第九話 お友達



◆◇◆◇◆



 老人は、温かいミルクを天使の前に差し出した。

 天使の主食が絵本だと分かっていても、お腹は空くだろうと温かなスープも彼女の前に出した。ゆっくり、食べながら話を聞こうという老人の魂胆だ。

 天使は、目の前に出されたクリーミーなゴロゴロと野菜の入ったスープを見つめ、ぐぅ……と腹の音をならした。それが恥ずかしくなったのか、また俯いてスープに手をつけようとしなかった。

 老人はそれを見ながら面白そうに笑うと、木のスプーンを手にとってスープを一口すくって、ズッと音を鳴らして飲んだ。

 そんな様子を天使は見ながら、子供が親の行動を真似るようにスプーンを手にとってスープに口をつける。人間界の文化になれていないのか、天使のスプーンの持ち方は可笑しかった。柄の部分をグッと握り込んで、すくいにくそうにスープにスプーンを突っ込んで食べる。口の周りには、白いクリーム色のスープがついていた。

 孫が二人出来たようで、老人は愉快な気持ちだった。



「それで、教えてくれるかのぅ」

「食べてからね!」



 天使はそう言いつつも、スープのおいしさに感動していた。

 話したくないから、後回しにしたいからという思いよりかも、スープのおいしさに感動していたのだ。絵本ばかりを食べる天使で、人間界のものには手をつけなかったが、老人の温かさと、スープの良い匂いにつられ、それを口にした。絵本でお腹がいっぱいになるような天使にも、一応口から入れ、胃に入るという人間と同じ器官があるためだ。

 そうして、暫くすると、天使はスープを平らげふぅ……と息をついた。綺麗にスープは飲み干されており、食べ残しなど一切なかった。食べ方は拙いものの、好き嫌いはしないようだった。



「……教えて欲しいって言ってたわよね」

「ああ、そうじゃ。ほれ、言ってみぃ」

「なんで、上から言われないといけないのかしら」



 不満ありげに老人を見つめる。

 天使は、人間よりも上の存在だと、彼女は思っている。だが、天使の中にも若い者、大人、老人といった姿や階級は存在しているためどうも、この老人には頭が上がらなかったのだ。威圧感があるわけでもなく、木から落ちるような命が幾らあっても足りないような老人だ。だが、天使にはそれこそおじいちゃんのように感じてしまうのだ。自分の親は、神様一人であり、神様から生み出された存在であるのにだ。

 懐かしいと思ってしまうのは、どうしてだろうか。

 天使はそんなことを考え、どうにか切り抜けられないものかと思っていると、老人の目に射貫かれ、観念したように口を開いた。



「分かったわよ、言えば良いんでしょ、言えば!」



 初めから素直になっていればいいものの、といった感じに老人は天使を見ていた。



「……あなたの、絵本、食べちゃったこと……、あなたの本を待っている人がいるって知ったから」

「孫は元気だったか?」

「うっ……矢っ張り気づいているんじゃない!本当に、悪趣味ね!」



 天使のもじもじっとした態度から、老人は笑いが堪えきれなくなりついぽろりと言ってしまった。天使が心変わりしたのは、絵本の作り方を教えて欲しいと言ったのはこのためだろうと。

 老人は全てを分かっていた。でも、天使の口から聞きたかったのだ。

 天使は、機嫌を損ねてしまったのか、ぷいっと顔を逸らしてしまった。年頃の女の子のように、扱い方が分からないと老人は思いつつも、悪かったよ。と謝罪の言葉を零せば、天使は少しだけ、ほんの少しだけ機嫌を直したように老人を見た。老人の顔に申し訳ないという文字が浮かんでいるように見えたからだ。



「こ、今度から気をつけなさい」

「ああ、すまなかったねえ。つい、孫のように思ってしまって。それで、絵本を作りたいと」

「…………あの子が待ってるの。でも、絵本って簡単に作れるものじゃないし、それに、あの子はあそこから動けないわけだし」



 友達になってあげたいけれど、天使と人間では友達になれないと天使は知っていた。

 友達になる為には、天使をやめなければならない。天使は夢を捨てなければならなかった。けれど、老人にこの話をしている、すると決めたとき天使はもう既に覚悟を決めていた。老人は知らないだろうけれど。老人は自分の翼を褒めてくれた。天使は老人を助けた。それでもう貸し借りはチャラになったはずだった。

 けれど、あの真っ白な病室でまつ少年のことを思うと、いてもたってもいられなかったのだ。



「もし、絵本の作り方を教えたら……君はあの子の友達になってくれるかのぅ?」



と、老人は真っ黒な瞳で天使を見据えた。

 天使は、口を開いた後ギュッとかんで拳を握り込み、顔を上げる。


「わたしは―――」


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