついさっきまでそばにいたはずの、由祈の姿が消えていた。

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